湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

社会復帰しまっさ

2011-05-31 19:26:39 | 学習

忌引き休みを取った。

家の片づけして、娘たちを送り出して、洗濯して。ニョーボは金曜日まで帰ってこない。体がなまっているので、光が丘公園で5周して、お風呂の王様に行ったりした。思えば、この日曜日は、山中湖ロードレースにエントリーしていたのに、キャンセルになった。

光が丘公園で珍しいものを発見した。

マダラ蝶である。弱っていたが、まぎれもなく、マダラ蝶であった。(写真は図鑑のパクリ)

台風に乗って、沖縄から飛んできたのだろうか。不思議。

いつまでも、うだうだしていても仕方がない。明日から出勤することにした。ちょうど6月。キリのええところで、仕切り直し。やりかけの仕事も残っているし、6月は忙しい。


白骨(ほね)拾い、目にまぶしきは、山躑躅(つつじ)

2011-05-30 21:59:13 | 学習

今まで体験したことのない、お別れだった。今までのお別れは、長いこと闘病の果てのご逝去や、老衰で、ミイラのようにやつれたなきがらや死に顔ばかりだったが、今回は違った。なにせ、まったく突然に逝かれたから、お顔も何も、死んでいる感じがしない。

棺に入れる前に、お化粧を施したのだが、肌色を塗ると、本当にただ寝ているだけとしか思えない。寝ているとしか思えない。死に実感がない。お義母さんが、この金曜日に死ぬなんて、あり得ないことだった。おととし、ワシが胃に穴が開いて体重が55キロになった時、ワシを見て涙ぐんでくれたほどだったのに…。

今でも、電話したら、すぐ出てきてくれるくらい。そんな気がしてしかたがない。死に実感がないから、悲しいという気持ちを超越している。死に実感がないといえば、先の津波の犠牲になったご遺族も、こんな感じなのだろう。とはいえ、死を実感せざるを得ないから、何かの拍子で感情がどっとこみあげる。

ワシでこんな感じなのだから、実の娘のニョーボや弟の気持ちは察して余りある。ふたりとも、気丈で全然泣いたりしなかったのだが、弟はさすがに火葬場で最後のお別れのとき感情を抑えきれなくなってしまった。ワシが肩を抱いてやりたかったのだが、彼は186センチもあるので、肩まで腕が届かない。しかたがないので、腰を何度もさするしかなかった。

親戚が少ないから、遺族といっても、お骨ひろいにまで行ったのは、お義父さん、ニョーボ、義弟、ワシ、うちの娘ふたりの6人だけ。少人数でひっそりとお通夜、葬式と終わって、娘たちは学校があるから、ニョーボだけ残して、さっき、3人で東京に帰ってきた。とりあえず、会社はしばらく休んで、家事やら何やらするつもり。ワシにできるのは、ニョーボと弟の少しでも支えになってやることだけだ。


灯明の、ひときわ映えて、五月闇

2011-05-29 21:25:15 | 学習

お通夜終わって、くつろいでいる。変かもしれないが、今日は弔い事に浸った。遺体もチェックしまくった。写真もいっぱい撮った。

遺体など、めったに見れるものではない。しっかり遺体を見ていると、人の死が実感できる。人の死が実感できると、不思議に悲しみが和らぐ。

北九州のあたりでは、骨噛みといって、親族が故人の遺骨を噛んだりする風習があったらしいが、遺体に親しむのは、悲しみを紛らわす意味があるのだろう。

ニョーボもワシも、通夜に懐かしい人に会えて、よかった。明日は葬儀。その後、東京に戻る予定。明日もたっぷり弔うつもり。


(五月闇。ほんまに暗い。)


不幸ありました(4 )

2011-05-28 23:18:32 | 学習

京都に着て、お義母さんの死に顔見たら、やっぱり力抜けてしまった。

遺体のほうは、亡祖父の家に帰って来ているのだが、少し離れた実家のほうに戻ると、いつもの優しい笑顔がそこにない。余計つらい。あっけない、の一言で片付けるには重すぎる。

京都に来る道中、はしゃいでいた娘たちも、変わり果てたおばあちゃんには泣き崩れてしまった。

家族で心経称えて、お別れをした。明日が通夜で、あさってが葬儀。じっくり弔うつもり。


不幸ありました(3)

2011-05-27 22:26:54 | 学習

結局、今日の午後に連絡があった。2日しか持たなかった。

実の母親を亡くしたニョーボと、その弟が一番かわいそうだけど、電話で聞いた感じでは、とりあえず落ち着いてはいるようだ。むしろワシ自身がちょっとショックで、けっこうつらいのだが、できるだけ早く、京都に行って、元気づけてあげたい。

