鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

四国 その1 久しぶりの飛行機

2023年06月14日 | 旅行、散歩

大阪 伊丹空港です。

久しぶりの飛行機です。 もう、空港自体が珍しく感じてしまいます。 朝早く起きてリムジンバスで伊丹につきました。 とりあえず、コンビニでコーヒーを買って落ち着く。 でもね、リムジンバスで気がついたのだけれど、カメラを忘れた。 充電してカバンに入れたはずなんだけれど、うっかり出してしまったようだ。 スマホはあるけれどバッテリーとメモリーが心配。

 

手荷物のX線検査で引っかかって、荷物を改めさせられて、肩こり用のアンメルツのような金属の容器が爆発物に見えたのだろうか、毎日持って歩いているものなんだけれど、飛行場での検査は想定していなかった。

天候が悪く、飛行機が遅れている。 高知行きは思いっきり遠くに待合室がある。 早めに待合室にゆく。

大阪駅新ホームとちがって、ちゃんと椅子がある。 当たり前だが大阪駅がおかしい、といまだに怒っているのは先日のブラタモリでも大阪駅新ホームが写ってやはりまだ、椅子が設置されていなかったからだ。

外を見るとプロペラ機だ、これも久しぶりだ。 ボンバルディーとのこと。

 

やはりこの飛行機なんだけれど、傘を差してゆかなければならない。 傘を差して水溜りを避けながらタラップを上がり飛行機のドアのそばで傘を畳むなど初めての経験だ。 しかも、傘を機内まで持ち込んで。

滑走路の順番待ちが長かったけれど、やっと離陸。 加速しているのがジェット機とは違い大丈夫かなというほどの速度。 まあ、速いことは速いんだけれど、何となく心配。 なんとかテークオフして地面を離れた。 天候が悪いのですぐに下界は見えない。 窓の外は真っ白。  そして、雲の中を通るので予想通り揺れる。

そのうちに、ヒヤッとするほど急に下がったり、揺れるは揺れるは、おんぼろバスなどの比ではない。

機長から、「只今揺れていますが飛行には心配ありません」と放送があり、何となく安心するが、「気分が悪くなられた方は袋を用意してあるので早めにご使用ください」。 見ると袋が3つも用意されている。 揺れることを想定してか。

この揺れで1時間はきつい。 どうなることやら、と思っていると水平飛行に入ると揺れはずいぶん少なくなった。

高知龍馬空港は以前にも行ったことがあり、四国山地を通り越してかなり急降下で太平洋に出て海から空港に入る。 それを思い出していて、かなり急降下するだろうと思ったがそれもなく、雨の中に海岸線が見えてきた。 もう着陸寸前だ。 多分、雨雲を避けて遠回りしたとの事で、四国山脈は越さなかったのだろう。

ということで、無事高知空港にランディング。 こんどはボーディングブリッジがあり、傘を差さずに空港に入れた。

 

行った先は、牧野植物園。 朝ドラ、らんまんの牧野さんの植物園だ。

 

雨だが園内にはこういう屋根のある通路があり、ほとんど傘を差さずに歩ける。

 

山の上にあり、晴れていれば景色が良いのだろうけれど、この先には桂浜がある方向。

 

シダにはこういう絵が掛けられていたり、至る所に絵がある。 

牧野博物館もあり、博士のいろいろなものが展示されているが、撮影禁止。 植物を新聞紙などで挟んで山のように置いてあったが、そういう中で生活していたのだろう。 なにせ、お金には頓着ない人で、実家がダメになったあと、貧乏生活をつづけたそうだが、歴史はテレビで見れば良いだろう。

植物園なので植物が山のようにあり、名前も書いてあるがとてもじゃないけれど覚えられないので、たくさんあるなーというのが感想。

 

温室もあるのです。

 

温室入り口。 不気味です。

 

温室なので南国の植物が多く、それも背が高いものも沢山ありました。

 

植物園の地図です。 これを見て歩いたのですが、山なのでかなり高低差があります。 だから、正門から入って中門から出る事。 逆だとかなり歩くのがきつい。 レストランは中門にしかありません。 南門は使用不可。

