広島東洋カープが球団史上初のセ・リーグ三連覇を達成した。 その割にはなぜか盛り上がりに欠ける。
マジック7から優勝まで、あまりにも、もたもたしたためだろうか。 昨年はC・Sで敗退。 日本シリーズ進出が出来なかった。 ファンは、そのことがいまだに引っかかっているのだろう。 今年こそ日本一に・・・・。 期待はしているが、・・・・・。 まーお手並み拝見と参りましょう…緒方監督さん。
広島東洋カープが球団史上初のセ・リーグ三連覇を達成した。 その割にはなぜか盛り上がりに欠ける。
マジック7から優勝まで、あまりにも、もたもたしたためだろうか。 昨年はC・Sで敗退。 日本シリーズ進出が出来なかった。 ファンは、そのことがいまだに引っかかっているのだろう。 今年こそ日本一に・・・・。 期待はしているが、・・・・・。 まーお手並み拝見と参りましょう…緒方監督さん。
江戸時代、安芸と備後の一部を浅野藩が領有していた。 忠臣蔵の浅野匠の守の本家である。 赤穂藩は塩で財政を賄っていたが、広島浅野藩も負けじと塩で財政をやりくりしていた。 瀬戸内海に面した処は、全て塩田となった様だ。 其の為漁師は沖に押し出され、一隻の船で家族を載せて瀬戸内海を放浪していたそうである。 それは昭和四十年代まで続き、宇品の港の元宇品側には多くの漁船が係留していた記憶がある。 春先、「真鯛」を求めて、宮崎県沖から順次東に移動しながら漁をしていた。 子供たちは一週間おきに転校していた記憶がある。 その後、尾道に共同住宅が作られてその姿を見なくなったが、その頃同じように見なくなったのが「塩田」だ。
写真の様な入り浜式ではないが、流下式の物を記憶している。 明治の工業化が始まると、広島近郊からは姿を消したが、呉からの列車の窓から、東に行けば多くの塩田を望む事が出来た。 その中でも松永の塩田は規模も大きかったが、この地が、近代の履物革命を起こした地であることをあまり知られていない。 庶民の履物は草履の時代、下駄は高価であった。 何故かと言うと、下駄と言えば「桐」で作るのが当たり前で有った為である。そんな中、松永の塩田で使用されていた松の木から下駄を作ることが始まった。 松永には県下から大量の松材が集まっていた。 それは塩の最終仕上げに大量の燃料用の松材が必要であったからである。 松は火力が強く塩水を煮詰めるのに適していた。 その松の木から、下駄を作った下駄職人がおり、家族で履いていたが、丈夫ですり減りが少なく水にも強く、瞬く間に広がったそうである。 明治十年代の事だ。
そうして、昭和四十年代まで、下駄と言えば「松永」と言われたのだ。 下駄で育った「松永」も下駄の下火と共に勢いを失い、中国地方では最初の「市対市」の合併の憂き目に遭い、現在は福山市松永町である。 同じような例が今一つある、因島市だ。 造船で栄え、対岸の尾道より栄えていたが、遠洋漁業特に捕鯨が無くなると共に衰退。 尾道と合併していった。 栄枯は繰り返される。 今また因島が脚光を浴びている。 「瀬戸内レモン」の登場だ。 はたして昔の繁栄が・・・・・・。
食後の薬
一日三回、痛み止めが2種類、腎不全、心不全・・・・ 八種類の薬を飲んでいる。 この量になって八か月と二週間が来た。 減る兆しなし。 病状改善の兆しも無し。 かろうじて現状維持である。 小旅行でもしたいが、許可されず。 寝ては食いの繰り返しである。 ぼつぼつセカンドオピニオンでも考えねばならない気がしてきたが。 広島にはこれと言った病院も無し。 行くなら岡山大学病院だが・・・・・。 いささか遠過ぎる気がして決断が出来ないでいる。
広島女子の力強さは、「カープ」の応援だけではないのだ。 広島湾の牡蠣生産量は、全国の七割を超えている。 太田川、瀬野川、八幡川の三川が、広島湾に運んでくる里山の栄養は、牡蠣の成長に欠かせない。 河口の種付け場
太田川の河口で種付された牡蠣は、 筏に吊り下げられて
宮島から東の広島湾で育ち、 こんな施設、牡蠣打場に運ばれて
陸揚げされて、 これが牡蠣打ち場の女性たち
女性の手で、こんな道具で
牡蠣にむき身に変身。 ベテランの方は一日に120kgも生産されると言う。 男は、種付けと、沖で筏につるすだけ。 広島湾の恵みと、女性の力で世の中の出ていくのだ。 広島がガキ養殖の発祥地という事を知る人は少ない。 江戸時代すでに養殖されていた。 皆さん牡蠣の季節がもうすぐやって来ます。
レモンをひとたれ、・・・・・。たまりませんね。
人生で一度は手にされたことが有るだろう。 そう・・・、書道用筆や、絵画用筆、はたまた化粧用筆。
こんなのや
こんなのや
この筆の多くは、広島県は熊野町で作られている。 作られるに至った経緯は、皆さんがお調べください。 兎に角「独占状態」なのだ。 化粧筆に至っては、海外にまで進出。 筆と言えば「熊野」と帰ってくる。 作業従事者は女性が多い。 恐るべし広島の女性軍。