念願だったドラマ『監査法人』をやっと見ることができた。
思ったよりずっと奥が深くて面白かった。
舞台はバブル崩壊後の銀行による不良債権問題から、
ライブドアに象徴されるようなベンチャー企業と時代をそのまま反映させていて、日本の経済そのものを追う構成。
日本の外部監査役は企業と癒着していて、ちゃんと機能していないということは昔よく言われていた。
ドラマでは、厳格監査を目指す若手と、昔ながらのやりかたを通そうとする会計士が対立する。
結局、昔ながらのやりかたで企業の粉飾決算を見逃してきた理事長は警察につかまり退任させられる。
ドラマでは、日本経済が国際的に強くなり、世界の投資家から信頼を得るためにも、
もう以前のような監査をしてはいけないとの趣旨を強調しているようだった。
でも、これまで行われてきた企業癒着形監査を完全に悪と決め付けてないところが面白い。
粉飾決算は絶対に認めてはいけないとの趣旨は一貫しているものの、
監査は厳格にイエスかノーか白黒決めるだけではダメだと暗に示しているところが日本らしい。
私は日本の監査現場で働いたことが無いため、はっきりとしたことはいえないものの、
アメリカの方が厳格監査の追及はもっと厳しいものがあるとおもう。
特に上場企業監査の場合、監査報告書にサインするパートナーは5年ごとに替わらなければならないし、
3年に一度は証券取引委員会からの監査を受ける。
そんなアメリカであっても、監査の世界が正しいか間違っているか、イエスかノーかの世界だとは思わない。
実は最近になって、私もようやくクライアントの立場や意見に耳を傾ける余裕が出てきて、そう感じるようになってきた。
明らかな粉飾決算は別としても、監査をすれば修正が必要な点を必ず発見する。
複雑で、しょっちゅう変わる会計原則を、いちいち調べながら帳簿つけをやっているクライアントなんてほとんどいないし、
中小企業の会計担当者なんて、ちょっと簿記を勉強した程度で、会計原則に精通している人なんてそんなにいるものではない。
監査とは、不正を見つけることよりも、正しく会計原則に沿った決算報告をつくることのほうがメイン業務だと私は思う。
だから、意図的ではない間違いをたくさんたくさん修正するわけです。
今までは、間違いを見つけると仕事をした気分になるし、クライアントが知らなかった会計原則を説明して修正を加えるのは、
自分が知識ある有能な会計士だと証明しているようで満足感のようなものを感じていた。(←性格悪い?)
でも今では、よっぽど額が大きいものでない限り、少々はクライアントの意見を聞いて修正を加えたり、加えなかったりする。
この“大きい額”というのは、監査の世界では"tolerable misstatement"と呼びAudit Standard(という監査法)に基づいて計算された額で、私が適当に決められるものではなく
これを超える額のものを見逃すと、監査人としての責任を問われるのだけれど、逆に言えばそれ以下のものはある程度こちらの判断にゆだねられる。
クライアントにとって都合のいい修正は入れて、都合の悪い修正は入れないなんてことはしょっちゅうある。
人によって意見は異なると思うけど、私はこれって必要なことだと思う。
ドラマは、思ったより単純明解で分かりやすく誰が見ても楽しめるものだったんじゃないかしら。
あら、あなたは見てない?うちにビデオあるから、貸してあげるよん。
思ったよりずっと奥が深くて面白かった。
舞台はバブル崩壊後の銀行による不良債権問題から、
ライブドアに象徴されるようなベンチャー企業と時代をそのまま反映させていて、日本の経済そのものを追う構成。
日本の外部監査役は企業と癒着していて、ちゃんと機能していないということは昔よく言われていた。
ドラマでは、厳格監査を目指す若手と、昔ながらのやりかたを通そうとする会計士が対立する。
結局、昔ながらのやりかたで企業の粉飾決算を見逃してきた理事長は警察につかまり退任させられる。
ドラマでは、日本経済が国際的に強くなり、世界の投資家から信頼を得るためにも、
もう以前のような監査をしてはいけないとの趣旨を強調しているようだった。
でも、これまで行われてきた企業癒着形監査を完全に悪と決め付けてないところが面白い。
粉飾決算は絶対に認めてはいけないとの趣旨は一貫しているものの、
監査は厳格にイエスかノーか白黒決めるだけではダメだと暗に示しているところが日本らしい。
私は日本の監査現場で働いたことが無いため、はっきりとしたことはいえないものの、
アメリカの方が厳格監査の追及はもっと厳しいものがあるとおもう。
特に上場企業監査の場合、監査報告書にサインするパートナーは5年ごとに替わらなければならないし、
3年に一度は証券取引委員会からの監査を受ける。
そんなアメリカであっても、監査の世界が正しいか間違っているか、イエスかノーかの世界だとは思わない。
実は最近になって、私もようやくクライアントの立場や意見に耳を傾ける余裕が出てきて、そう感じるようになってきた。
明らかな粉飾決算は別としても、監査をすれば修正が必要な点を必ず発見する。
複雑で、しょっちゅう変わる会計原則を、いちいち調べながら帳簿つけをやっているクライアントなんてほとんどいないし、
中小企業の会計担当者なんて、ちょっと簿記を勉強した程度で、会計原則に精通している人なんてそんなにいるものではない。
監査とは、不正を見つけることよりも、正しく会計原則に沿った決算報告をつくることのほうがメイン業務だと私は思う。
だから、意図的ではない間違いをたくさんたくさん修正するわけです。
今までは、間違いを見つけると仕事をした気分になるし、クライアントが知らなかった会計原則を説明して修正を加えるのは、
自分が知識ある有能な会計士だと証明しているようで満足感のようなものを感じていた。(←性格悪い?)
でも今では、よっぽど額が大きいものでない限り、少々はクライアントの意見を聞いて修正を加えたり、加えなかったりする。
この“大きい額”というのは、監査の世界では"tolerable misstatement"と呼びAudit Standard(という監査法)に基づいて計算された額で、私が適当に決められるものではなく
これを超える額のものを見逃すと、監査人としての責任を問われるのだけれど、逆に言えばそれ以下のものはある程度こちらの判断にゆだねられる。
クライアントにとって都合のいい修正は入れて、都合の悪い修正は入れないなんてことはしょっちゅうある。
人によって意見は異なると思うけど、私はこれって必要なことだと思う。
ドラマは、思ったより単純明解で分かりやすく誰が見ても楽しめるものだったんじゃないかしら。
あら、あなたは見てない?うちにビデオあるから、貸してあげるよん。