 

 

はりまや橋から市電で県庁前に。 市電は良いね。

 

この旅館に泊まったんだよ。 実は安いホテルを予約していたんだけれど、前日ホテルから電話があり、事情があって部屋が使えないので他の施設を用意したのでそちらに泊まってください。 価格は同じすから、との事。

この旅館は、山内容堂の自宅跡で、当時の庭の周りにホテルの部屋を建てた由緒ある旅館だ。

ここに、泊まれる。 フロントで名前を言うとすんなり部屋に通してくれて、もちろん追加料金なし。

 

もちろん、ここの料理なので元のホテルの料理よりはるかに立派。  しかも温泉もある。

 

この旅館のお庭の中に、はりまや橋があった。 これは旧はりまや橋を移設したものらしい。

 

ということで、雨で飛行機が揺れたけれど、最後は大儲けの1日でした。

明日は列車で帰るけれど、それも素晴らしい旅で、つづきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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新レイアウトの製作 その23  養鰻池

2023年06月13日 | レイアウト

うなぎの養殖池を作ります。

この穴の部分です。

 

棒を貼って

 

底板を貼りました。

 

底を緑に塗って少し池らしくなってきました。

 

レジンを流すので、流れ止めを作っています。

 

流れ止めにはクリアラッカーを塗ってきっちり目止めをしました。

 

縁はプラの石垣材を使いました。石の間には黒を流しています。

 

案外簡単に池の縁ができました。

 

水の取り入れ口です。

 

木で柵を作って

 

水の取り入れ口完成。 それにしても雑な作りだ。

 

この時点で、電柱などの照明の配線をして、もちろんコントローラーから配線を引いてくるのでレイアウトの下での作業が大変でした。

 

電灯の点灯テスト。 OK

 

エコーの腰板だったか、買い置きがあったののでこれを利用して

 

柵を作って

 

池の隅に設置しました。 これは多分、油などの汚れなどが溜まるようにしているんだと思います。

何故養鰻池を作ったかというと、子供の頃親戚でこんな池でうなぎを養殖していた。 弟と毎年夏休みに行ってこの池で遊んでいたので思い入れがあるのです。 でも、弟に、こんな池を作っても、見た人は何かわからないだろう。 わかるのは二人だけだ、と言われつつ作っているんです。

 

これは大昔に作ったレイアウト、駿遠線です。 ここにもちゃんと鰻の養殖池を作っていたのです。 そのコピーですが、今度の方が大きい。

でもって、親戚の池の風景、見渡す限りこの写真のような池がたくさんあって、村全体が鰻の村でした。 このレイアウトの参考にと思って、最近gogleストリートで見たら、何と、池は全くなく、それどころか国道が走っていて、コンビニまである。 池の部分は宅地にできないらしくて、大きな会社がたくさんあって、完全に別世界になっていました。 弟と二人でびっくりです。 だからこそ、余計この池の風景を残さなければと思った次第です。

 

つづく

 

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ギター発表会

2023年06月12日 | 雑談

私の趣味は1に鉄道模型、2にカメラだったのですだ、最近入れ替わって 1に鉄道模型、2にギター、3にカメラとなったのでございます。 他に旅行、その他色々遊ぶことは行っていますが、昨日はギターの発表会がありました。

私のギターはクラシックギターです、どちらかというと一人で弾く暗いイメージがあるかもしれませんが、独奏するというのは物凄いプレッシャーがかかるのです。

雨だったので、ギターのケースに専用のカッパを着せて家を出ました。 絶対に楽器を湿らせたくないのです。

 

場所は、二条城のすぐそばの堀川音楽高校のホールです。 この高校は音楽大学に行く人たちが来る、いわゆるプロの音楽家になるような人たちが来るので立派なホールがあります。 そこでの演奏で、晴れ姿の写真をお見せしたいのですが、撮影は自由ですが、施設が写っているものは公開不可というのがホールの規定です。 ですからお見せできない。

 

