夕庵にて

スマホでパチリ・・・
ときどき写真と短歌を

「犬のしっぽを撫でながら」

2024年07月13日 | 
「犬の尻尾をなでながら」  小川洋子著  集英社文庫

小川洋子と言えば「博士の愛した数式」で読売文学賞と本屋大賞受賞。
数式の「驚きと歓び」について例題を引いて詳しく述べられているが、
凡人の私にはチンプンカンプン、何一つ理解できない。


その後につづくエッセイは、少女時代の「アンネの日記」との出会いと
その後のアウシュビッツへの旅。
飼い犬のしっぽを撫でながら思いつくまま日々の中での小さな出来事に
目をとめたエッセイには思わず頬の緩むのを覚えたものだ。

文学部出身の彼女がこんなに数に興味を持ち小説に昇華させたのには、
やはり頭脳明晰なのだろう。
それと何処までも出かけて事実を確かめようとする行動力だろう。

いやはや小説家は身体強健でなくては出来ない業か。
以前に「ことり」という本を読んだのを思い出したが、
書棚を探してみよう。

窓辺のサンスベリアに新しい芽が出てきた!!

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「ひとは情熱がなかれば生きていけない」

2024年06月13日 | 

「ひとは情熱がなければ生きていけない」 
浅田次郎著  講談社文庫
いつかきっとと熱望しながら回り道をして小説家になった著者  
彼は如何にして 今の地位を築いたのか
生い立ちから家族のことを赤裸々にユーモアたっぷりに書く
三島由紀夫の事件に遭遇し自衛隊へ入隊
小説が世に出るまで二十年かかった
その間に経験したことが小説の題材になっている
競馬にうつつを抜かし 文才より商才に長けていた
風呂好きな江戸っ子と自負する痛快エッセイ集
解説文より抜粋
浅田次郎の小説を好むのは、その文体の簡潔さが私にとっては
読みやすく、親近感を抱くのかもしれない。

紫陽花
 

ヒペリカムアベリア
 

ウメエダシャク珍しいと思ったが昨日も庭で見かけた 

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眠れぬ夜は・・・

2024年05月27日 | 
眠りにつく前に例え何ページかでも本を読む癖がついてしまった。
書店で先日買った本は『妖し』作家10人によるアンソロジー
 文春文庫

作家は(恩田 陸)(米澤穂信)(村山由佳)(窪 美澄)(彩瀬 まる)(阿部智里)(武川 佑)(乾 ルカ)(小池真理子)の10人
それは不思議な夢か?それとも妄想か?
この世界は本物か?
異界の奇譚小説
ますます眠れなくなるのは解っていても
ついつい手が伸びる、怖い世界をのぞき見る。



お隣に咲いたジャスミンの花
密やかないい匂い・・・・
この匂いの中で眠れたら最高・・・

ヒメシャリンバイの赤い若葉が赤目を引く

ひっそりと咲くシャガ

ジキタリス        テイカカズラ                       
 


紫陽花

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「勿忘草の咲く町で」

2024年04月19日 | 
「勿忘草の咲く町で」 夏川草介著 角川文庫

作者夏川草介は信州大学医学部卒業の現役医師である。

若い研修医と老練な指導医、勤務3年目の優秀な看護師の目を通して
現在の医療を展開していく。
「30分に5人の予約で延々と続く外来患者。
山のように押し寄せてくる高齢心不全患者たちを相手に黙々と対応する。
この国はもう、かつての夢のような医療大国ではない。
山のような高齢者の重みに耐えかねて悲鳴を上げている。
倒壊寸前の陋屋です。倒れないためには、限られた医療資源を
的確に効率よく配分しなければいけない。
そのためには切り捨てなければいけない領域がある。」と
指導医の言葉は現場に携わる人なので、確かな言葉として響く。
      忘れな草  netより

信州の美しい景色の中、患者と関わりながら、人の死を見つめる。
大量の高齢患者を如何に生かすではなくて、
如何に看取るか?と言う問題であるという。
本人も家族も納得した死を受け入れるのを助けるのが医師のあり方で
やみくもに延命治療をしてはいけないと。
死というものに対して、無知である人間の何と多いことか、
その人たちに医師はどう接するべきか、若い医師はおおいに悩めばよいと。
これからの医師は生死の哲学をもつべきである。(指導医)
しかし、研修医師は「どんなことがあっても救える命なら
患者が望まなくても救うのが当然ではないか?」と疑問を呈す。
老練な指導医と若い研修医との葛藤の中で
生かすか、看取るかを決断しなければならない。
多くの高齢者を担当してきた研修医は
指導医の冷静な判断に傾倒していく。



