
梶井基次郎著『檸檬』を読む。
一つの檸檬からいろいろな言葉を紡いでゆく。檸檬を買って京都丸善の書店の
洋書棚のてっぺんに檸檬をひとつ乗せて置いてゆくというたわいもない
行動なのだが、檸檬の持つ重さだとかその色、その時の心理状態であったり、
言葉の持つ不思議な美しさと完璧さをゆっくりと味わった。
一人称で書かれているのでさして物語性はないぶん文章を鑑賞したわけだが・・
梶井は31歳という若さで夭折。生まれは大阪。かつての文学者がそうであるように
彼もまた結核に倒れた人。大学の留年を繰り返しつつも作品は完成してゆく。
病身で徐々に精神も病んでいく。それゆえに生まれた作品は静謐にして澄明。
生まれたのが1901年、100年も前に書かれたものと思えばもう古典ではある。
『桜の樹の下には』
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。
何故って俺はあの美しさが信じられないんだよ。
馬のような屍体、犬、猫、そして人間、屍体はみな腐爛して蛆がわき、たまらなく
臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。
桜の根は貪婪な蛸のようにそれを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食系のような
毛根をあつめて、その液体を吸っている。」
読むのがためらうようなすごい描写、透視力だ。人に話すとみな眉を潜める。
孫に話すとそんなこと言わないで!と気味悪がられた。
満開の桜の樹の下に立つ時、いつもこの話を思い出すのはやはりさくらの精を
思うからかもしれない。ちょっと怖いような謎を含んだような、美しいだけでは
済まされない魔のようなものを感じるのだ。