大型台風が吹きまくる中、総選挙は22日、終了、自公の与党に軍配は上がったのは、現在の日本に、国民が危機を感じたからにほかならない。
政策論が置き去りにされては、国民はたまらない。
さあ、日本は、どうなる???どこへ行く???
公明は、明確な指針をスローガンを打ち出さなかった。品格のある政策は、どこに行ったのか。
他党を攻撃しただけでは、公明の票は増えない。
記者は、公明党がカギを握る思っていたが、自民にくみする与党として、公明党がほかの党の傷口を開けるような先兵隊の役割になってしまったのは、中道を意識する有権者に不快感を与えたのではないかと評したい。公明党は、。連立の強味は、互いの選挙区の候補者に票を重ねるのが通例であろう。しかし、自民は、公明に協力したのか??? NO であろう。
公明は、なぜ、失速したか。なぜ、自民にのみこまれたのか。をしっかり検証が必要であろう。記者は、こう考える。国民のかゆいところまで、政策がとどこうりなく伝わるのが、公明のスローガンであろうと。しかし、今回は、あれほど、都民の選挙において、小池百合子都民ファーストと組しておきながら、都議会で公明と都民ファーストが決別すると、いざ国政は与党なりと自民と連立に力を注いだ。そこまでは、公明を支持する有権者は、一直線だったと考える。どこで狂ったか。それは、山口代表が、民進党が分裂し、希望の党ができた時点から、山口は、共産党攻撃から、希望の党の新参者が何ができるかと、攻撃論破したのは、自民の先兵隊かと有権者にクエスチョンマークをつけられた。公明は、この攻撃で品格を亡くし、知識層の有権者にそっぽを向かれたといっていいのではないか。公明は、あくまで、よその党ができない政策論で有権者を増幅させるべきではなかったのか。北朝鮮、韓国、中国などの正面から挑まなかった罪は大きいといわねばならない。公明は、支持する有権者を納得させたに見えても、支持する党を持たない中間層からの支持を受けていないと解釈する。その人たちは、判官びいきの立憲民主党へなだれ込んだのは否めない。前原の決断は、悪くはない。間違ってはいなかった。
しかし、希望の党が我こそは、と名乗りを上げても、公明の支持者から、そっぽを向かれた時に、すでに崩壊している。しかも, 司令官のいない旗艦は、荒波の航海を続行するには、幽霊船に近い。小池百合子は、公明とたもとを分けたとき、もう一度、原点に返り、タガを緩めてはならなかったのだ。おごり、傲慢、有頂天になったとき、人間の本位は崩れる。この失策を取り戻すには、オリンピックの成功を悔いなくやり遂げることだ。人気だけでは、国政は無理だ。政治家は、政策論で勝負すべきである。その政策に国民の命がかかっている現実は、責任重大である。
日本時事新聞社 論説委員 古賀剛大