実家が花屋である研修医はカタクリの花を例える。
カタクリは根を地中深く張る。しかし、
その大事な根が切れてしまうと、
すぐ枯れてしまう。

 カタクリの花  ネットより

人間もこの世界に張る根が切れていなければ生きるべきだ。
例え96才の老婆であってもだ。そうでない人は看取るべきだと。
指導医の言う言葉は切実だ。

私は、あくまでも本人の意思を大切にしたい。
遺漏然り、延命装置然りである。
生きたいと望みながら死んでいく人、死にたいと思っても死ねない人。
その時どきの状態によって柔軟に対処すべきか。

新しい命の芽吹きを感じるとき、
自分の命のことを真剣に考える。

一輪の花が静かに土に帰って行くように旅立ちたいものだ。



折しも今日の朝刊に京都府立医科大学院に、新コースが開設とあった。
高齢化の進む地域に現場で直面する課題に向き合うことで、
先進的な研究を世界に発信するのが目的とか。
若手医師の地域医療に焦点を当てるとあった。
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『生きるぼくら』

2024年03月20日 | 
『生きる僕ら』 原田マホ著  徳間文庫

いじめからひきこもりとなった24歳の麻生人生。
八ヶ岳の自然、離婚、認知症まで
現代の世相を巧みに取り入れた小説。

残されていたのは年賀状の束。その中に一枚だけ記憶にある名前があった。
「もう一度会えますように。私の命があるうちに」
マーサ婆ちゃんから?人生は4年ぶりに外へ。
祖母の居る蓼科へ向かうと予想を覆す状況が待っていた。
人の温もりに触れ、米作りから大きく人生が変わってゆく。 (解説より)

婆ちゃんが孫に見せたい風景があると連れ出したのが、
なんと御射鹿池だった。
新緑の溢れる緑を映す鏡のような湖面、
そこに現れた幻のような一頭の白馬。
東山魁夷の「緑響く」のスケッチの原点。
婆ちゃんと孫(人生)の夫々の思い。
二人の後ろ姿を靄が優しく包む。

この場面に心騒いだ!!
私も数年前にこの御射鹿池に惹かれて
蓼科を訪ねたのだった。
緑の季節では無く紅葉の時季ではあったが、
池は黄金の静かな静寂に包まれていた。
心の隅に白馬がす~と現れて消えてゆく。
その白馬についておいでと
道案内をしてくれるような錯覚を感じたものだった。

引きこもりの青年が蓼科に祖母を訪ね農業に携わり
自立してゆく課程をドラマチックに仕立ててあった。
最近には無い感動の物語。

◎ 録画を見た。山田太一のドラマ追悼番組
『今朝の秋』
余命3ヶ月の息子と蓼科に住む老いた父
ある日病院を抜け出して二人で父の住む蓼科へ
八ヶ岳の山並み、木々の緑、小鳥のさえずり
若い時代を過ごした自然を満喫する息子。
都会に住む母親と息子の家族も訪ね来てひとときの夏を楽しむ。

紅葉の美しい風景の中での息子の黄泉への旅立ち。
「家族はいいな~」と涙を流す息子の言葉が胸に響く。
残された人たちは夫々の道をまた歩き出すのだが、
新しい家族の構築が暗示されている。
ここでも蓼科という場面があり深夜まで見てしまった。
笠智衆の台詞の少ない言葉には、いつもながらの哀愁が満ちていた。

数年前、蓼科を訪ねたときは紅葉の季節だった。
泊まったホテルで買ったベージュのニットのジャンパーを
思い出して着てみる。
あのときの想い出が浮かんで懐かしい。

山田太一
小説家、脚本家
「ふぞろいの林檎たち」
「岸辺のアルバム」 「男たちの旅路」
名作を残して残念な旅立ちであった。

サンシュユの花


早くもユキヤナギ
   
ローズマリー
    

 
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