十勝の活性化を考える会

     
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人生いろいろ、人もさまざま

2021-02-22 05:00:00 | 投稿

 

歌手 島倉千代子さんが歌った”人生いろいろではありませんが、人生にはいろいろあるなあーと70歳になってつくづく思います。歌謡曲“人生いろいろ”は、1987年(昭和62年)に彼女が発表したシングルで最大のヒット曲です。

人もさまざまと書まきしたが、同じ趣味などの人たちが集まって“会(サークル)を作ります。そして、会には目的が決められており大変楽しいのですが、このような会が減少しつつあります。会が減少していくということは、会は人と人とのつながりですから、ある意味で社会の崩壊が進んでいることを意味しているのではないかと危惧しています。

例えば、私が属している帯広大樹会(民間ロケットで有名な大樹町出身の人たちの会)では、最盛期に比べて会員数が1/5に減少しています。消滅町村と同じように会員の高齢化により多くの“会”が、存亡の危機に立たされているのが現状でないでしょうか。

その原因にはいろいろありますが、①少子高齢化 ②個人主義化 があるように思います。少子高齢化については説明する必要はありませんが、②については、資本主義と関係しているのではないかと思っています。共産主義を唱えたカール・マルクスによれば、資本主義は人間疎外により社会主義に移行するといっていましたが、新型コロナ禍にあって利潤を追求する資本主義が見直されようとしています。

 

マルクスといえば「資本論」が有名ですが、「労働は本来、楽しいものである」という労働観も述べており、労働が楽しい理由として労働の4つの喜びを述べています。その喜びは、以下のとおりです。

① 自己実現の喜び:人間は労働・生産活動を通して、自身の個性や独自性を発揮していくのであり、自己実現をしていくことができる。

② 他人の要求に応えたという喜び:労働を通じて、他人の欲求を満足させることは喜ばしい。

③ 他人の自己実現に、自分が不可欠であるという喜び:自身の労働が他人の自己実現に貢献できている喜び

④ 人とのつながりの中で生きる人間の姿を知った喜び:労働を通じた人間関係の中で、人間の本質を発見することができる喜び

これは、18世紀のイギリスの経済学者アダム・スミスがいった「労働は労苦と骨折り」という考えと正反対でした。アダム・スミスは『国富論』で、労働はすべての商品における交換価値の真の尺度であると主張しました。

一方、マルクスは、資本主義のもとでは労働が楽しくなくなるという危機感を感じて、「労働疎外」を主張しました。労働疎外とは、資本主義における生産活動においては、労働の喜びが奪われ労働が疎外されたものになるというものです。資本主義においては、自己実現が労働のそとで行われるため、上述の4つの喜びが失われてしまうと主張しています。資本主義になる前の社会では、人と人とのつながりの中で労働を行ない、自己実現や他人の要求に応える喜びを見いだしていました。

 

しかし、資本主義によって人間関係までもが商品化し、労働の喜びが喪失するというのが、労働疎外の理由の一つです。以上の理由からマルクスは、資本主義における労働がつまらなくなり、喜びがなくなってしまうと主張しました。この「労働疎外」については、次のように考えています。

私は日本で生まれ育ったために共産主義社会というものが分かりませんが、人生を振り返ると、資本主義社会でも労働を通じて自己実現ができると思っています。

逆に、中国や北朝鮮のような共産主義国家では、ほとんどの人が自己実現をできているのであろうかと疑問に思っています。テレビで見ている限りでは、楽しく仕事を行なっている人は少ないような気がしてします。

マルクス主義は政治的な思惑によって、悪い方に解釈されてきた背景があるように思いますが、主張している論理は、資本主義の問題点を指摘しているようにも思います。マルクス主義は、資本主義の様々な問題解決にはならないことがソ連の崩壊などにより証明されましたが、ここで展開されている主張が全く無意味だとは思えません。 最近になって資本主義の限界などがささやかれ始めていますが、こういう時代だからこそ、マルクス主義を見返すことによって何かヒントになる考えが見つかるかもしれせん。

小泉政権のブレインの一人であった中谷巌著“資本主義はなぜ自壊したのか”の中で、グローバル資本主義を“モンスター”、すなわち怪物といっています。そして彼は、「人類は、この モンスターの動きを拘束する何らかの有効な鎖を作り上げることができるか も知れない」と言っていますが、大変難しいことだと思っています。

 

なぜなら、それには人間の「欲望の抑制」が必要だからです。 資本主義は、消費を生み出す欲望で成り立っており、欲望は人間の本質の麻薬のようなもので、いったん飲んでしまえば止められないからです。止めるためには相当の苦しさを伴い、 物が豊かな時代に育った私たち現代人には、無理だと思われます。

 

ただ、日本人は世界中の人々から見れば不思議な民族です。例えば、東日本大震災が起こった時、コンビニに略奪に入らなかったり、拾った財布を警察に届ける民族は外国にはあまりいないようです。今回のコロナ禍にあたり一糸乱れぬ不要不急の外出を避けて自粛するのも、日本人の特徴でないかと思っています。

 

世界の人々から見て不思議に思われるような当たり前のことが、日本人にはたくさんあります。それは長い教育で培われて“公徳心”だと思います。今回のコロナ禍に伴い、このような伝統的な倫理観が世界中に広まれば良いと思っています。

 

ところで、経済を生産→分配→消費の循環として捉えると、消費は労働力の再生産過程であります。すなわち、人間は労働することによって、食べる・飲む・着る・眠るという消費行動を通じて再生産を促します。更には、次代の労働禍力の再生産のために結婚し、子供を生み養育します。それが生きること、人生ではないかと思っています。 つまり、仕事をつうじて自己実現できるか否かは、資本主義でも共産主義でも自分次第であるといえるのでしょう。ただ、日本人の一人当たりの労働生産性が韓国より低いのは気がかりで、これにはマルクスが主張している“労働疎外”が関係しているのかもわかりません。                   

 「十勝の活性化を考える会」会長

 

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