こんな格好をして出かけたのは20代の頃ですね。 後ろのトラックを見ると時代がわかります。

これから50年以上ですが、ずっとギターを練習していたわけではありません。 間がそれこそ50年抜けています。

職場のサークルでの演奏会です。 ギターケースを足台にしているので大した会場ではありませんが、何を弾いていたんだろう。

 

昨日の画像です。 バックを消してホールがわからなくしたのでこれなら載せても良いだろう。 蝶ネクタイをしているのは数年前に高齢者学校で合唱をした時に百均で買ったもの。

演奏スタイルはあまり変わっていないようです。

最近のギタリストはギターをもっと立てて持って、チェロのような感じで弾きますが、真似をしようとしても今更無理です。

 

ピアノの発表会などと同じで習っている人たちが発表演奏するので、子供から若者、年寄りと色々いてレベルも様々ですが、若者はクラシックではなく歌やエレキなどもあります。 

10時に集まって記念写真の後、いろいろな演奏があって私の出番は3時半ごろ。 それまで適当に聴いたりしているのですが、楽屋で昼食どきにペットボトルのお茶をYシャツにこぼしてかなり濡らしてしまった。 お茶を飲みながらスマホを操作していたのが間違いで、かなり大きくYシャツが濡れている。

お茶なので色がつかないかと自分ではよく見えないので写真に撮ってみました。

あまり見えないようだ。この時点でもかなり濡れていたのだけれど。 やはり緊張しているので失敗が多い。 コーヒーでなくて良かった。

 

1ヶ月ほど前には、教室でリハーサルをして緊張する練習をしているんだけれど、やはり緊張度は模型の運転会の比ではない。

 

ちゃんとしたパンフレットもあるのですが、こちらは進行表。 これをみて自分の出番が近くなると楽屋裏で練習を始めます。 他の人の練習を聞いていると上手に聞こえるので、ますます緊張します。 ピンクで塗ってあるのが私です。

出番の3番ぐらい前になると呼ばれて、待機します。 すると手に汗が出てきてこれは困った、汗で指が滑らなくなると困るのでハンカチを出してギターをハンカチで握って待機。 そして、次の番になると舞台裏に移動。 ここでは静かにしていないといけない。 前の人が弾いているのが微かに聞こえるが、とても上手そうだ。 間違ってくれれば気が楽になるんだけど、なんて悪いことを考えちゃって。 結構長い曲なので、ハンカチでギターを磨いてピカピカにして、照明でギターを光らせてやろうなど気を紛らすことを考えたりして。 ソロは緊張するのです。 誰も助けてくれないのです。 緊張して手が震えて上手く弾けなかったことは多々ありますが、さらに頭が真っ白になると、止まってしまいやり直そうにも、何が何かわからなくなるのです。

 

舞台の扉が開いて、「はい、どうぞ」と押し出されるようにされると同時に、紹介のアナウンスが鳴る。

舞台の上を歩いて、真ん中に置いてある椅子に行くのだけれど、観客の顔が見える。 端に座っているのはNASAさんだ。 椅子の横に立ってお辞儀をする。 お辞儀はリハーサルの時に練習しているので、背を伸ばして顔を上に向けて堂々と? お辞儀をゆっくりする。 椅子に座りハンカチで手を拭いて、この辺りはベテランの雰囲気だっただろうか、前を見ると孫が座っていた。 

少し音合わせのふりをしながら小さな音を出す。 最後の音合わせももちろん大事なのだけれど、実は緊張でほとんど聞こえていない。 音合わせのふりをして落ち着こうと思っているだけだ。 それも長くできない。

本番の演奏。 最初の音を出したが最後、もう進むしかない。 最初の音から少しのフレーズが難しい。 ここで失敗すると後に響く。 でも、上手くいったのです。 これで緊張は少し和らぎ、あとは流れるように弾ければいいんだけれど、素人の悲しさ、流れるどころか澱んでくる。 でも、良いホールは音響効果が良いので、自分のギターの音が綺麗に響いているのがわかる。 実に気持ちが良い。  ということで、細かいミスはあったものの無事最後まで辿り着いた。 特に最後は思ったようにできて、終わりよければ全て良し、で、気分良く終わりのお辞儀ができたのでした。

