まずお金がかかる。それから、田舎はテレビ見るくらいしかやることがない。(いいこと何もない。)
東京だと、お金かからないし、初詣やスポーツ観戦など、いくらでもやることがある。
とは言え、親孝行は大事だから、勝手に東京にいるわけにいかない。実家が東京という人がうらやましい。
振り返ると、悪い年だったのかどうだかわからなくなる。父も義母も突然亡くしたし、震災もあった。それだけ思い出に残れば、ものすごく悪い年だった気もする。
その代わり、娘たちは希望の学校に合格した。また、父母を亡くしたおかげで、自分自身、どこか変わったような気もする。震災があって、ボランティアで宮城や福島に行き、そこで新しい出会いもあった。ビニールハウスを手伝った苺農家の太田さんは無事出荷できた。
なくすことは不幸だけど、なくさないと得られないものもある。なくして得たことが幸せなこともある。そんな単純なことではないだろうが、そういうこともまた真実である。
葬式でお経を読んでいたら、不増不減とあった。不生不滅ともあった。いいことも悪いこともあって、トータルでゼロになる気がする。仏教は無常的でニヒリズムだという人もいるが、けっこう真実をついているのではないか。そんなことを思う今日この頃。
夏休み取っていないのと、父の法事などもあり、多めに休みとることにした。
明日、大阪に行って、お手伝いして、明後日が長居。で、京都行って、お義母さんのお墓にお参り。31日から3日まで和歌山に行くつもり。
荷物は軽めに。
父の喉仏。いろいろ考えて、知恩院さんに納骨しようと思っている。祖父も、おじも知恩院さんに納骨されている。ニョーボの実家が京都で、京都にいるとき、供養に行けるのがよい。
そういえば、祖父の納骨のときは、昭和49年のことだが、付き添って、京都まで行った。和順会館という、知恩院の付属宿泊施設に泊まった。その夜のこと。父母と、新京極あたりを歩いたのだが、その時初めて、マクドナルドのハンバーガーを食った。
たしか、マクドナルドなんて、和歌山にはなく、全国でも数えるほどだったはずである。相当初期のマクドナルドである。新し物好きの父母も興味があったらしく、店に入った。ハンバーガーは、母親がよく作ってくれていたので、その感覚で食った。
記憶では、テイクアウトで食ったはずであるが、ピクルスで気分が悪くなった。ハンバーガーは初めてではなかったが、ピクルスが初体験だったのだ。今から、38年前のことである。
記録はまあまあ。
それより、途中で男性が倒れていて、心臓マッサージ受けていたので心配。おまわりさんまで来てた。
夏は倒れる人いても、熱中症が大半だから心配ないけど、冬はこれがあるからなあ。連盟の人は、やばいかもっていってたし。
やっと浦和レッズに勝てた。目の前で浦和に勝てたのは初めて。
でも、本当に勝つというのは埼スタで勝つことだろう。まあ、それは来年の課題にして。いよいよ準決勝。
天皇杯の準決勝はいにしえは知らないが、柏に負けて、鹿島に負けて、今回が3度目。もちろん長居に応援に行くつもり。
ただし、父親が死んだ直後でもあり、正月は国立は行けない。とりあえず楽しみは楽しみ。優勝したら、ACLに行けるらしいし。
クリスマスなので、ニョーボと二人で都内をうろうろした。
赤坂の矢沢永吉の店、ダイヤモンドムーンへ行って、DVD見ながら飯食って(パスタセットがうまかった。)、新宿タカシマヤで香典返しの商品券の注文して、伊勢丹に移動して、小田急に移動。
もう一回タカシマヤに戻って、商品券受け取って、モンシュシュのケーキを受け取って帰った。
娘たちが高校生くらいになると、ようやく夫婦で出かける機会が増える。それまではだいたい子連れだ。でも、夫婦でごちゃごちゃしゃべりながら、うろうろするのはけっこう楽しい。
彼女はサッカーは見ないが、元ヤンキーなので矢沢永吉は大好きだ。来年は二人でコンサートに行けるといいな。
縁起でもない話だが、昔、こどものころ、形見というものにあこがれていて、てっとり早く、そんなものがほしいなあなんて思ったものだが、本当にできてしまった。
右がラドーで、左がロレックス。ラドーは前から借りて使っていたが、ロレックスは生前父親が使っていたもの。男兄弟がいないから、分けてもらった。
しばらく動かしてみたら、よく遅れる。オーバーホールに出すなんて考えなかったのだろう。近所の時計屋さんに相談したら、安価でやってくれた。といっても、けっこうな額になってしまったが。
今日時計屋さんに返してもらったのだが、外装も新品みたいになって帰ってきた。ぴっかぴかになったら、かえって寂しい。そんなもんなんだろう。
いい品物ですね、とロレックス好きの時計屋のご主人に言われた。昔のロレックスは、人気が出て大量生産する今のと、随分ちがうらしい。