小さな栗の木の下で

保護犬のミニチュア・ダックスを引き取り、
小型犬との暮らしは初めて!という生活の中で、感じたことを徒然に…。

今日はクリの誕生日

2013-05-02 | 犬&猫との暮らし

 クリが生きていれば、今日で14歳になるはずだった。とはいえ、生まれてまもなく飼育状態も悪い環境に置かれ、満足な栄養も摂取できない4カ月を過ごしたクリが13歳まで長生きしてくれたことは、本当にあっぱれなことだ。健常なラブラドールなら生後4カ月で10キロあってもいいところなのに、クリは3キロもなかったのだもの。

 私にとって成犬になっても25キロもないラブラドールは本当に「おチビちゃん」だ。息を引き取る最期の最期まで、一生懸命生きた私の愛しいおチビちゃん、天国でトチやブナとまた一緒に駆け回っているかな。

        
        悪性黒色腫を発症する前の見てくれの良いクリ

 クリが逝って、まだ1カ月も経たない。ブナが逝って、まだ4カ月も経たない。毎日泣かない日はない。2頭が横になっていたマットに顔を埋めては泣き、2頭が使っていた胴着を抱きしめては泣いた。

 スーパーに行くと、クリに食べられるものを探し求めていた時の切羽詰まった気持ちが蘇り、息が苦しくなる。ローストビーフや鶏のササミは見たくない。
 ドラッグストアでアミノ酸の入った栄養ゼリーを目にすれば、力が抜けてその場に座り込んでしまいたくなる。何か必要で買い物に行ったのに、ただ虚ろにのろのろと通路を歩き回ってしまう。傍から見るとかなり挙動不審な人だろうと思う。

 先日は打ち合わせの帰りの電車内でバスの時刻表を確認しようとした時、もう急いでバスに乗って帰る必要がないことに気付いて、涙がこぼれた。うつむいて涙を拭いて駅に降り立ち、帰って玄関にある鏡をのぞいたら、マスカラが落ちてタヌキ顔になっていた。こんな顔を人前に曝していたのかと、一人で泣き笑いであった。

 ブナもクリも病と闘ったけれど天寿を全うできたと思うし、看取りは私の務めだったから喪失感はあってもきちっと受け止めることはできる。
 ブナとクリの闘病中から亡くしたあとまで私を苦しめてきたのは、看病と看取りという行為の辛さではなく、ブナと同じ年のラブの飼い主さんの言動だった。


 まったく予想外のことだったけれど、でも、それも丸ごと私が受け止めるべき、あの子たちからの贈り物なんだろうと思う。泥沼のようなその辛苦から抜け出せたあとに、少しでも成長した自分がいればいい。

コメント
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