
きらきら見上げる葉叢が木漏れ陽の透過光に揺れる。
零れる葉先からさみどり色の光の粒子が舞い降りてくる。
さらさらさらさら…舞い落ちる光の粒子を掌で掬い、
さみどりの淡い色素に身体が染まる。
作動し始めた光合成の天蓋から、胸いっぱい清浄な気を浴びた。
風光る五月の森歩きは、命の洗濯(笑)
今年の皿ヶ嶺の森は、近年見ないくらい一面の花園。
春先の寒気による植物への負荷もあるだろうが、
林床の笹刈を定期的にやっていることで、爆発的に花が開花したのかもしれない?
養老孟司も云っていたように、日本の自然環境は手付かずであることよりも、
一定の手入れによる環境の更新が、多様な生き物を育む結果になることが多いようだ。
どちらにしても日本列島の自然環境は、度重なる風水害や火山の爆発によって更新され続けて来たのだから。
花の爆発的な開花と関係あるのだろうか、
標高1000m付近に広がる湿原、竜神平を覆っていた笹が一斉に枯れた。
以前にも同じようなことがあった記憶があるが、
それによって湿生植物が地中から発芽して、一斉に湿原を覆うことは無かった。
でも何か、例えば以前は見られたとういうトキソウとか、
笹の一斉枯れ死は、新たな植物の出現を期待させる。
日照時間も、ずいぶん長くなった。
6時過ぎ7時前まで充分に明るい。
麓の田圃に張られた一面の水郷風景が、夕陽の色に染まるまで森で過ごした。
この森は四国で最も美しい森だと。
夏緑樹の若葉の輝き、その林床を埋める花々の彩。
森の春を迎えた野鳥たちの幾重にも重なる囀り。
五月のこの森は宝石のように輝いています。
だから私も、自分の持てる技量を尽くして森の美しさを表現しようと心掛けています。
それが20年近く、この森に通って来て、様々な恩恵を受けた撮影者の儀礼の形なのだと。
この日も平日にも係わらず、凄い人出でした。
なんと対岸の福山からマイクロバス2台を連ねて団体さんまで。
自然林の規模自体は、むしろ狭いと云えるくらいなのに、
これほど多様な植生と生き物を育む豊かさが不思議です。
おそらく、その一つがリピーターの皆さんによる森の手入れだと思っています。
里山の棚田もそうですが、定期的な手入れによって循環される生き物たちの営みが、
日本の気候風土に合った豊かな環境を創っているのでしょうね。
最後2枚の麓の水郷風景は、森がもたらす豊かな水の循環で繋がっています。
それも残念ながら、「四国消滅」で書いたように効率化優先の経済システムの前に「風前の灯火」状態です。