夕庵にて

スマホでパチリ・・・
ときどき写真と短歌を

『水曜の朝、午前三時』 

2019年01月29日 | 
『水曜の朝午前三時』 蓮見圭一著 河出文庫

婚約者を捨て、両親の意にそむき、自由に自分の意思どうりに生きたひとりの女性の病床から娘にあてた回想描写。それを読者に紹介するのが娘ではなくて婿が「僕」として案内役となる。物語の設定は大阪万博の昭和45年が舞台。そこでコンパニオンとして働きラブストーリーが語られるが、相手が北朝鮮人だったことから恋にピリオドが打たれ、違う人と結婚して現在に至る。「もしかしたらあり得たかもしれないもう一つの人生、そのことを考えない日は一日もなかった」とベッドの上で悔恨の涙を流す。「午前3時」は恋の相手の妹が亡くなったという時間。



長い人生のなかで巡り合った人との思い出に浸るとき、自分の運命を決めたあの一瞬を頭をかすめるときがある。あの時違った決断をしていたら別の人生がきっと展開されたろうにと。いやこれこそ長いにしろ短いにしろ人生というものだろう。人生は選択の連続だ。やり直しはきかない。「一回性」が人生の本質だと考える。後で後悔することが少なからずあるけれどそれでも人は生きていかねばならない。主人公はこれからの結末を娘夫婦に託し「人生は宝探しです」と告げる。

都はるみの「小樽運河」から
「精進料理の酒を飲み別の生き方あったねと・・・・あなたほんとの男なら私一人にさせないわ・・・」としみじみ歌うような人は現れなかったけどこれもまた私の選んだ人生だね。
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新年歌会

2019年01月28日 | 短歌
京都メルパルクホテルで関西新年歌会が催された。朝から小雪の舞う寒さで、東寺にはうっすらと雪化粧、途中下車して撮りたかったが断念。京都駅からは目の前なのでよかった。東京から主宰と、同人3人の出席。50首の提出歌でありながら出席者は寂しい40名。高齢になると外出できることが難しくなるのだろう。

さいわい私の歌は高得点入選、すこし弾みにはなった。

今日もまた盗人萩の種つけて人とけものがのほほんと来る teto

{盗人萩(ぬすびとはぎ)草むらなどを歩くといつのまにか三角の緑や茶色の種がいっぱいくっつくが、そんなことを気にもしないでのんびりと来た。それをひとつづと取るのは大変な作業。けものをひらがな表記にすることでお散歩の犬だろうかと想像する。}

総評では正しい言葉の解釈、正道の歌、語感に訴えることを常に意識して作歌するようにと指示を受け無事終わった。



帰りは先日の宮中歌会で入選された歌人と電車が一緒になり、当日の様子を詳しく伺った。両陛下からの直接のお言葉に思わず涙がこぼれたそうで、この感覚はご当人しかわからない。
お土産にいただいた菊最中を今日のおやつにいただこう。


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黒法師の花

2019年01月25日 | 日記
散歩をしていて見つけた黒法師のつぼみ、多肉植物のこの葉は黒に近い紫でバラの花のように幾重にも重なっている。冬の戸外でも見かけるが長く伸びた茎の先に黄色いつぼみがついていたのも珍しい発見であった。帰って調べてみると花が咲くとこの木は枯れてしまうそうだ。生かすには花の芽を摘んでしまうこととか・・丁度竹の花も咲くと枯れてしまうということと一緒かも。それだけエネルギーを使い果たすのだろうか。



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teto

2019年01月24日 | 短歌
首かしげ前足そろえる無垢の瞳(め)と犬語でおしゃべりふたりの時間 teto
ひさしぶりにtetoに会った。

 
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鏡開き

2019年01月17日 | 日記
何かと忙しかったお正月もすめば普段の生活に戻り静かな毎日。今日はファインステップ(体操教室)での鏡開きでおぜんざいをごちそうになった。今年は家ではすることもなかったので、この日はサプライズ!!暖かくてほんのり甘いおぜんざいを食べる皆さんの顔もほころぶ。



鏡餅とは??
各家庭に一年の幸福をもたらしにやってくる神様をお迎えするためのお供え物の一つ。鏡のいわれは古来より故事に使われていた青銅製の丸型の鏡に形を見立てたもので丸い形は円満を意味し、餅をかさねることで、円満に一年を重ねるという意味がある。その鏡には神様が宿ると考えられていた。お正月が過ぎて、神様の宿ったお餅を食べることで健康に過ごせる力を授かるという考えである。また小豆には邪気を払うという魔よけの意味があることから、おぜんざいを食べる風習がうまれた。(PCより抜粋)

日本人の持つ確かな信仰性とゆるぎない生活の知恵の継続がいつまでも続くように後世に伝えていかなくてはならないと思ったことである。
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