あっ、曲名ね 「アラビア風奇想曲」でした。

舞台を歩いて端までゆくと、戸が開くはずなのに、開いていない。 自分で押し開けて、舞台裏に出ると、ドア係が居眠りをしていたという落ちが付いていました。

楽屋からエントランスに出ると、HNモジュール仲間がいてくれました。 来てくれていたんだ。 昔からの友人もいたし、そこで興奮したまま何か話したけれど忘れてしまった。 そして記念写真を撮るのも忘れてしまった。

 

これはホールのパンフレットの写真だ。 こんなホールでの演奏でした。

最後のトリの人は若いのですがとても上手で、アルハンブラの想い出を弾きました。 トレモロが綺麗で私なんぞよりもずっとうまい、 前半が終わり中間部に入ったところで、ピタッと止まってしまった。やり直そうにも上手くゆかずモタモタしている。 それでもやり直したところからはまた上手く弾いていたのですが、再度止まった。  上手な人でも真っ白になって止まってしまう事がある見本でした。 でも、止まってもこの方が上手だということはよくわかる「良い演奏」でした。

帰ったらくたくた、ビールが美味かった。

音ファイルを載せようと思いましたが、載せられないようです。

そうそう、会場を出る時に女の人が追いかけてきて、とても良い演奏でしたと褒めてくれました。 そして昨年はスペインの曲でしたねと覚えてくれていたのにも嬉しかった。 やはり、褒められるのは大好きです。

 

 

 

 

 

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新幹線

2023年06月10日 | 実物の鉄道

先日、NHK、こころ旅で火野正平さんが、鳥飼の新幹線基地の付近にゆきました。

自転車で走っていて、新幹線を見つけました。

 

ここは公園です。

 

車内に入って懐かしい。

 

手すりにある灰皿を見つけて大喜び。 この人は喫煙家なので、ここに吸い殻を山盛りに入れたろか、など言ったりして。

 

運転台で大はしゃぎ、まるで車の変速ギヤのようだと、

 

しかし、さすがにNHK, 公園の新幹線だけではなくて、最新の整備工場内に

 

女性スタッフの横で大喜び。

 

これは、私が写した鳥飼基地。 大阪から京都に向かう途中、あっというまに通り過ぎるのですが、うまく写したと思いませんか?

 この写真を載せたくて、正平さんのこころ旅も載せたということ。

 

 

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海外旅行 1995年 シカゴ4  最終回 工場見学など

2023年06月09日 | 海外旅行

1995年に小さな学会のツアーでアメリカのシカゴに行った話ですが、前回はシカゴの環状線、ループを書きました。

今日はツアーの一環で、工場見学です。

シカゴの郊外にシーメンスの工場があります。 シーメンスはドイツの会社ですが世界中に工場を持っていて、ここはガンマカメラなど核医学の装置を作っています。

すごいリムジンが並んでいます。 これでホテルに向かいにきてくれました。私は白い方、長いですね、これに乗りました。気分は最高。 でも偉い先生が横にいるので緊張の連続。

玄関に入ると、シーメンスの職員が並んで歓迎してくれています。 そこを通った時に私の名前が呼ばれました。 みると、Toka・大学病院にいたMさんです。 放射線技師として学会発表や論文などたくさん書いていた人ですが、シーメンスのバッジを付けている。 こちらに転職したのです、との事。 若くてよくできるので引きぬかれたんだ。 でも、今後結構厳しいかもしれない。

工場ではガンマカメラのコリメーターを作っていました。 そこの技術者がこのコリメーターはvery、very、very good と3回もveryをつけて言うので、思わず、クスリと笑ってしまった。 そしたら それが聞こえて、「なんで笑うんだ!」と怒り出した(もちろん英語で)。

「だって、veryを3回も言うんだもん」「本当にすごいんだ、証拠を見せてやろう」 とコリメーターのテスト装置、高い天井に線源をおいて、コリメーターを通る光を見る、本当は放射線線源だろうけれとここでは光。 と言うようなことが思い出されます。

