流れのままに。

いろんなことを好きに語っております。

困ったときの・・・

2009-12-03 17:51:29 | Weblog

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え~、師走に入り、皆様はいかがお過ごしでしょうか?

忘年会、クリスマスとイベントも多い時期ですが

体調を崩さないようにしないとね。

僕には全く関係ありませんけど。


人の多い場所に行く機会も増えるでしょうから

インフルエンザや風邪には気を付けないと

お正月は寝て過ごすことになりますよ。

うがい・手洗い・マスクは必須だね。


僕は特に体調の変化もなく、日々を過ごしております。

食欲が戻ってきたのは有り難いね。

これで多少は体重も戻るでしょう。



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(不定期連続小説)

余命-友よ③

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子供達は幸いもう社会に出て働いている。
妻は花屋を経営し、フラワーコーディネーターとしても収入を得ているので、食べるには困らないだろう。
生命保険にも入っているし、多少の蓄えもある。
とりあえず家族の生活の心配が無いというのは、消えゆく者にとって幾分心が軽い。
夜中を廻ってベッドに入ったが、なかなか寝られるものじゃない。
隣では妻もしきりに寝返りを打っている。
暗い天井を見上げながら、残された時間をどう過ごすか、考えていた。
私は小さいながら県内に五軒の飲食店と精肉店を持つ会社の社長をしている。
差し当たってはその業務を社員に引き継がなければならない。
社長は当面妻にやってもらうことになるだろう。社長は誰かに任せて会長でもいい。
一応会社の役員をしているので、引き継ぎに支障はない
部下は精鋭揃いなので、経営の心配は無いだろう。
とにかく中心となる人材は応募を待つより、自ら足で探した者達なので、その道のスペシャリストばかりだ。
特に核となる経理と料理人には妥協しなかった。
店舗管理は、大手ファミリーレストランのスーパーバイザーをリクルートした。
タイミング良く、その会社が経営危機に陥り、早期退職者を募集している最中だった。
私は会社の方にケリがついた後のことを考えていた。
消えゆく命なら、その前に何かをしたいという欲求は、当然湧き上がっていた。
しかしいざ何をするか考えてみると、あれもこれもと頭には浮かぶが
人生最後だと思うと、なかなか決め手に欠けていた。
(難しいものだな)
そう思ったときふと1人の男の顔が浮かんだ。
立科文雄。幼なじみにして親友なのだが、あることがきっかけで10年以上も疎遠になっている。
きっかけはささいないざこざだった。なんだったかはっきりとは思い出せないくらい、小さな行き違いだったように思う。
どちらが悪いというのでもない。
ただ意地を張ったままに、気付くと年月が過ぎていた。
(そうだ、あいつに謝ろう)
それが人生最後のイベントとしてふさわしいのかというと、確かに疑問ではあるが、
人生の汚点として正しておくべきことなのは、間違いない。
疎遠になったとは言え、私は今でも親友というと立科の顔が真っ先に浮かぶ。
翌日から10日間で、会社の業務は妻と社員に全て引き継いだ。
それから予定通り胃の切除手術を受け、2週間で退院した。
何とか胃の2/3の切除で済んだらしい。1/3でも残るのは有り難かった。
最初はどうしても早く食べてしまい、吐き気や下痢などに襲われたが、徐々に慣れていった。
手術後一月は体力の回復に専念した。
体重は減ったが、何とか生活に支障のない程度は回復した。
転移があるので徐々に悪くなっていくのは間違いないが、今のところ症状としてはほとんど出ていない。
副作用の強い抗ガン剤治療は行わないことにした。
統計的に使用してもしなくても、余命にはさほど違いがないらしい。
数ヶ月程度だそうだ。その程度なら、副作用に苦しむよりも、緩和ケアに重点を置くことにした。
ただし、徳永の紹介で、別の病院で行われている免疫治療を試すことにした。
まだ試験段階だが、副作用の無いのは有り難い。
私は残りの時間を自分の為に使いたいと宣言し、妻も了承してくれた。
そこでいよいよ私は考えていたことを、実行に移す事にした。
私はこの時はまだ、立科に謝った上で、本当の最後のイベントを探すつもりでいた。
それが、意外な方向に進むとは、この時はまだ夢にも思っていなかった。
とりあえず立科に会うのが先決だ。
私は彼の実家がある花園市すみれ町へ赴いた。
立科の実家はすみれ町でオーダーメイド中心の靴屋を営んでいる。
足の不自由な人や外反母趾対策の靴など全国から注文が入り、数ヶ月先までオーダーを抱えるほどの需要がある。
店へ行くとご両親は健在で、久しぶりにも関わらず、私の事は覚えていてくれた。
今は3人の若者が、この店で靴職人の修行をしているらしい。
立科の現在の居場所を聞くと、京都で同じような靴屋を営んでいると教えてくれた。
私が彼と仲違いした頃は、まだ家業の手伝いをしていた。
6年前に独立し京都に店を持ったということだった。
「それがなあ、ここ1年ほど音沙汰がないんよ。お正月も帰ってこなかったし」
母親が仕方ないわという風に、笑って見せた。
私は京都まで会いに行くことにして、母親に住所と電話番号をメモして貰った。
「たまには帰っておいでって、伝えてな」
母親の伝言を胸に、私は京都へ向かった。
午後2時をすぎた頃京都駅に降り立った。
空には青空が広がり、秋としてはさほど寒くもなく、過ごしやすい。
有数の観光地なので、駅にも人が多いが、そろそろ紅葉も始まっているので、余計に人の多さが目に付いた。
京都駅を出たところで、立科の店へ電話を入れてみた。
呼び出し音は鳴っているが、誰も電話に出る気配がない。
一度切ってもう一度かけ直してみた。やはり出ない。
今度は携帯にかけてみる。
こちらは「ただ今電波の届かないところか・・・」というアナウンスが流れた。
「おかしいな」
私は思わず呟いていた。
今日は金曜日だ、定休日でもないだろう。金曜日が定休日の商売など、聞いたことがない。
それでも臨時休業にした可能性もあるので、とにかく店へ行ってみることにした。
その前に腹ごしらえをすることにした。
列車の発車ギリギリに飛び乗ったので、駅弁も買えずじまいで京都まで来てしまった。
駅ナカの飲食店街へ行き、うどん屋へ入った。
外食するのに多少躊躇はあったが、うどんは比較的お腹に優しいので、ゆっくり食べれば大丈夫だろう。
うどんは病院の栄養士にも勧められている。暖かい麺類としては、腰があって延びにくいので、
ゆっくり食べるには好都合でもある。
注文した月見うどんをゆっくりと食べ終わり、店を出てすぐ隣にあった喫茶店へ入った。
暖かいココアを注文する。
食べてすぐに動き回ると、お腹の具合が必ず悪くなるのだ。
そこで一時間ほど過ごし、午後4時近くなって店へ向かうことにした。


つづく・・・


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困ったときの小説頼み。

これからどう展開していくのか?

書いている本人も分らない!?
















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○胃癌の情報サイト『胃がん.com』

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ガンのコミュニケーションサイト『カルテポスト』

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