自分が最低で、他人は自分より一枚上だと思うと気が楽である。気が楽だし、体も楽である。
流れに逆らうのはしんどい。いくら逆らっても最後は流される。最初から流れて行ったほうがよい。
自分が最低で、他人は自分より一枚上だと思うと気が楽である。気が楽だし、体も楽である。
流れに逆らうのはしんどい。いくら逆らっても最後は流される。最初から流れて行ったほうがよい。
早帰りして、アルティカのブッキングライブに出た。
5曲歌ったのだが、ピアニストの出演の方にめちゃめちゃほめられた。特に長渕剛のカバーの西新宿の親父の唄。酔っていたせいかもしれないが。それでもうれしい。
だんだんギターもうまくなっているし、歌も力が抜けていい感じ。自分のスタイルが具現化しつつある。
去年、清水まで車で行って、すっかりクルマ好きになってしまった。
もともと、20代のころはホンダプレリュードで走りまくっていたのが、結婚して、家族が増えると飛ばすのが怖くて、そのうち、高速道を走るのが憂鬱で仕方がなかったのに。
ひとりで走ると好き放題だから怖くもなんともない。走っているうちにドーパミンが出てドライビングハイになってしまう。特に夜。
次のアウェーは新潟だけど、行ってみてもよいかもしれない。J1はクルマで行けるアウェーが限られている。J2時代が懐かしい。
マイカー参戦したが、逆転負けしてしまった。
駐車場のおじさんは和歌山人だった。おそらく住金にいて転勤したんだろう。和歌山と鹿島は因縁が深いのだ。
仕事嫌いである。遊ぶのが好きなわけではない。仕事が嫌いなのである。向いた仕事につけていないからか。毎日いやいやで仕事をしている。
職場にいると罪人のようだ。看守に見張られているようだ。本当に会社にいるのが嫌だ。
こんな生活をあと何年重ねなければいけないのだろうか。本当に不自由だ。ある程度がまんの世界なのだろうが、限界がある。
我慢に我慢をする。そういうものなのだろうか。人生とは。
水曜日、会社を早く抜け出て、代々木のARTICAのライブに出た。
疲れが出て、あまり声が出なかったが、5曲弾き語りした。前に他でお会いしたお友だちとも久しぶりに出くわし。やっぱり音楽はよい。
会社のうっ憤を音楽で晴らしているみたいだが、そうでもない。明日からまた頑張るつもり。
会社で本当に寡黙である。元々寡黙なのだが、会社に行くと必要なこと以外はほとんどしゃべらない。良いか悪いかわからないが、しゃべりたくないのだからしかたがない。
ところが、その分マグマがたまる。何か話す機会があるとせきを切ったように話す。ライブで知り合った人やサッカーの試合で会った人。全く知らない人でも話す。
今日も田舎の駅で待ち時間が余って周りをうろうろしていたら、不審と思われたのだろう。畑仕事のおじさんに話しかけられた。「どこへおいでか?」。
時間調整で散歩しているというとすぐいつもの調子でしゃべりまくった。向こうも楽しいのだろう。嬉しそうに話してくれた。
小学校4年のときである。5月2日。少々患っていた祖父が入院先で逝去した。70歳に満たなかった。これはけっこう事件であった。人が死ぬなんて絵空事のテレビやアニメの世界でしかなかったのに、突然、10歳の少年にふりかかった。
祖父の家に行くと、病院から遺体が到着し、座敷に横たえられた。祖母が大泣きし、みな沈痛な思いであった。死体はそこにあり、水を布で濡らして唇をふいてあげるが、色がすでに死体の色であった。
その後、数々の死体を見た。祖母ふたり、もう一人の祖父、伯父、叔父、伯母、女房の祖父、祖母、義母。実父。こんなもんか。一番最初に見たのが、祖父の死体であった。少々歳が早すぎた。祖父の死が早かったのではなく、ワシの死体験が早すぎた。
人は死ぬのだということと、それに対してどうすればよいかということがそれ以来ずっと心にとどまったままだ。スポーツや芸術や学問に逃れ道を求めたが、ないことがわかった。宗教にそれはあるのではないか。いまだにその段階である。そしてそれは自分が死ぬまでわからないものなのだ。ということがわかりつつある。
こんな重い問題は、小学校4年ではなく、もっと遅く訪れてほしかった。老人は少しでも長生きして、孫に悪影響をもたらさないでいただきたいものである。
今年初めての味スタゴール裏。2-0で快勝。清水は弱かった。
それにしても、つつましい生活をしているのに、急な出費はあるものである。2万円くらいいっぺんに出て行った。
そのためにつつましく暮らしているのではあるが。