ゴルフタイムスの世界   Eagle Eye

ゴルフタイムス編集の古賀のイーグルアイは、焦点を外さないのが自慢です。面白くて、実践的で参考になる記事を提供したい。

20% 有事があると踏まれた以上、最悪のシナリオも頭に入れよう。核戦争の脅威

2017-10-25 | 日本時事新聞社

アメリカの権威筋が、北朝鮮との有事が、最低20%あると報じた以上、日本も巻き込まれるか、当事者になるので、核爆発なども考えて、対処していくのが、正論であろう。

朝鮮半島有事の際は、まず韓国の在留邦人をどうして、日本へ運ぶかである。その数、最低5万5千人が現在、何らかの形で韓国にいる。アメリカ人の在韓は、20万人ともいわれて、これまた、脱韓の時間が問われるとき、アメリカ、オーストラリア、カナダなどと組織を一つにして、運ぶ手立てが急務である。日本は、憲法違反などと、言っている場合ではあるまい。自国の国民を救済できない国家など、国民が信頼するわけがなかろう。政府は、国民を守る重大な使命の下に、信任されてわけで、超党派で危機を乗り超える枠組みを作るべきであろう。自衛隊の輸送機の派遣は、世界の常識から思考しても、極、自然なりというべきである。韓国は、日本に協調路線を忘れては、韓国自体が世界の常識から乖離する羽目に墜ちてしまい、国際間の信頼は保てないだろう。いまだに、慰安婦問題で、銅像を外国まで、いたる処に設置する悪癖は、未来に禍根を残す材料となろう。自分の国が、どれだけ蹂躙されてきたか、どれだけ、弱い国家であったか、どれだけ、怨念の恨で、平和を喪失させたか、などなど、決して国家安泰の旗印にプラスにはなるまい。韓国がそれを土台に正義をうたうならば、昔の元や過去の中国に、虐げられた歴史をどう考えているのか。もう少し、韓国は、自分の国家の誇りと自信を世界に発信してこそ、韓国と韓国人が世界に認められる興隆の時代を謳歌できると思考する。北朝鮮が、韓国になだれ込むのは、有事となれば、言を待つ必要もない。北朝鮮は、有事で崩壊を見る前に、ロシア、中国がどう出ていくのか、大きな疑問が残る。戦前に、不可侵条約を破棄して、日本に宣戦布告、戦争犯罪者としシベリアなどの極寒不毛地帯に35万を超える日本人を捕虜とし、死者25万人,いくへ不明者、10万、約35万の日本人が帰らぬ人となった。そんな国が、朝鮮族を守ると思うか。中国も、北の崩壊は、政経両面から、朝鮮族の扱いに自由であるまい。日本に朝鮮族、とくに韓国人は、我が国になだれ込むのは、道徳的上、止めるのは至難である。20%の確率は減るどころか、ましている。すでに、英国は、アメリカに理解を示している。

さあー。我々は、どうする?

              日本時事新聞社       論説委員       古賀剛大

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正しい歴史認識    国際事情 中国を研究しよう(6)

2017-10-25 | 日本時事新聞社

『「南京事件」―日本人48人の証言』(小学館文庫)

阿羅健一著

その3―第一章 ジャーナリストの見た南京 3、読売新聞 4、同盟通信


St,Joseph International unversity

国際社会工学部  主任教授

古賀 剛大 様

 

 今回は第1章「ジャーナリストの見た南京」のうちの

3、読売新聞(報知新聞も含む)4人 

4、同盟通信 3人

の証言です。

 前回の朝日新聞、毎日新聞の記者、カメラマンの証言とほぼ同じといってよいかと思います。いわゆる大虐殺など見た人も、聞いた人もいませんし、社内で虐殺が話題になったことは一度もなかったという点でも同じです。

 虐殺を見た、という人はいますが、兵士、捕虜の殺害で、戦時には起こり得ることを虐殺といっているものです。したがって、当時虐殺とは思わなかったし、記者仲間のだれも「虐殺」を話題にすることもなかったというわけです。

 ただ、ほとんどの記者、カメラマンの発言に見られるのは、戦後東京裁判で「南京大虐殺」が断罪され、また朝日新聞の本多記者の「中国の旅」が反響を呼んでから、自分は全く見ても聞いてもいなかったのだけれど、「あのこと」が「南京虐殺」の一部だったのか、という考え方です。

