十勝の活性化を考える会

     
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人間の潔さとは・・・

2019-06-16 05:00:00 | 投稿


私はいつも思うのだが、人を殺して容疑者が逮捕される。そしたら、「自分は、殺していません」と容疑者は答える。物的証拠が出てきたら、「殺しました」と答える。私ならば、自首するか逮捕された時点で、「私がやりました」と答えると思う。(冤罪が無いこともない。)

最近、このようなしたたかな人間が増えた。なぜ増えたのかは分からないが、増えたように思う。50年前、これに関連して自衛隊を前にして割腹自殺した作家の三島由紀夫や先日起きた練馬事件の事務次官だった人には、人間としての潔さを感じる。殺人は良くないが、潔く生きることが人間として大切だと思う。三島由紀夫氏は、まさに武士道を地でいったのだと思う

ところで私は、臨機応変という言葉が好きだ。この言葉には、主体性が無いように感じられるが、最近、頑固な老人が増えたらしいので一考に値すると思う。

保守と革新、右翼と左翼などがあるが、中庸もある。臨機応変は、この中庸に繋がる。また、多様性にも繋がると思う。経験や知識が無ければ、この多様性を備えることができない。だから、“現場に赴き現物を取って現実を知る”という三現主義が、生きる上で大切でないかと思う。

繰り返しになるが、人間は潔く生きることが大切だと思う。それが間接的に、十勝の活性化にも繋がるのではないかと思っている。

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) 武士道

武士道は、日本近世以降の封建社会における武士階級の倫理道徳規範及び価値基準の根本をなす体系化された思想一般をさし、広義には日本独自の常識的な考え方をさす。これといった厳密な定義は存在せず、時代は同じでも人により解釈は大きく異なる。また武士におけるルールブック的位置ではない思想である。

武士道は江戸時代、支配階級である武士に文武両道の鍛錬と徹底責任を取るべきことが求められたことに始まる。狭義の武士道は、この「文武両道の鍛錬を欠かさず、自分の命を以って徹底責任をとる」という武士の考え方を示し、広義の武士道は、この考え方を常識とする日本独自の思想を示す。

なお、この武士道という言葉は、新渡戸稲造の著書『武士道』で広まったものであり、「武士道」という言葉は明治33年(1900年)以前のいかなる辞書にも載っておらず、江戸時代には一般的な言葉ではなかったとの指摘もある。

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)



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