夕飯を終えて一休み。 救急車の来訪だ。 ご近所さんが、呼んだらしい。 外は吹雪に近い状態だ。 午後、奥様はお洗濯とばかりに張り切っていた。 一時お日様が顔を出したからだ。 ベランダに干す事十分。 次の洗濯ものを干したら・・・・。 奥様、笑い始めた。 たかが十分で、洗濯物が凍りついていた。 -2℃。 当たり前田のクラッカー。 慌てて部屋干しに方向変換。 そんな外の状況です。 こんな広島、今までに経験ありません。 明日の朝、どんな景色になっている事やら。 皆様寒さに気負付けてお休みください。
TV社会になって久しい。 白黒時代から知っている我々の年代は、4K、8K、等本当に必要なのか疑問を持っている。 白黒からカラーに変わり、確かに新しい文化水準に達したかに思えたが、良く考えてみるとそうでもなかったように思えてくる。 番組はただただ娯楽性を求め、堕落の一途である。 この番組はいいなー・・・と思ったものは案外に視聴率やらに囚われて消えていき、マスコミとしての姿勢に偏向性が見え隠れし、事実のみを報道する努力が見られなくなった。 物を売るための番組が多くなり、深夜放送などはほとんどがそれである。 電力の無駄。 と言いたいが、スイッチを入れたり切ったりするだけで、相当の費用が掛かるらしい。 加えて近年4K、8Kなる代物が現れて、次世代のTVだと息巻いている。 そんなものが実生活に必要なのだろうか。 人間の目には限界があり、それを超えた画像など作り出しても意味はない。 それは、技術者の自己満足にすぎないと思いますが、これは私だけでしょうか。 映画がシネマスコープに変わって驚いたが、そのことによっては、名画は生まれてこなかった。 美術や芸術の世界は、鮮明さや繊細さを必要としているのだろうか。 縄文土偶に何処か愛着があるのは、何故なのだろう。 社会変革の有り方を今一度考え直すべき時期に来たことだけは確かである。 4K、8Kを必要としているのは軍需産業だけだという説がある。 開発費用を賄うためには、広く一般人にもその技術を押しつけて、均等割りすることが安くつくからだそうだが・・・・当たらずとも遠からずの感がある。