宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

<ニュース解説>3 もうおしまい

2017年03月08日 | ニュースレター



ニュースレターNo.14> 3段目

 宮古市の市長はこのように言っている

宮古市長は、防潮堤と水門の壁で宮古湾を桶(おけ)のようにかこみ、入ってきた津波が10.4メートルの高さによって遮(さえぎ)られて沖に去っていくように──湾内各地の防潮堤と津軽石水門、閉伊川水門を造っている、という。「要するに宮古湾を10.4メートルの防潮堤で囲む事にしている」(2014.12.15 市議会 建設課長)と職員も同じことを何度も口にしている。 … つづきを読む



<解説> 

この6年間の宮古市の山本市政と言えば国や県の大震災復興対策をそのまま踏襲するだけで、宮古市としての独創的な施策の印象がない。6年間のハード事業のほか復興と言えるものは何一つなかったのではないかと思う。


破綻している宮古市の防災対策

この防災事業にしても国や県の方針をそのままなぞっただけである。一湾(宮古湾)一律の防潮堤の高さ(10.4メートル)、何の根拠もなくまた何の効果も期待できないL1津波、L2津波の基準の無批判的受け入れであった。東北各県、また各市町村では官民議論してそれを批判的に検討して湾内沿岸それぞれの基準を模索しているのが原状である。また西日本、北海道の各県各市町村ではそもそもそのような縛りがない所で防災検討に入っている。宮古市一人が政府や県に縛られたままの思考停止中である。宮古湾の基準津波をL1に置き防潮堤の海抜からの高さを一律10.4メートルに固定して市職員だけでなく一般市民も縛り付けている。具体的な数字まで県のいうがまま、国のいうがままでは多様な宮古市沿岸の防災対策はかならず根本から破綻してくる。


沿岸の人がおびえている防潮堤

湾奥の10.4メートルの防潮堤は低いのではないか? 鍬ヶ崎の防潮堤は薄っぺらなのでは? 閉伊川水門は津波が来たら壊れるのでは? しかし市長は「県の設計だから大丈夫」と幼稚な自説の宮古湾=桶(おけ)理論を振りかざしている。台風10号では藤原を始め市街中心地で被害がでて市民はますます津波防災への心配を増幅させている。これは市民の心配の方が正しい。市民感情は津波、台風、低気圧などの十分な経験に裏打ちされて柔軟に物事を考えている分、頼もしいものと言える。市民には戦後の数々の台風、明治以来の大津波、そして毎年の爆弾低気圧など災害に対する経験の蓄積があって、なお、東日本大震災、台風10号を経験してそれが一歩も改善されていない現実に目覚めている。閉伊川水門建設や防潮堤の建設も十分でない事を見抜いている。市民と対話しない市長や市職員の思考停止が恨めしい。


もうおしまい。意味のない予算のムダ使い

「この第二の防潮堤は、過去の教訓を見殺しにして築かれたものである。国家事業なのだから、せっかくの公共事業を一円でも多く使って町を潤そうと、その思惑ばかりが先に立ち、田老はなりふりかまわず突進した」(「大津波を生きる」より)。これは先きの大震災で跡形もなく崩壊した田老の第二防潮堤の無惨な姿を見て作家高山文彦氏が本文中に吐露した言葉である。思わず漏らした本音の言葉と言えよう。国の予算誘導が復興への道ではないこと、公共工事依存がかえって国を弱めることを言っている。2014年4月に発生した鍬ヶ崎に建設中の宮古漁協の冷蔵庫の大規模火災では国や県の建設支援金が(税金=11億円)そそがれていたのに、全焼でも責任の所在が曖昧、漁協役員はおろか市長も不問を通したのである。予算のムダだけではない、予算誘導は市政の、基幹産業運営のトップたちの倫理観まで荒廃させていたのである。この6年の間市民の間からさえそのような指摘は聞こえなかった…もうおしまいにしよう。


もうおしまい

防潮堤、水門が津波に対して何の役にも立たない事は宮古の人は陸(おか)の人も海の人もみんな分かっている。それなのに敢えて反対や「いらない」や無効性を口にしないのは、それが誰かの役に立っていると考えて遠慮しているからである。地の底から「役に立っている」「役に立っている」と声ではない声(圧力)が伝え聞えてきて腰が引けているのだ。それが単に公共工事に群がる業者やサプライヤー、役人たちの明確な沈黙だったとしてもそれにあがらう事はしてこなかった。しかし、はいそれまでである。国や県の税金だから、自分の懐(さいふ)が痛むわけではないからと考えていたが、何度かの経験を積んで、一部の市民であっても、道徳的に、人の道として、それではダメだと自覚するよになってきた。このままでは復興はおろか復旧もなく、かえって地域が廃(すた)れると考えるようになった。経済的にも公共工事のツケは結局自分たちにまわされる事も学んできている。本当のほんと、そうなっては、ここで、もうおしまいである。

市会議員が二人、宮古市では、公共工事の私的不正受注で議員資格を解かれている。もう一人の議員は破廉恥罪で辞職している。いずれも元をただせば深刻な津波災害なのである。復興に楽な復興、得な復興というものはないのに。







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