十勝の活性化を考える会

     
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十勝の歴史

2021-09-26 05:00:00 | 投稿

十勝では100万年前頃に十勝三俣あたりで火山が大爆発し、火山灰が大量に堆積した。その後、80万年前頃になって釧路湿原の約6倍の湿原が生まれ、50万年前以降には、現在の十勝平野の原型である沖積土の洪積台地ができあがった。

“十勝石(黒曜石)”はこの火山の爆発で作られ、水で急に冷やされたために綺麗な輝石となったのである。その後の寒さによりゾウやバイソンが絶滅し、約7万年前にはマンモスやナキウサギが生息する最終氷河期となった。なお、最終氷河期とは、約7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷河期のことである。

十勝に人が住みつくようになったのは、約3万年頃と言われており、氷河期と間氷期が繰り替えされて今のような姿になった。最終氷河期には、宗谷海峡が大陸と陸続きであったために、私たちの祖先ともいうべき縄文人が大陸からきて、十勝にも住み始めて「縄文文化」が浸透した。一般的に縄文時代の始まった時期は、16千年前と考えられ、終期は概ね約3千年前 とされている。

北海道では稲作で知られる弥生文化が浸透せず、数千年前から7世紀ころまで続いたといわれる「続縄文文化」が浸透した。そして、その後に擦文文化が栄えた。擦文文化は北海道東北地方北部にも浸透し、8世紀頃より鎌倉室町時代にも及んだとされ、アイヌ文化に先行する文化として考えられている。

しかし、アイヌ民族がいつごろから十勝に住みついたかは諸説があり分かっていない。ただ、西暦801年、桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、東北地方に「蝦夷(エミシ)征討」を行なった史実はあるが、その頃の北海道は流刑地で、大和民族にはあまり知られていなかったようだ。

北海道が大和民族に知られるようになったのは、約1213世紀といわれている。現在の認識において、北海道やその周辺の擦文文化などの生活様式を営んできた人々が、現在伝わっているアイヌ文化へと姿を変えていった時期が、1314世紀頃と考えられている。

アイヌ文化とは、13世紀ころから現在までに至る歴史の中で生み出してきた文化である。現在、大半のアイヌは同化政策の影響もあり、日常生活は表面的には和人と大きく変わらない。しかし、アイヌであることを隠す人達もいる中で、アイヌとしての精神は、その血筋の人々の間では少なからず健在である。

「十勝の活性化を考える会」会員