十勝の活性化を考える会

     
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お互いに認め合うということ

2021-02-27 05:00:00 | 投稿

 

私の知人に、障害を抱える難聴者がいます。私より1歳年上であるが、彼の出身地が十勝にある士幌町で、私の父親も士幌町で育ったので何かと話題に事欠きません。先日、彼が自宅に来て久しぶりで情報交換しましたが、お正月から脊椎間狭窄症で大変だったそうです。彼が、ブログ投稿文でお互いに認め合うということという題で投稿していたので再掲します。

 

『私たちの随筆サークルが、いつの間にか空中分解状態になっていることを、自分は難聴で知りませんでした。これでは話し合うというより、お互いに認め合うことさえできません。 随筆サークルの先生は生徒を育て、生徒は仲間同士として互いの成長を認め合う。

ところが、先生は生徒を見捨てるし、随筆の仲間同士は平気で相手を侮辱する人もいる。それでは、「意見の違いを認め合う」こともできません。ろうあ者の世界では、お互いがコミニ、ケションを取りづらいのですが、健常者の世界では少しましかと思っていました。

アイヌ民族のように差別で傷ついた人の心は、簡単には癒されません。同じサークル仲間が出版した自費出版本に、「同じ境遇に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からない」と書いてありました。私は、自己中心的な人にはかかわらないようにしています。そして、人間は罪深いと思っている人のほうが、謙虚で好きです。』

また彼は、『障害者は、このようにしてほしいとか、このような例もあるので変えてほしいとか、障害者自らが具体的に主張すべきである。そのようにしないと何も改善されない』と言っていました。障害者は差別されやすいので、差別と区別の違いを考えてみると次のとおりです。

差別と区別の違いは難しい問題でありますが、その違いを理解することは、本質的な問題解決につながると思います。「分ける」ということは人間の基本的な作業のひとつでありますが、その「分ける」という行為に非合理性があった場合には「差別」になり、合理性を認識した場合には、「区別」ということになります。

 

女性に選挙権が与えられないのは、「女性差別」です。特定の地域の人に選挙権を与えないということがあるとすれば、それも「差別」です。また、黒人が肌の色の違いによってさまざまな人種差別を受けることや、学校のいじめも差別です。

しかし、この問題はそれほど単純ではなりません。何をもって合理的といい、何をもって非合理的というかが問題であります。例えば、海外居住者に選挙権がないのは、これまで合理的と判断されてきましたが、最近ではその問題性が指摘され、海外居住者の投票が始まっています。

 

人類は幾多の試練を経て、人権があると主張し続けて闘ってきた結果、基本的人権を勝ち取りました。絶えず主張し続けることで、やっと維持できるものが人権であります。もちろん、他人に迷惑や自分勝手な行動が許されるわけではありませんし、公共の福利のために、一定の制限を受けます。差別をしてはならない」というのは現代社会の鉄則であり、アイヌはこの差別に対して長い間にわたって苦しんできました。そして、今もアイヌの差別は続いています。

我々は何をもって差別を合理的とみるか、非合理的とみるかは本質的な問題であります。本質な問題とは、「我々はどんな社会を創ろうとしているのか」ということにつながるのではないかと思っています。現在、新型コロナ禍のパンデミックにありますが、もっとみんなが生きやすい社会にするために、人間のあるべき姿をもう一度考えてみたい。

「十勝の活性化を考える会」会長 

 

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