十勝の活性化を考える会

     
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これからの日本 

2021-02-14 05:00:00 | 投稿

日本が再生するためには、現在の資本主義を見つめなおす必要があるかもしれない。そして、財政健全化と東京一極集中の解消が必要である。「21世紀が人類にとって画期的な時代だった」と言わしめることを、日本は世界に向けて提示しなければならないと思っている。そのためには、根幹の資本主義についても、その本質、人間性、必然性、グローバリゼーションとの関係等々を再考する必要がある。

法政大学教授 水野和夫氏の「国貧論」の本に、2050年ごろの世界は、世界デフレ、世界ゼロ成長、世界ゼロ金利が普通になると書いていた。確かに日本は、“失われた20年”と言われるように、日銀が異次元緩和をもってしても日本経済は、2%を目途とする消費者物価の上昇、経済の回復はできなかった。

これは、少子高齢化、消費動向の変化に加え、価値観の変化が大きいと考える。つまり、モノに対する価値観などが変わりつつあり、そこで、「第二の人口転換論」も登場してきたのである。

第二の人口転換論とは、「家族形成の脱標準化」や「社会的背景の変容」をも含み、単に出生率が低下していくだけでなく、多様な家族形成やその背景に家族観や価値観などの個人主義化が見られる状態である。

この理論では、少子化の進行などの状況は一時的なものではなく既に構造化しており、けっして元には戻らない。これは、20世紀後半以降に起こった“脱工業化社会”、“脱物質社会”のもとに生まれた価値観の転換であるからだ。

すなわち、家族や子供に対する考え方が変わり、晩婚、非婚、同棲、婚外出産、離婚、というこれまでの普通な家族構成の形態から逸脱していると考えられていたものが認知され、家族の在り方が根本的に変わったのである。

新型コロナ禍もあり、リモートワークなども含めて働き方も変わったので、これからの新しい家族形態も生まれるだろう。どのような家族形態が望まれるかはわからないが、私はすでに孫を持つ老人で口を出すような立場ではないが、老婆心ながら求められれば、あるべき子供の育て方について持論を話したいと思っている。これからの世の中は、“変える時代、変わるスタイル、未来志向”である。

MMT“(現代貨幣理論)のことを話してみたい。MMTは、マクロ経済学理論の一つである。変動相場制自国通貨を有している政府は、通貨発行で支出が可能なために税収や自国通貨建ての政府債務ではなく、インフレ率に基づいて財政を調整すべきだということを主張している。そのために、財政赤字であってもインフレ率の範囲内であればいくら国債を発行しても問題ないという理論である。

財政政策は、政府が歳入や歳出を通じて経済に影響を及ぼす政策のことで、日本銀行が行う金融政策と並ぶ経済政策の柱。歳入は増減税、国債発行の増減、歳出は社会保障や公共事業の調整によって景気の拡大や抑制を図るもの。MMTは、この歳入に該当する政策である。

公共事業については、昨年、NHKテレビで瀬戸内海の総工費32億円で“完成した橋”のことを放映していた。橋を作る話が持ち上がったのは、50年前の高度経済成長期で、現在は、人口減少によりシカのための橋になっているそうである。(“完成した橋”については、2020年2月6日付けブログ参照)

一方で12年前、民主党政権になった時、『コンクリートから人へ』のスローガンのもとに、事業仕分けで“八ッ場ダム”が取り上げられ、一時、ダム建設の事業中止の話もあった。しかし、2011年12月に建設が再開になり、2019年の台風19号ではその効果を発揮し、吾妻川は決壊せずに防災目的は発揮されたのである。財政政策でも金融政策でも言えるが、効果を発揮しない政策は絵に描いた餅である。

一時、MMTが国会で議論されたが、最近では全く議論されなくなったのは、MMTの効果が日本では期待できないからだと思う。その理由は、国債発行が多くなると返済額が多くなってデフォルトを視野に入れざるを得ないからである。もっとも、自国通貨建ての国債はデフォルトがないとの主張であるが、想定外は念頭に置くべきで、万一、債務不履行にでもなれば、子供たちや後世に想像を絶する負担をしいることになる。

金利がゼロになるということは、ある意味でモノを持つということに価値を見出さないことと同じであり、価値が無いものには需要は生まないのである。だから、金利の低い国債は安全であるが魅力のない投資債権となっていかざるを得ないだろう。魅力をつけるには国債金利を上げざるを得なくなるから、どちらにせよ政府にとっては頭の痛いところである。

財政政策にしても金融政策にしても政策を行なうのは人間であり、信じる者は救われるといわれるが、最近の日本を見ると信じることが出来なくなってきており、想定外のことが起きないことだけを願っている。

日本はこのところデフレでゼロ成長が続いて、金利もほとんどゼロである。企業が金利を払ってでも工場をつくる理由は、そこに需要が見込まれるからである。自分は前職で、工場を建てても予想がはずれて受注が見込まれなかったケースをたくさん見てきたが、工場が効果を発揮するためには需要が不可欠なのである。

国のゼロ成長とは、国全体に有効需要が増えないことである。MMTは、公共投資などにより不景気を克服しようとするものだが、“平成時代の失われた20年”でも分かるとおり、日本では“有効需要”を喚起できないのである。法政大学教授 水野和夫氏によれば、脱炭素化目標の2050年ごろにはアフリカの経済成長も終わり、世界全体がゼロ成長に陥るという、大変恐ろしい問題提起をしている。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 有効需要

現実に存在する財に対する需要。

 

具体的には、消費需要、投資需要、政府支出、純輸出からなる。ケインズは、この有効需要の大きさこそが一国経済全体の生産量や雇用量を決定する、と考えた。これを有効需要の原理という。このことは一見自明なことのように見えるが、実は新古典派経済学は、これとは全く逆に、一国経済全体の生産量こそが有効需要の大きさを決定する、と考える。このような違いを生み出すのは、両者利子に対する考え方の相違による。

新古典派経済学は、利子は経済全体の貯蓄と投資が等しくなるように決定される、と考える。供給側の条件の変化(例えば貯蓄の増大)は、利子率低下をもたらし、それと同じだけの投資を発生させることになる。すなわち供給はそれ自ら需要を作り出す。一方、ケインズ経済学は、利子は貨幣に対する需要と供給が等しくなるように決定される、と考える。そのため貯蓄の増大が、利子率の低下やそれと同じだけの投資を発生させることはない。すなわち供給は、それ自ら需要を作り出すことができないことになる。  (荒川章義 九州大学助教授 / 2007年)

(出典: (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」より)

 

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