モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

フェンネル(fennel)の花

2009-07-03 07:41:46 | その他のハーブ
(写真)フェンネルの花


梅雨時となるとフェンネルの葉が雨空に靄って独特の情緒を作り出す。
そして、天空に散らばるがごとくに黄色の小花が秩序を持って咲き乱れる。
「キャラウエイ」「フェンネル」の散形花序はこの立ち姿が美しい。

今年は、2mを越えるほどの大株として成長し、風に傾き、雨にかしぎ支えなしには直立が難しくなった。

移植を嫌う性質があるが、鉢の底から根を出し移動すら拒否して現在地に定着してしまった。さらに、こぼれダネで新しい株が出現し、木の桶を鉢代わりに使っていたところに増殖をし始めた。
華奢な性格のわりには思った以上に図太い。

(写真)2mに育ったフェンネル
        

フェンネル(fennel)
・セリ科ウイキョウ属の耐寒性がある多年草。
・学名は、Foeniculum vulgare Mill var. dulce (Mill.) Thell 。英名がFennel(フェンネル)、Sweet Fennel、和名は、ウィキョウ(茴香)中国名ホイシャン。
・原産地は、地中海沿岸地方(ヨーロッパ南部からアジア西部)
・古代ギリシャ・ローマでも栽培されていたという由緒あるハーブで、中世には、魔術の草として知られた。
・草丈は、1~2mと高いので株間を取る。
・花は、黄色の小花が梅雨時から8月頃まで咲く。
・果実は、10㎜以下の長楕円形をして、1本の花柄に2個が対になってつき、秋には茶褐色に熟す。
・甘い香りと苦味が特徴で消化促進・消臭・肥満防止に効果があり、香辛料・ハーブとして利用。
・移植を嫌うので、植え替えはしない方がよい。

・4世紀ごろ中国に伝わり、魚肉の香りが回復するのでウイキョウ(茴香)と名づけられる。
・日本には平安時代に中国から渡来。「延喜式」に“呉母(くれのおも)”と記載されたものがフェンネルだといわれる。
・葉は魚料理に、ホイルの包み焼きなどでフェンネルの葉を使うとなま臭さが消え、おいしさがます。
・さらに望ましいのは、アルコールの毒性を低下させる成分が含まれているというから左党にはうれしいハーブだ。

命名者
Miller, Philip (1691-1771):
イギリスの植物学者で、1722年からチェルシーガーデンのチーフガーデナーを勤める。1731年に著作・出版した『The Gardener's Dictionary"』はこの時代の最高の植物図鑑。
Thellung, Albert (1881-1928)
スイスの植物学者

        

フェンネルと日本のハーブの歴史
フェンネルは歴史上で最も古いハーブの一つで、原産地は、ヨーロッパ南部からアジア西部の地中海沿岸地域で、全ての部分が利用できる比較的丈夫なハーブだ。

エジプトの古都テーベの墓地に埋葬されていたミイラとともに1冊の本が出土した。
エジプトでの薬草での最古の本“エーベルス・パピルス”で、紀元前1552年頃に著作されたと考えられており、ここには、アニス、クミン、ウィキョウ(フェンネル)、コエンドロ(コリアンダー)、カルム(キャラウエイ)などが薬草として記載されていた。

フェンネルは、健胃、去痰の薬として使われていたが、邪気を取り払う力があると信じられており呪術に、また防腐効果があるので保存料としても使われていた。

玄関ドアに飾る飾りもの(リース)にフェンネルを巻き込むというが、この魔よけの呪術での使われ方の名残でもあり、『聖ヨハネ』の前夜祭に当たる6月23日に飾るという。

では、日本でのハーブのはじまりはいつ頃だろうか?
ここでのハーブとは、①薬草として ②宗教的な使われ方 ③香辛料として ④食材として等を意味している。

日本のハーブの歴史
3世紀頃に書かれた『魏志倭人伝』(著者は西晋の陳寿)に、邪馬台国を中心とした倭の国(日本)のことが書かれており、弥生時代後期後半の日本を知ることが出来る。

そこには、サンショウ・ショウガ・ミョウガは、食品・香辛料としても使われていない。
ということが記載されており、今では日本の代表的なハーブであるが、邪馬台国があったという2~3世紀にはこれらすら使われていなかったことがわかる。

(訳文:その山には丹あり。その木にはダン杼・豫樟・ホウ・櫪・投・僵・烏号・楓香あり。その竹には篠・カン・桃支。薑・橘・椒・ジョウ荷あるも、以て滋味となすを知らず。)

712年(和銅5年) 太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)によって書かれた『古事記』には、ハジカミ(山椒)、ヒル(ニンニク)、蒲黄(ほおう、ガマの穂)などの和製ハーブが登場。
仏教伝来とともに中国の医学が伝わり、ハーブ類も薬草として利用されるようになり、
イナバの白ウサギを治療した蒲黄(=ガマの穂)は、文献に残る日本初の薬草ということになる。
ショウガもハジカミといわれるようになるが、もともとはサンショウのことをさす。

平安時代中期の905年(延喜5年)に醍醐天皇の命により編纂がはじまり、967年より施行された法律『延喜式(えんぎしき)』 、及び、同じ時代に醍醐天皇に侍医として仕えた深根輔仁(ふかねすけひと)が編纂した日本最古の薬物辞典『本草和名(ほんぞうわみょう)』には

ワサビ、カラシ、メカ(ミョウガ)、ハジカミ(山椒)、クレハノハジカミ(ショウガ)
コミラ(ニラ)、オオヒル(ニンニク)、イヌエ(シソ)などの名前が載っている。
さらに注目したいのは、
コニシ(コエンドロ=コリアンダー)、クレイオモ(ウイキョウ=フェンネル)、スエツムハナ(紅花=サフラワー)といった地中海沿岸のハーブがはじめて登場する。

ということは、
10世紀にはフェンネルなどのハーブが中国或いは百済経由で日本に伝来し、薬草として使用されるようになったということだ。
世界史から見ると4000年以上も遅れて日本でのハーブの活用が始まったとも言えそうだ。

フェンネルは、いまでは“魚のハーブ”“魔よけのハーブ”として知られているが、魚・季節のきのこ、そしてフェンネルをいれたホイルの包み焼きは、塩・コショウだけでも十分おいしく仕上がるのでこれはお奨めだ。

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