今時?、神武天皇でしたね。
古事記・日本書紀の神話の世界を読み直していると、ギリシャローマ神話もたじたじの物語が展開します。
神武天皇は、初代の天皇として位置づけられ、戦前は歴代天皇を暗誦したものでした。
曰く「神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・・・」(ジンムスイゼイアンネイイトクコウショウコウアン・・)
大和三山の一つ畝傍山(うねびやま)の麓にこれら4代に亘る天皇御陵が比定されました。
初代神武天皇御陵です。
古事記に出てくる「ウネビの南で即位」したのがここだと、明治の初期に整備されたものです。大きくて立派なものです。
左:神武天皇畝傍山東北陵(うねびのやまのうしとらのみささぎ)
右:陵墓監区事務所があり、奈良県内の陵印(30箇所)のすべてが戴けます。
第2代天皇、綏靖(すいぜい)天皇御陵です。
ここが古墳であったかどうかは別として、塚のようなものがあったらしい。
綏靖天皇桃花鳥田丘上陵(スイゼイ天皇つきたのおかのえのみささぎ)
桃花鳥は「つき」と読みます。
左:参道の玉砂利の道には頭上から落ちてきた椎の実が一面でした。
右:ふと見れば、カラスウリがぶら下がっていました。
第3代天皇、安寧天皇御陵は畝傍山の南西の麓の道路沿いでした。
「畝傍山西南御陰井上陵」(ウネビヤマひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)
ここも古墳のようには見えません。明治の初期に作られ完成を見たものです。
第4代懿徳(いとく)天皇御陵も道路沿いにあります。
「畝傍山南繊沙渓上陵」(ウネビヤマのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)
御陵の背景には畝傍山(199m)の山腹には冬の樹木が茶色になっています。
御陵に繁茂する茂みで見つけたサザンカで、ほっとした気分になりました。
古事記・日本書紀の神話の世界を読み直していると、ギリシャローマ神話もたじたじの物語が展開します。
神武天皇は、初代の天皇として位置づけられ、戦前は歴代天皇を暗誦したものでした。
曰く「神武・綏靖・安寧・懿徳・孝昭・孝安・・・」(ジンムスイゼイアンネイイトクコウショウコウアン・・)
大和三山の一つ畝傍山(うねびやま)の麓にこれら4代に亘る天皇御陵が比定されました。
初代神武天皇御陵です。
古事記に出てくる「ウネビの南で即位」したのがここだと、明治の初期に整備されたものです。大きくて立派なものです。
左:神武天皇畝傍山東北陵(うねびのやまのうしとらのみささぎ)
右:陵墓監区事務所があり、奈良県内の陵印(30箇所)のすべてが戴けます。
第2代天皇、綏靖(すいぜい)天皇御陵です。
ここが古墳であったかどうかは別として、塚のようなものがあったらしい。
綏靖天皇桃花鳥田丘上陵(スイゼイ天皇つきたのおかのえのみささぎ)
桃花鳥は「つき」と読みます。
左:参道の玉砂利の道には頭上から落ちてきた椎の実が一面でした。
右:ふと見れば、カラスウリがぶら下がっていました。
第3代天皇、安寧天皇御陵は畝傍山の南西の麓の道路沿いでした。
「畝傍山西南御陰井上陵」(ウネビヤマひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)
ここも古墳のようには見えません。明治の初期に作られ完成を見たものです。
第4代懿徳(いとく)天皇御陵も道路沿いにあります。
「畝傍山南繊沙渓上陵」(ウネビヤマのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)
御陵の背景には畝傍山(199m)の山腹には冬の樹木が茶色になっています。
御陵に繁茂する茂みで見つけたサザンカで、ほっとした気分になりました。