Hさんにもらったものです。
寒くなってきた。
試合前には神戸サポのニャホニャホタマクロー番長の歓迎セレモニーがおごそかにとり行われた。彼が味スタに来るのは1年に1回あるかないかなのだ。
左がワシで、右は東京サポのHさん。
ワシのマフラー。そう、ナビスコ優勝記念マフラー。けっこう並んでゲットしたもの。今までタオルのやつしかもっていなかったから、ニットのは暖かくてこれからの季節にぴったり、って、もう試合ないじゃねえか。というわけで新潟で使用予定。
いつも試合はゴール裏で観ることにしているのだが、今日はMさんのご好意で2階席で観るつもりであった。
赤丸のあたり。
ここ観やすいのだ。
ところが・・・。ここらへんは立ち見不可である。立ってみていたら怒られた。というわけで、試合開始早々にまたゴール裏に舞い戻り。
試合は終了間際の平松選手の決勝ゴールで1-0で東京勝利。ゴール裏だと、誰のゴールはわからなかった。2階席だったら明確にわかるところなのだろうが。でも、来年もゴール裏の年間チケ買う予定。ワシにはここがエエのだ。
まあやらないよりは、やったほうがよいのだろうが、何だかいまいちである。事業仕分け。文部科学省仕分けの藤原和博氏くらいなら許せるが、○ンホーやら枝○某やら、ただ単に、もったいないからやめろ、しかいわない。そんなことなら誰にだってできる。
歳出を抑えるのが目的なら、一律5%カットとかにすればよいのである。そういうことは趣旨が違うであろう。つまるところ、どの分野に資金を投資するか、ということであり、企業経営と同じである。国に即していえば、どういうふうに国家の将来観をみるかということである。大げさな言い方であるが、それが政治家としての欠くべからず資質である。
もうひとつは費用と投資の区別を厳密につけることである。無駄な公益団体に投下する赤字補填資金うん億円と、将来の見返りがわずかでも期待できる研究開発費のうん億円とは、そもそもまったく別のものである。
その見極めもできず、ただ単に日ごろ目立たない憂さ晴らしのように官僚を問い詰める姿は勇ましいが、そもそも仕分け人の人選が誤っていると仕分け作業自体が何の意味もなさないことになってしまう。
昨日。お昼休み、西新宿のドトールで茶しとったんだわ。ひとりで。考えごとしたかったのだ。
で、ワシの右隣が読書中の年配のいかついおじさんで、その右隣がヌケ作みたいな顔したお兄ちゃんだったんだ。
で、そのお兄ちゃんがケータイでしゃべくるんだわ。迷惑このうえなし。で、電話が終わった後、右隣のいかついおじさんが、「電話やめろよ。」と注意したんだわ。そりゃそうだよな。
そしたら、この兄ちゃん。逆切れ寸前の顔したんだわ。ワシやばいと思って、とっさに援護射撃。そのいかついおじさんの後ろから目を三角にして怖い顔した(つもり)んだ。これが効いたのか、この兄ちゃん、急に顔を緩めて「すいませんでした。」とかいって退散しよった。
いかついおじさんは、ワシが援護射撃していたことは知らない。でも、面白かったぞ。ドトールなどの喫茶店でケータイかけるやつ。こんなやつ、よくいるけどマジでサイテーだと思う。馬鹿につける薬なし。
外資系企業に出入りしていると頻繁にエクスパットという単語が耳に入ってくる。英語で書くと"expatriate"で、要するに海外の本社から派遣されてやってくる役員のことである。
エクスパットの社長のオーソライズがないと・・・なんて使い方をする。後は人事的には社保適用かどうかとか給与の取り扱いの税務処理とかややこしかったりする。
ちなみに、エクスパックは郵便の種類でぜんぜん違うし、エキスパートでもない。エキスパンダーは筋力をつけるやつだ。
ところで、辞書でexpatriateを調べると「島流しされた人」とか「追放された人」とか出てくる。日本法人で威張っていても本社からすれば所詮その程度であるということだ。
ワシ、年賀状が好きである。毎年出しているし、よほどのことがないと数が減らない。パソコンが壊れて修理した関係で、ことし、ちゃんといつもの方々に年賀状出せるかはなはだ心配だが。
今年も、早々にご不幸のあったおひとからは、その手の挨拶状が送られている。わしらの歳だと、ご父母が亡くなられたので、という人が多い。そんなことも年賀状出しているから年々歳々感じられることで、年賀状の良いところである。
ワシの場合、いままで喪中はがきを出したことがない。おかげさまで父母が健在だというのもあるし、祖父母が亡くなった年があっても、かまわず出しているからだ。たぶん父母が万一亡くなっても、あい変わらず年賀状を出すことになるだと思う。親戚には出さないだろうが。
ひとつには出す相手がこっちの不幸を知らないのに、いきなり喪中はがきを送るのは同情を買いたがっているみたいでいやだ、というのもある。もうひとつは年賀状自体を身内の不幸にからめる必要があるのかということである。もっと気楽にクリスマスカードのように、昔のお友達に近況を知らせる消息便りでみたいに使えばよいと思うからでもある。
有名なカレーを食べたかったが、列が長すぎて断念。シンタロー君、残念だったな。今度食えるのは再来年以降。
カレーは食えなかったが、レフェリーの岡田正義氏のジャッジはもっと食えなかった。みんな怒っていた。
あと、帰りの電車、千葉まで行って京葉線に乗り間違えたことに気づいて蘇我まで戻った。乗り間違えたのは去年に続いて2回目。今度行くときは間違えないようにしよう。
でも、今度行くのは再来年以降。また間違えるかもだ。