 例えば、報知新聞の二村カメラマンは、「南京にいる間見たことはありません。戦後よく人から聞かれて、当時のことを思い出しますが、どういう虐殺なのか、私が聞きたいくらいです。・・・それで思い出すのは、南京に入った時に城内に大きい穴があったことです。」と、この穴が虐殺と関係あるのかと思い出すのです。しかし、20メートルX30メートルの穴、南京虐殺中とは何の関係もないのは言うまでもありません。ほかの方でも、今になって問題の兵士がいたから、とかいろいろと「あった」ということを合理化しようとする傾向が見られます。

ウソはウソなのであり、その前提に立ったこじつけは、実は虐殺派の学者の論もほとんどその考え方に立っており、とんでもない間違いです。

 

 日本語原文:http://www.sdh-fact.com/CL02_2/48-3.pdf

英訳文:http://www.sdh-fact.com/CL/Ara-Nanjing-3.pdf

 

海外には、下記の通り英文で発信しました。

 

平成29年10月25日「史実を世界に発信する会」会長代行 茂木弘道拝

http://hassin.org

 

The Nanjing Incident: Japanese Eyewitness Accounts

-Testimony from 48 Japanese Who Were There-

By Ara Ken’ichi

No. 3: Chapter 1  Nanjing, as Observed by Journalists

3. Yomiuri Shimbun Newspaper

4. Domei Tsushin Newspaper

 

   We present No. 3 in this series, which contains Chapter 1: Nanjing, as Observed by Journalists, 3. Yomiuri Shimbun Newspaper (four staffers) and 4. Domei Tsushin Newspaper (three staffers).

   Statements from reporters from these newspapers are nearly the same in key areas as statements by reporters of the Asahi Shimbun and Mainichi Shimbun, presented previously in No. 2 of this series. They neither saw a massacre nor heard of a massacre. Furthermore, in their company group meetings, “massacres” were not at all raised as a potentially significant news item.

   Some reporters mentioned that they saw “massacres”, but this merely meant that they saw corpses of Chinese soldiers or executions of plain-clothed soldiers operating outside of the bounds of international law. These are, in fact, universal on battlefields. So, at the time, no journalist thought they saw a “massacre,” and, consequently, did not raise these occurrences as topics in their meetings.

   However, at the post-war Tokyo Trial, the Japanese army was accused of having committed a “Nanking Massacre”. With such an accusation, journalists then began to wonder, “Was what I saw related to the ‘Nanking Massacre’?” Perhaps they thought that the Chinese prisoners they saw must have been executed, and so on, assuming there was, indeed, a “Massacre”.

   For example, Mr. Futamura, photographer for the Hochi Shimbun said, “During my stay in Nanjing, I never saw anything like that at all. After the War, people often asked me about this but I have no memory about it. For sure, I would want to know about this.

… I thought and I remember that I saw a huge hole inside the Castle.” Even a 20 meter x 30 meter pit becomes “evidence” of a “massacre”.

   Not only journalist but academics also show a similar way of thinking—making up stories concerning the “Nanking Incident” based on the assumption that that there was a “Nanking Massacre”.

      

  URL: http://www.sdh-fact.com/book-article/1054/

PDF: http://www.sdh-fact.com/CL/Ara-Nanjing-3.pdf

 

Questions are welcome.

 

MOTEKI Hiromichi, Acting Chairman

for KASE Hideaki, Chairman

Society for the Dissemination of Historical Fact

Phone: +81-3-3519-4366

Fax: +81-3-3519-4367

Email moteki@sdh-fact.com

URL http://www.sdh-fact.com

Note: Japanese names are rendered surname first in accordance with Japanese custom.

70万アクセスの読者へ

歴史的事実を確認するには、正確な裏付けを基盤とした判断にゆだねるのが常識である。しかし、他国は、どの国であろうと、プロパガンダで歴史的裏付けがないのに、あたかも真実のごとく歴史を塗り替えようと必死である。特に、敗戦国には、戦勝国の言い分に、正面から逆説を唱える好機を喪失してしまい、その虚偽の歴史観があたかも、歴史そのものだと後世に残って禍根を残すことになる。だから、国家は、最大の努力裁量をして、正しい歴史を後世に伝えるべきである。精査なくあいまいな歴史を後世に残すのは、国家の罪悪だといっても過言ではない。

                                (古賀剛大)

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