ここ十年、子供の凧揚げを見かけなくなった。 もっとも凧揚げができる広場が広島にはなくなった。 河川敷は車が進入できない。 親子連れでの遊びの場で無くなっている。 行政の企画力の低下である。 市民生活の中での広場の確保ができていない。
町内の広場は、老人のゲイトボールと、何とかゴルフに占領されている。 小さい子供が走り回れる広場になっていない現状が、広島では存在している。 この状況は現市長になって以来、いよいよ鮮明になってきた。 都市計画を合理主義で押し切ろうとすると、都市が人間性を失う。 優しさがなくなるのだ。
通産省出身の市長の合理主義が、「広島の文化」の否定になってきつつあることだけは事実である。道端の古い石の道標や、小さな水路に架かっていた石橋がいつの間にか無くなっている。 広島の歴史の風化である。 いつの日にか、原爆も風化の憂き目に会うのだろうか・・・・・。