赤い水性の部屋

あくまでも赤い水性個人のページですので、吹奏楽とは関係ない内容もあります。みなさんのコメントをお待ちしています。

これが若さか・・・

2020年06月23日 | Weblog
 すっきりと晴れて気持ちの良い朝を迎えている浜松市です。梅雨の中休み的な晴れ間っていいですね。半袖の夏服と肌を通過する風が心地よいです。

 さて、このブログ、教職を目指す学生さんや若い教員向けに応援するつもりで書いているのに、いつのまにか業界に長くいるうちに見えてきた矛盾点に毒を吐くような形になってしまうという、僕の悪い癖が出てしまったので、今回は、教職は素晴らしいということについて触れて行こうと思います。
 先に断言しておきます。教職は素晴らしいです。そして、当時は意味がわからなかったのですが、今回紹介するように、若い時ってその時にしかできない指導があって、これは羨ましい。

 大学を卒業して縁があって赴任した最初の中学校、1年3組の担任として、本当に毎日が楽しかったです。今でもどこに戻りたいかといえば、ここですね。クラスには浜松の有名ピアニストの今ちゃんも番号順4番でいました。この頃は、吹奏楽指導者になろうなんて思ってもいなかったですねぇ。

 今思えばメチャクチャで、クラスもグダグダなのですが、とにかく楽しかったです。日曜日には、みんなで弁天島へ釣りに行ったり、山の方まで車で行って、川で泳いだりしていました。今なら問題になってますね(笑)
 夜に、一緒にラーメン屋に入り込んで喋りながらラーメン食べたり、家庭訪問でもないのに勝手に家に上がり込んで普通にグレてチンピラみたいになった兄貴としゃべったりしていましたねぇ。
 「先生よぉ〜、弟、イジメられないように頼むな〜、まあ、そんな奴いたら俺がぶっ飛ばしにいくけど」とか、「こいつにだけはしっかり勉強して欲しいから、先生、しっかり教えてやってくれよ、俺みたいになっちゃうから」とか、笑える反面、親心、兄心は誰でも一緒なんだと、若いながらに思ったし、どの子にもその後ろにいる親兄弟、生活のバックグラウンドがあって、それ抜きには生徒指導ができないということを、なんとなく身につけたんだと思います。
 当時は学校が荒れている時で、授業を抜け出したり教師に向かって反抗して暴力を振るったりすることが常態化していた学校でしたが、こういうふうに接していると月曜日からクラスや授業が本当にうまく行って、金曜日になると「先生、今度土曜か日曜、どっか行こう!○○も行きたいって言ってるで誘っていい?(だいたい不良)」と言われることが多かったです。田舎じゃないですよ、浜松市内のど真ん中の学校です。

 部活指導も、当時はサッカー部の副顧問として主に大会や練習試合の引率をしていました。顧問の先生はもうベテランで指導力があり、数学の授業も上手で、人柄もよく、本当に「すごいなぁ」と思っていました。当時サッカー部は不良の軍団みたいな、まるでスクールウォーズみたいな部だったのですが、大学を卒業したばかりの僕から見ても、土日の練習試合ごとにチームが良くなっているのがわかりました。
 その先生と、「そういやぁ、あいつ、・・・で、・・・なこと言ってましたよ。」というと、「へぇ〜、あいつ、そんなこと言うんだ。俺には絶対そういうこと言わんのに。やっぱ若い先生は信用されていいなぁ〜。また聞いてやってよ、俺らみたいなのは、ガミガミ怒るしかないからさぁ」と言われました。確かにその子はちょっと暴力や教師に対して反抗的な子で、基本的には「うるせえ」しか喋らないような子でしたね。
 また、クラスにワル代表みたいな子がいて、その子と母親を呼び出して指導したときには、そのワル代表の部活顧問の先生も立ち会ってくれて(おそらく、「大丈夫かいな、ちゃんとやれるのか?」と言う監視だったと思う、今思えば)、生徒と保護者を帰した後、「トクマスくんの指導ね、・・・で・・・だけどさ〜、まあ、若いわ!いいね、若いって。俺も戻りてぇ〜」ってよく言われました。職員室で他の先生にも「先生、いいね、廊下歩いてると生徒から寄ってきて声かけてくる。俺なんか、みんな隠れて逃げてくもん。若いってずるいわ〜それだけで、うまくいくことが山ほどある。」とよく言われていましたが、その当時はその武器の威力がわかっていませんでしたねぇ。
 この頃から、個で指導するのではなく、それぞれのキャラクターや年齢、性別、キャリアを生かしてチームで子どもを見守るということを身につけさせてくれた初任校に感謝です。

 バレンタインの時に、学年で一番問題の女子から校門の外でチョコを渡されたり、靴箱に学年1位の女子からのチョコが入っていたりして、すごいライバル対決だったのも今となってはいい思い出です。この前、そのワルの男の子が「先生じゃん!」って声かけてきたのは、バレーボールの大会の決勝で応援に行った時。子供が出場していたらしい。「お父さんと違って真面目になって優秀な選手でよかったね。」と言ったら、「それを言わんでくださいよ〜」と、まあ、時間が経てばこんなもんです。


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