「鯛めし」というものはいろいろあるものだと思った。
これまでは、焼いた鯛を炊き上がったご飯に乗せ、小骨を取り身をほぐし混ぜ合わせた炊き込みご飯のようなものだとばかり思っていたが違ったものもある。
島根県松江といえば、小泉八雲が1890年から居住し、翌年小泉節子と結婚し「八雲立つ出雲の国は・・・」から日本名を付けたと知られているところだが、ここには古い格式のあるいい旅館があることを何かの折に聞いていた。
名前を忘れていたが『皆美館(みなみかん)』というそうだ。
東京では御茶ノ水にある「山の上ホテル」もそうだが、文人・作家が静養なのか原稿書きでのカンヅメなのかわからないが逗留する隠れ家のようなところのようだ。
カンヅメされるほうとしては、逃げ出したい欲求との格闘でつまらないことにいちゃもんをつけてしまうが、こじんまりしていて落ち着けてうまいものが食べれるところだと我慢しやすい。こんなわがままに答えられるところが『皆美館』のようだ。
日本橋でお昼を食べるつもりで友人に聞いてみたら、この「皆美」を薦められ松江の老舗旅館だということを思い出した。
きっと、納得できる和食が食べれるだろうという期待感が高まり、さらに、珍しいものがあれば申し分ないと思い行ってみた。
お店の場所は、地下鉄日本橋で降りてすぐのコレド日本橋ビルの4階にある。
このビルは、高層のオフィスビルと5階までの商業ビルで成り立っている。4階以外は特別によさそうな店が入っている感がなかったので、日本橋の集客力が停滞しているのかなと思った。
『皆美』の名物は、「鯛めし」だが、“鰻まぶし”“鮎めし”など魅力的なものがあった。多少迷ったが、「皆美家伝の鯛めし」を頼んだ。
(写真)鯛めし御前
(写真)鯛のデンブと薬味(そば具)
(写真)だし汁をかけて鯛茶
何が変わっているかというと、鯛の影も形もなくデンブになっていて卵の黄身、白身と別々に山に盛ってあった。
これをお茶碗に盛り付け、独特のだし汁をかけて茶漬けとして食べる。
ワサビ、海苔、大根おろし、万能ねぎを薬味としてちらし、ワサビがピリッと上あごを刺激して淡白な味に活を入れる。
良く聞こえなかったが、一通りの作法をセットする間に由来に関して仲居さんから口伝があった。後で調べるとこんな内容だった。
“江戸文化文政時代の頃、松江藩七代藩主松平不味公、この人は不味流の茶道の開祖のようだが、消化のよい汁かけご飯が好きでそば具と呼ばれた調味料を工夫していたようだ。ちょうど長崎帰りの用人がオランダ料理を持ち帰りこれを工夫してそば具と汁かけをミックスして日本風の御殿料理に仕立てたという。”
『皆美』は明治21年に創業し、初代の板前長がこの汁かけご飯を「鯛めし」として考案し家伝料理として伝承したという。
確かに御殿料理として洗練されていた。
私の理解では、これは「鯛茶づけ」であり「鯛めし」とは言わないが、新橋の『宇和島』などにも「鯛めし」というのがあり、これは生の鯛の刺身を汁と一緒にぶっ掛けて食べる野趣あふれるものがある。瀬戸内の海賊が考案したというから荒削りだが無駄な様式がない。
「皆美の鯛めし」「宇和島の鯛めし」とも甲乙つけられないが違いがあって面白い。
これまでは、焼いた鯛を炊き上がったご飯に乗せ、小骨を取り身をほぐし混ぜ合わせた炊き込みご飯のようなものだとばかり思っていたが違ったものもある。
島根県松江といえば、小泉八雲が1890年から居住し、翌年小泉節子と結婚し「八雲立つ出雲の国は・・・」から日本名を付けたと知られているところだが、ここには古い格式のあるいい旅館があることを何かの折に聞いていた。
名前を忘れていたが『皆美館(みなみかん)』というそうだ。
東京では御茶ノ水にある「山の上ホテル」もそうだが、文人・作家が静養なのか原稿書きでのカンヅメなのかわからないが逗留する隠れ家のようなところのようだ。
カンヅメされるほうとしては、逃げ出したい欲求との格闘でつまらないことにいちゃもんをつけてしまうが、こじんまりしていて落ち着けてうまいものが食べれるところだと我慢しやすい。こんなわがままに答えられるところが『皆美館』のようだ。
日本橋でお昼を食べるつもりで友人に聞いてみたら、この「皆美」を薦められ松江の老舗旅館だということを思い出した。
きっと、納得できる和食が食べれるだろうという期待感が高まり、さらに、珍しいものがあれば申し分ないと思い行ってみた。
お店の場所は、地下鉄日本橋で降りてすぐのコレド日本橋ビルの4階にある。
このビルは、高層のオフィスビルと5階までの商業ビルで成り立っている。4階以外は特別によさそうな店が入っている感がなかったので、日本橋の集客力が停滞しているのかなと思った。
『皆美』の名物は、「鯛めし」だが、“鰻まぶし”“鮎めし”など魅力的なものがあった。多少迷ったが、「皆美家伝の鯛めし」を頼んだ。
(写真)鯛めし御前
(写真)鯛のデンブと薬味(そば具)
(写真)だし汁をかけて鯛茶
何が変わっているかというと、鯛の影も形もなくデンブになっていて卵の黄身、白身と別々に山に盛ってあった。
これをお茶碗に盛り付け、独特のだし汁をかけて茶漬けとして食べる。
ワサビ、海苔、大根おろし、万能ねぎを薬味としてちらし、ワサビがピリッと上あごを刺激して淡白な味に活を入れる。
良く聞こえなかったが、一通りの作法をセットする間に由来に関して仲居さんから口伝があった。後で調べるとこんな内容だった。
“江戸文化文政時代の頃、松江藩七代藩主松平不味公、この人は不味流の茶道の開祖のようだが、消化のよい汁かけご飯が好きでそば具と呼ばれた調味料を工夫していたようだ。ちょうど長崎帰りの用人がオランダ料理を持ち帰りこれを工夫してそば具と汁かけをミックスして日本風の御殿料理に仕立てたという。”
『皆美』は明治21年に創業し、初代の板前長がこの汁かけご飯を「鯛めし」として考案し家伝料理として伝承したという。
確かに御殿料理として洗練されていた。
私の理解では、これは「鯛茶づけ」であり「鯛めし」とは言わないが、新橋の『宇和島』などにも「鯛めし」というのがあり、これは生の鯛の刺身を汁と一緒にぶっ掛けて食べる野趣あふれるものがある。瀬戸内の海賊が考案したというから荒削りだが無駄な様式がない。
「皆美の鯛めし」「宇和島の鯛めし」とも甲乙つけられないが違いがあって面白い。