本日もただただ退屈である。 出かける目的が存在せず、出かける体力もない。 言うなれば「開店休業」である。
写真の整理をしていたら、奥様が通った大学の写真が出てきた。
三十歳から通った「広島文教女子大学」である。 当時の受験勉強を思い出した。 仕事から帰った私が、食事しながら「日本史」や「数学」を教えていたが、一度の受験で合格できるとは思っていなかった。 面接していただいた広島大学名誉教授兼任であった「岩佐」先生のお眼鏡に叶い「合格」させていただいたようだ。
子供の病気で学校を休むと、年下の同級生から電話かかり、「先生がなぜ休んだのか電話で聞くようにと言われて電話しています」と電話がかかってきた。
「岩佐」先生は「神皇正統記」で知られた国文学者であった。 その先生が学校から帰宅されるときには、この正門に立ち学長室に向かい一礼されていたことを奥様は感激し、帰宅すると私に熱く語ったのがなんだか数日前の感じがする。
今は「小泉八雲」の顕彰会に参加して「風呂」先生の感化を受けて毎夜英語のお勉強をされている。 何れにしても学ぶことを、彼女に授けてくれた学校である。
娘もこの学校で学んだ。 卒論が高く評価されて、特別に出版して頂いたのが数年前のような気がする。 その女性軍の母校は、私が入院していた安佐市民病院の東側、根の谷川の向こう側にある。 もともと文教女子大学は、この安佐市民病院の地にあったのです。