鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

大阪冬の陣と上町台地

2023年12月11日 | 旅行、散歩

大阪城です

秋の大阪城、綺麗ですよ。

NHK 家康で、大阪冬の陣が終わって次回は夏の陣で最終回です。

同じくNHKの歴史探偵で、冬の陣の時に、豊臣秀頼が城を守るために、枚方(ひらかた)の淀川堤防を切って、城の周りを水浸しにして徳川軍が近寄れないようにしたと言っていました。 

 

その時のシミュレーションです。 大阪城の右上あたり広い範囲が池になっています。

枚方と言えば、我々がHNモジュールの運転会をやっている所。

この建物で運転会を行っているのですが、裏が淀川です。

この少し下流の堤防を秀頼が切って、水が人の住んでいるところに流れ込むようにして道を通れなくしたのです。

ということで、京阪電車の駅名で説明しましょう。

真ん中の枚方市の辺りで堤防を決壊させると、水は枚方公園、光善寺、香里園、寝屋川市へと流れてきます。この辺り一体は池になります。 さらに、萱島、大和田、古川橋、門真市、へと流れ、少し飛ばして、守口市から土居、滝井とさらに京橋の手前の野江まで水浸し。 京橋は少し高いので湿地程度だったようの思いましたが、京阪沿線を知っている人には如何に広大な面積が水に浸かったかわかると思います。

この作戦がとれたのは、大阪城が上町台地の上に建っていたからです。

 

大阪上町台地の地図です。 大阪の真ん中に上町台地があって高くなっています。 古代には左側(西)は大阪湾で当然海ですが、海が北を通って回り込んで右側の河内低地と書いたあたりも海で、そこから南の柏原あたりまで海だったので、遣隋使の船などそこまで入って奈良が海から近かったのです。

さて、この上町台地の北の端に大阪城を建てたので、ここから上を水浸しにする作戦ができたのです。

この結果、徳川軍は上町台地の南からしか攻撃ができなくなります。 ところがさすがは家康。決壊した堤防を直して、さらに水抜きのためにあちこちに堤防を作って、みるみる水が退いて行ったとのこと。 突貫工事で夜も寝ずに堤防を作ったとか。 なぜそんなに早く工事ができたかというと、安全基準などない、労働基準法などないので早かったとか。 なるほどです。安全安全は言わずに早く早くと作ったのです。 まあ戦ですから。

この上町台地の上の端、大阪城があるあたりから北が急に低くなって、京阪電車の天満橋駅があってそこを大川が流れています。 秀吉が作った防護のための川です。 そこを越したあたりのところに家康が大砲を置いて天守閣目掛けて撃って、冬の陣は和議になったのでした。

 

この辺りからは上町台地のお話。

地図の上の方に八軒屋浜という川の港があって、昔から海からの荷物をここで下ろして、川用の船に乗せ替えて京都に運んでいた、重要な拠点でした。

この八軒屋浜から上町台地が始まっています。地下鉄で言えば谷町線が上町台地に沿っています。 環状線の鶴橋などは東で上町台地の下です。  地下鉄御堂筋線は西で、それも台地の下。 堺筋線でも台地の下です。

大阪城より少し南がより高くて、難波宮があったところです。 私の通っている学校はこの辺りにあるので、天満橋から歩いて行ったりで詳しいのです。 南に行くと真田丸があったあたりで、その辺りも歩いたことがありますが、ところどころに階段があるほど道は起伏していましたが、真田丸あたりはビルばかりでなにも痕跡はなかったです。

その南に四天王寺があり家康が布陣した茶臼山があります。 そこから南には急な坂を下って天王寺になります。

天王寺にはハルカスがあります。 ここもまだ上町台地の上で、茶臼山から下ってはいますがかなり高いところです。

 

八軒屋浜に戻って

八軒屋浜の常夜燈跡です。 京阪天満橋駅の横で後ろは大川、すぐ左が中之島です。 

 

天満橋駅近くの昆布屋の前に碑があります。 まあ、誰も気がつかないでしょう。

 

この階段が上町台地の始まりです、と説明を聞いていますが、天満橋駅からの広い道がものすごい登りになっているのでその方がよくわかるかもしれません。

 

上がると道が続いています。これが熊野古道なんです。

この近くに

小さな神社があります。ビルに隠れて、この近くで働いていたという人もこの神社を知りませんでした。

でも、有名な神社です。 それは熊野古道の初まりの第一王子で坐摩神社と言います。 熊野古道にはいくつも王子があって、ここが一番なのです。 昔から帝も熊野詣に行っているので、熊野古道は京都から始まっていると思ったのですが、京都から船で八軒屋浜にきてここから熊野に詣でたとか。

 

渡辺津となっていますが、八軒屋浜です。ここに渡辺橋があったそうで、今の京阪電車の渡辺橋は後からできた偽物? とのこと。 ちなみに、全国の渡辺性はここが発祥だそうで、渡辺さん、先祖のお参りに来てください。

 

以前に乗ったことがある水陸乗用車が航行しています。 あの岸の辺りに家康が大砲を置いたのだろうか?

 

さて、ゾロゾロ年寄りが写っていましたが、これは遠足ではありません。 歴史の授業の一環なのです。 この後も色々回った後解散して数人で北浜レトロという紅茶屋にゆきました。

 

クラシックな店で、いつも満席です。

 

中はイギリス調です。 パディントンのくまさんだったかな? も置いてあります。

この階段で長く待って、その間にウエイトレスが注文を聞きにくるのですが、男連中は、紅茶屋なのにコーヒーを頼む人もいたり場所をわきまえろなんですが。 でも紅茶と言って注文しても、どんな紅茶ですかと聞かれて、あったかい紅茶と答えるとダメで、アッサムとかアールグレイとか答えなければならない。

私はダージリン。 知っていますよね、インドのダージリン山岳鉄道はこの紅茶を運ぶために作られたのですから、ダージリンにしました。 ケーキも種類があって、迷うことしきり。 注文するのも大変なんですが、女性陣は慣れたもので、一番美味しそうなのを頼んでいます。 そう言えば男の中にはチーズが入っていないケーキと注文して、そんなものたくさん種類があるのでウエイトレスが困っていました。

 

私は、チーズケーキ、当たり前の組み合わせかな。 

お爺、おばー達なので、この店に似合わなかったかもしれないけれど、高齢の品の良い人たちが来てくれたと思ってもらえれば良いのですが。

話がそれたので

秀頼公を祀ってある神社です。

 

こちらは、真田幸村、数年前まで幸村と呼んでいたのにこの頃は真田信繁としか言わない、

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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