 

工場見学の後はシカゴ科学産業博物館に行きました。 ここは以前に何度も行っていて、入った所に大きなOゲージのレイアウトがあるところです。

ここでは、医学関係のところに。 これは何でしょう? 人骨ですね。

これって、本物の人骨です。 頭を見ればわかるけれど、小さな骨から成り立っていることがわかります。 耳小骨という耳の中の小さな骨もちゃんと展示されています。

本物の人骨を展示してあるところがアメリカだ。 

 

これは、人間の頭のスライスだ。 ハムのようにスライスしてある。 もちろん本物の人間の頭なので脳もスライスされている。

手前に引き出されているものには目玉も写っている。

そして、奥にあるのがその部分のCTのスライス像だ。 だから、両者を比べるとここはこういう風に写ると言うのが理解できる。

人間の脳をスライスして一般の人に見せる、一般人というよりむしろ子供に見せて教育する目的だ。 だからこのエリアに子供がたくさんいる。

 

最後の夜です。 シカゴ大学のメンバーと送別会が開かれました。 日本料理屋です。しゃぶしゃぶかな? 私の向かいの女の人はMさんで、以前行った時には院生だったが、多分この時には助手。 数年前日本に来た時には助教授になっていた。 左手前の男性は、おじいさんが日本人で、苗字はnishikawaと日本名です。 でもまったく日本語は話せません、 この数年後日本に来られた時には、神戸で講演をしていただいて、その後、三ノ宮のスナックでカラオケを歌ってもらった時にイエスタデーを歌ったのですが、英語がうまい。 当然ですが日本人みんな思わず、ウォー と声を出すほど日本人が歌うイエスタデーとは全く違う発音。 やはりネーティブは違うと実感したのです。

 

夕食について、この前々日にK君と二人でシカゴのタウンタウンの普通のレイストランに行きました。 ステーキ系のものを頼んだのですが、そのステーキが大きい。 藁草履と言っても解らないかもしれないけれど、こう言う時には草履のようなステーキというのだが、味は無いし、なによりも大きすぎてとても食べきれない。 二人とも半分以上残したら、珍しそうに見ていたウエイター達に笑われてしまった。 なんと少食な、ということだろう。

その翌晩はやはり二人で、紅花of東京に行った。 日本のステーキレストランで日本人のシェフが包丁を日本刀のように扱うようなパフォーマスンスをして目の前の鉄板で焼いてくれるのです。 これは以前にも行ったことがあるので安心して行ったのですが、案の定、味は抜群。 やわらい肉だし焼き加減も良いし、K君も大満足で完食。 やはり日本人の店に行かないと。 でも価格は下町のレストランの数倍したかもしれませんが。

 

帰国です。 オヘア空港で、このツアーで知り合いになったIchiさんと、この方も放射線技師でしたが、国立大学の教授になりました。 それはそれはとても良くできる人ですから。

 

コロナのこともあり今時、飛行機に乗らないので、こういう写真が懐かしい。 オヘアだったか成田だったか。

 

さて、帰りの飛行機の中で、12時間ほど飛行するので時間は十分にある。

この立っている先生(もうお亡くなりになっていますが)、この学会の名誉会長?だっただろうか、私の放射線技師学校の恩師なんですが、この先生に捕まった。 大学に行って学位を取れとの事。 入学ではなくて、委託研修という制度を使って研究しろとの事。 そんな難しいことはできないと断っていたが、受け入れてくれる先生を紹介するからと、この時にいた他の先生に私をその先生のところに連れて行く段取りをつけてくれて、もう断れない。 1年で終わると言われたが、その後結局3年かかることになってしまいました。

 

日本に帰ってきました。

この写真、自分でもどこだか解らないので、数年前に私のホームページで、ここは何処?と聞いたら、早速、これは神崎川との返事をいただきました。 そうなんだ、伊丹に着陸寸前の写真だったのです。

やっぱり海外旅行は面白かった、これでこの旅行記を終わります。 K君あちこち連れ回してごめん、お疲れ様でした。

 

おわり

 

 

 

 

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