お義母さんは、奈良女子大を出られて、うちの母親と同じで、やっぱり学校の先生を長く勤められた、聡明で美しい女性だった。芸能ネタが詳しくて、会話も楽しくて、料理もうまかった。

去年のお盆に、甲子園、セレッソ戦の帰りに、大覚寺の裏にある、おじいちゃん、おばあちゃんのお墓をこっそり掃除して花を活けておいたら、すぐそれとわかったみたいで、夜、電話がかかってきて、えらく感謝された。もっと元気で長生きしてほしかったお義母さん。

毎年、盆と正月は実家に寄っていたが、去年は娘たちの受験で行けず、今年の夏に行けるのを楽しみにしていたのに・・・。ご冥福を祈るしかないのだが。何だか本当にやりきれない。


不幸ありました(2)

2011-05-26 20:46:22 | 学習

第一報があったのが、夜の8時で、何とか死に目には合わせてやらねばと、動揺するニョーボに携帯電話と金子だけ持たせて、駅まで送ってゆき、終電に間に合わなかったら、八重洲口から高速バスに乗れといって、送り出した。終電の新幹線は東京駅発9時20分で、何とか間に合ったようで、午前零時前には京都市内の病院に着けたらしい。

親戚が少ないので、ニョーボと弟だけでは心細かろうと、和歌山の実家のワシの母親に電話して、翌朝、病院に行ってくれるよう頼んだ。ワシの母親は典型的な、やたら明朗でちゃらんぽらん紀州女で、お調子者でちょっと心配だったが、翌朝、つまり、今朝、バイクで和歌山駅に行き、始発で阪和線に乗り、朝の8時前には病院に行ってくれた。

病院では、持ち味を発揮しまくって、あちこちに首を突っ込んでボケをかましながら、ニョーボや弟の手伝いや、病人の世話をしまくって大活躍してくれたらしい。昼休みに、ニョーボに電話したら、突然母親が危篤状態になってしまって大変なはずのニョーボがクスクス笑いながら、「お母さんが天然でめっちゃ面白いんよ」と話してくれた。

ワシのニョーボとワシの母親とは、あたりまえだが、世間でいう姑と嫁の関係なのだが、ものすごく仲が良い。また、ワシの母親は元小学校教諭だが、長いこと小児科で院内学級で重病の小学生に授業をしていたこともあって、病院の生死には慣れているということもあるのだろう。母親には、いくら感謝しても、し足りないくらい。ニョーボには、「おまえには、もうひとり、ほんまもんのお母さんいてるんやから」といっておいた。「そうやね」といってくれた。

ただ、厳しい状況に変わりはない。会社にも報告しておいたし、土曜か日曜か、場合によっては明日にもワシも京都に行くつもり。


不幸ありました

2011-05-25 23:34:28 | 学習

ニョーボのほう。急きょ、終電で京都に向かわせました。明日、明後日は通常通り出勤予定。ただ、当然、日曜日の予定はキャンセルするつもり。娘たちは学校の宿泊行事があって、そっちには参加させたい。

思えば、東京に出てきて、今年でちょうど10年。東京に出てきて、お友達もいっぱいできて、仕事もうまく乗り換えできたし、いいことづくめなんだけど・・・。

親戚が少ないから、父母が老けて、弱った時、そばにいれないで困ると思っていたら、現実になってしまった。まだまだ大丈夫だと思っていたのに。

何だか、申し訳ない気持ちでいっぱい。何とか持ち直してくれるといいのだけど。


関西遠征まとめ

2011-05-23 21:42:08 | 学習

会場は、兵庫県三木市の三木総合防災陸上競技場。すごい田舎にあって、交通の便は悪いが、スタジアムとしては一級品である。Jの試合も過去行われたことがある。

前座(?)の関西一部、アミティエVSアイン食品。他人事だから気楽に見ていたが、めちゃめちゃ面白かった。結果は1-1のドローだったが、アミティエが攻めに攻め、アイン食品が守って守って、タテポンとカウンターで拮抗する。アミティエは、どんだけシュート打つのかと思うくらいシュートを打つが、決まらない。決定力もさることながら、アイン食品のディフェンスが少ない人数で体を入れてシュートコースを消しているようだ。

そして、2試合目がアルテリーヴォ和歌山VS関学クラブ。アルテリーヴォは、前半、先制するが、その後の追加点がない。後半、PKをとるも、よもやの失敗。その後は、なかなかチャンスが作れず、がらにもなく時間稼ぎしたりして。しかし、何とか完封して勝利をものにして。わざわざ応援に行ったかいがあった。

みかん色のアウェーユニ。

観衆、約45人。

試合後は、キング上赤坂佳孝君にユニにサインしてもらった。ひらがなで、「よしたか11」と書いていただきました。