(漁師の徒然なるブログ<鍬ヶ崎の区画整理事業は>を引用=記事、写真とも)
被災地の鍬ケ崎、区画整理となりましたが、
どのように区画整理事業されるか宮古市・鍬ケ崎に住んでいる・鍬ケ崎出身者
宮古市出身者、その他の方々は、ほとんど知らないと思われますので
これからの事業実施のことをお知らせします。
これはあくまで現段階での事業実施予定です。
今後の都市計画・区画整理事業の意向で変わっていくことも想定されます。
上記の写真ですが、震災前の鍬ケ崎の空中写真です。
赤マルで囲んだとこが、区画整理されます。
光岸地も含まれます。
黄色のマルは、おおよそ、高台移転候補地。
で、高台移転の件ですが、高台移転案は採用されないことになりました。
鍬ケ崎地区の住民は、高台移転しないことになりました。(続きを読む)
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(以下、ブログに対するコーケやんのコメント)
※どうしてもこのコメントをアップできなくて…
「禁止ワードが含まれている」とでる。
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鍬ヶ崎の区画整理事業は(1)
だれも鍬ヶ崎のことを考えていなかった。鍬ヶ崎の人自身が自分自身のことを考える事が出来ずに、誰かが考えてくれると期待していたのだろうがそうはならなかった。さかしい人はそこにつけ込んで鍬ヶ崎を見放そうとしている。
こんな行政の案に鍬ヶ崎人が賛成するなど考えられない。津波と枕(まくら)を並べて生活する道を選んだことになる。いつも津波の足音におびえて、津波襲撃の不安とともに歩んでいくという決断は、人によってはアリだろうが、自分はいいだろうが、奥さんや子どもやお年寄り、親の了解は取りつけたのだろうか?孫・子の事を考えたのだろうか?まわりの人と相談したのだろうか?、去年の3.11の惨事をもう忘れている事にならないだろうか。今年の3/27地震の事も忘れている。少なくとも、お年寄り、女性、子どもはいやだと思います。
鍬ヶ崎の区画整理事業は(2)
高台移転をあきらめた鍬ヶ崎は「住」だけでなく、これで産業、商業、観光などの「職」の土地もなくしたことになる。かけがえのない景観の劣化とともに人もビジネスも急速に鍬ヶ崎の土地への愛着をなくしていくだろうと思う。したがって、この区画整理(可住)事業に反対の人も多いように思う。コンサルタントや、検討委員や、市長を恨む人も多いと思う。高台移転を、私は、あきらめたわけではないのに、と。
しかし地元住民のその熱意、その知恵、その思いやりは事態をここまで許してきた。…足りなかったと言える…
事態はますます深刻になった。誘導してきたコンサルタントはそのうちいなくなる。検討委員は自発的に辞任すべきだ。市長の進退も問うべきである。
ここで鍬ヶ崎人の再奮起を願わずにはいられない…。津波惨事を思い出して何度でも何度でも原点に返ってほしい。津波惨事を忘れてはならないのです、原点をバネにするしかないのです。鍬ヶ崎の人は、望めば公費を得て誰でも高台に住めるようにならなければならない。その事をよくよく考えてほしいものだ。