明日の朝礼の発表の練習をして、めどが立ったのち、OMに行き、4曲歌った。
歌を歌うことって本当に楽しい。また元気になる。朝礼の発表の練習も発声練習のようなものだから、声を出すのが楽しいのかもしれない。
人生、音を出すことに賭けるのもよいかもしれない。
明日の朝礼の発表の練習をして、めどが立ったのち、OMに行き、4曲歌った。
歌を歌うことって本当に楽しい。また元気になる。朝礼の発表の練習も発声練習のようなものだから、声を出すのが楽しいのかもしれない。
人生、音を出すことに賭けるのもよいかもしれない。
Just For Todayという歌を作った。かの有名な米国詩人の訳詩に節をつけたものだが、何度も歌っていると、言霊が乗り移るようだ。元気になる。
最近はしんどいことが多いので、一日区切りで考えるとよい。というか、そうしないとやってられない。
明日も頑張る。
英語の好きな詩に適当に節をつけて歌ったら、歌になって、詩を加工したら曲としてまとまったものができた。むちゃくちゃ楽である。
何曲か自分の歌ができつつある。持ち歌にできればよいが、もっと練る必要がある。
けっこう楽しい作業である。指は痛いが。
死刑囚は死刑を待つだけで残酷なものだが、通常の人間だって考えてみれば時が来ればくたばるわけで、死刑囚と変わらない。
死刑囚と違って収監されているのではないから自由はある。そこが違うところだ。その時間が楽しければ死ぬことも意識しない。死ぬことを意識し続ける死刑囚と違うところだ。
ところが、普段の生活が窮屈で収監されているのと変わらないような人間になると、ほぼ死刑囚と変わらなくなる。死ぬのを待つだけだ。
死刑囚は原因が犯罪にあり、場合によっては犯した罪を後悔することもあるだろう。ワシはどうか。生れたことを後悔するが生まれたくって生まれたわけではない。こっちのほうが不愉快である。
2/13~3/31はキリスト教では自粛期間らしい。
いい機会なので、ワシも自粛することにする。最近ろくなことがないし。そのくらいのつもりが良いのだろう。
あとは奉仕活動。
子供の時はそうで、いい歳になっても治らない。ついでにいうと、母親譲りである。
この病気だと、仕事に時々差支えが生じる。困るのだ。しょうもないミスや勘違いがしょっちゅうである。
最初はわからんかったから、根性でしのいでいたが、病気だからいくらがんばっても結局限界がある。
先天性の障害なのだが、それとはっきりしているもんではないから余計にやっかいである。人に言うわけにはいかないし。
しくじったら作るのが再発防止策。ワシも今週かなりの時間を割いて作った。そしたら。けっこういいのができてしまった。
前よりずっと事務がよくなるはず。こういうものって未然に作るのは難しくて、しくじってから作ると具体的なものができる。皮肉なものである。
すごく仕事をしたつもりになるけど、あまり生産的でない。
失われた時間を取り戻すべく、明日からまた働くべし。
人生はつらい。何か良いことありそうに期待していたが、なさそうである。
でももう、こうなったら意地である。毒だと思っていても最後まで飲みつくしてみるのもいいもんだと思うようになってきた。
幸せな人生もよいが、つらく味気のない人生もそれはそれで人生である。
真に味わいのあるのは後者のような気がする。
95%くらいまでは普通にできるらしい。学生の試験で言えば超優秀。それが普通である。
ところが、5%の誤差は商売の提出物としては致命的である。品物で言えば粗悪品である。
のこりの5%を埋めて100%に近づける。これが難しい。そしてそこが普通と優秀の違いなのである。
その努力は並大抵ではないのである。