戦後に生まれた私たちの世代は、 『選べない』という経験が多くのことでしかも長くあった。
母親から聞いた話では、食べるものがなく選ぶなんてことは考えられない。親は自分の食べる分を減らし子供に多くを与えていたようだ。
着るものはお下がりで、つぎはぎだらけでありファッションなんてなかった。
冬は寒く、夏は暑く暖房冷房をコントロールするなんて考えすら出来なかった。
日本テレビが民放として初のテレビ放送を開始したのが1953年(昭和28年)からで、現在の天皇が美智子さんと結婚した1959年(昭和34年)には、このパレードを見たいがためにテレビの普及が加速したが、この時期にはまだ200万台しか普及していなかった。
アメリカのホームドラマがテレビで見られるようになり、その豊かさに目を見張ったものだ。いつかこういう生活をしたいという願望を作り出したことは間違いない。
豊かさは選べることが背後にあると気づくようになったのは、大学を卒業し社会人になった直後の1973年のオイルショックを経験してからだろう。
買うお金がない時代の貧乏を経験し、買うものがないオイルショックという貧乏を経験し、はじめて身体で経験し『選べないことは貧乏なことなのだ』ということが理解できた。
それから60年以上もたち残された最後のものとしてやっと『政権』が選べるようになりそうだ。
ここまで自民党を長生きさせてきたのは、我々に貧乏を気づかせなかったからなのかもわからない。
でも何かおかしいぞということは気づいていて、参議院ならいいかなということで民主党・野党を選択しておいた。
これが私たちは政治的に貧乏な国民なのだということを決定的にわからせてしまった。
野党が多数を占めるようになったがために、政権与党の大本営的な一方的な発表に疑義があるというチェックする機能がまっとうに動き始め、年金問題で隠し通してきた悪質な行為が明らかになり、“おやこれはおかしいぞ~”となった。
さらに悪いことに、政治的な貧乏だけでなく、経済的な貧乏をも多数生み出すことをやってしまった。産業を起こすという政策を取らずにコンクリート産業だけを重視したために若者の職を作ることをせずに、未来の納税者を路頭に迷うようなことをやってしまった。
自民党の支持基盤である人たちを大事にするが故に「土建国家」作りに予算を使いすぎ、新しい産業を興し、若者の職をつくり、国際的な貿易での補完関係・助け合いを作ってこなかった。
私たちの生活が豊かになる時期を担ってきた自民党だったが、これからの私たちの生活を貧乏にしかねない自民党という構図が見えてきてしまった。
「選べる」ということはありがたいことだ。
経済的にはしばらく厳しい時期が続くので、この間の「貧乏」は我慢することとして、政治的な「貧困」からは脱出できるいいチャンスだ。
我々の生活での経済的な貧乏は、豊かではないとは言い切れないのでこれを愉しみたいものだ。
かっての貧乏な時期を振り返ってみると、夢があり、好奇心があり、向上心があり、想像力を刺激し行動するエネルギーがあったので、心は豊かだったかもわからない。
長寿・高齢化社会では、自分たちの子供・若者に我々の食べるものを譲り、健全な心も持つ社会人として育っていくエールを差し上げたい。こんな原点に戻るチャンスでもありそうだ。
母親から聞いた話では、食べるものがなく選ぶなんてことは考えられない。親は自分の食べる分を減らし子供に多くを与えていたようだ。
着るものはお下がりで、つぎはぎだらけでありファッションなんてなかった。
冬は寒く、夏は暑く暖房冷房をコントロールするなんて考えすら出来なかった。
日本テレビが民放として初のテレビ放送を開始したのが1953年(昭和28年)からで、現在の天皇が美智子さんと結婚した1959年(昭和34年)には、このパレードを見たいがためにテレビの普及が加速したが、この時期にはまだ200万台しか普及していなかった。
アメリカのホームドラマがテレビで見られるようになり、その豊かさに目を見張ったものだ。いつかこういう生活をしたいという願望を作り出したことは間違いない。
豊かさは選べることが背後にあると気づくようになったのは、大学を卒業し社会人になった直後の1973年のオイルショックを経験してからだろう。
買うお金がない時代の貧乏を経験し、買うものがないオイルショックという貧乏を経験し、はじめて身体で経験し『選べないことは貧乏なことなのだ』ということが理解できた。
それから60年以上もたち残された最後のものとしてやっと『政権』が選べるようになりそうだ。
ここまで自民党を長生きさせてきたのは、我々に貧乏を気づかせなかったからなのかもわからない。
でも何かおかしいぞということは気づいていて、参議院ならいいかなということで民主党・野党を選択しておいた。
これが私たちは政治的に貧乏な国民なのだということを決定的にわからせてしまった。
野党が多数を占めるようになったがために、政権与党の大本営的な一方的な発表に疑義があるというチェックする機能がまっとうに動き始め、年金問題で隠し通してきた悪質な行為が明らかになり、“おやこれはおかしいぞ~”となった。
さらに悪いことに、政治的な貧乏だけでなく、経済的な貧乏をも多数生み出すことをやってしまった。産業を起こすという政策を取らずにコンクリート産業だけを重視したために若者の職を作ることをせずに、未来の納税者を路頭に迷うようなことをやってしまった。
自民党の支持基盤である人たちを大事にするが故に「土建国家」作りに予算を使いすぎ、新しい産業を興し、若者の職をつくり、国際的な貿易での補完関係・助け合いを作ってこなかった。
私たちの生活が豊かになる時期を担ってきた自民党だったが、これからの私たちの生活を貧乏にしかねない自民党という構図が見えてきてしまった。
「選べる」ということはありがたいことだ。
経済的にはしばらく厳しい時期が続くので、この間の「貧乏」は我慢することとして、政治的な「貧困」からは脱出できるいいチャンスだ。
我々の生活での経済的な貧乏は、豊かではないとは言い切れないのでこれを愉しみたいものだ。
かっての貧乏な時期を振り返ってみると、夢があり、好奇心があり、向上心があり、想像力を刺激し行動するエネルギーがあったので、心は豊かだったかもわからない。
長寿・高齢化社会では、自分たちの子供・若者に我々の食べるものを譲り、健全な心も持つ社会人として育っていくエールを差し上げたい。こんな原点に戻るチャンスでもありそうだ。