桑名正博が逝ってもうた。さびしい。セクシャルバイオレットナンバーワン。
たまたま出張で、御堂筋の葬送パレードで見送ることができた。
まさやん、ありがとう。
桑名正博が逝ってもうた。さびしい。セクシャルバイオレットナンバーワン。
たまたま出張で、御堂筋の葬送パレードで見送ることができた。
まさやん、ありがとう。
爪が死ぬというらしい。縁起でもないが、実は今年2回目。1回目はスキーで、2回目はフルマラソン。
48にもなって、年に2回も爪が死ぬのは初めてである。
楽に生きたかったら、自分の存在を忘れるくらい能天気になることだ。自分の主義や主張、誇りを持ち続けようとすると、疲れる。イライラする元でしかない。
自分は最低の馬鹿だと思うとものすごく楽である。やることを決めて、さぼらず淡々とやって、できないことは馬鹿にはできないのだとあきらめてしまえばよい。
そういうものはしゃかりきに力を入れてやったところで、たいして結果は変わらない。100やって3しかできないのが、5くらいできるようになるかもしれない。その程度の違いだ。
プライドを持ち続けるのは、自分に期待し、自分の期待に応えつづけてゆくことでもある。そんなことが長続きするわけがない。どうせ短い人生、楽しく気楽に生きようではないか。
会社をよくしようと思ったらどうしたらよいか。今そういう作業をしている。結構時間がかかる。つぶれそうな、公的資金を受けた会社が再生委員会と称してパワーポイントのわけのわからない資料を作るのとはわけが違う。
最初にコンセプトを固める。指針のようなものだ。これは一番大事なところで、いくらでもそのようなものはできるし、すべてを選択するわけにはいかない。取捨しなければならないのだ。これが決まれば、80%くらいは作業が終わったようなものである
あとはこれに沿った評価体系を作るだけだ。この評価体系は成果目標ではなく行動目標のようなものだ。行動まで評価の対象にするわけだから、ある意味宗教的でもある。嫌な面もあるが、しかたがない。コンセプトを浸透させるためにはその通りしなければお給料が増えない仕組みにするしかない。
前のつぶれた会社はそういうものがなく、どうしようもなく腐っていた。行き当たりばったりで仕事を作るのだが、必要に応じて作るのではなく、成果目標をこなすために作るのだった。つまり顧客志向というものがなく、上司志向といってもよい。
ある日突然企画畑と称する人たちから企画会議を持ちかけられて忙しい手を止めて会議に出る。その目的は企画畑の住人の成果目標をこなすための手伝いで、現業職のワシらがかり出されるのだ。たまったものではない。そういう無意味な力がベクトルとなって会社が動くものだから結末は見えていた。
終末の近い会社と早々に見切りをつけてよかった。悪い例を見てきたので、今の会社の良さや問題点もよくわかる。自分のキャリアのストロングポイントでもある。
フルマラソンの翌日もふつうに出勤したが、けっこうしんどかった。ハーフでも30キロでも筋肉痛にならないのだが、さすがにヒザにきた。
今日は火曜日で、何とか筋肉痛は収まったが、思えば、ハーフマラソンを最初に走ったころは駅の階段を下りるのも難義したものだった。あれと同じなのだろう。
というわけで、3月も古河で行われる第1回サンスポ古河マラソンのフルマラソンにエントリーしてしまった。お調子者かよ。
平たんなコースらしいので、何とか4時間少しぐらいのタイムで走るように調整して行こう。というわけで、今シーズンはハーフマラソンはエントリーせず、すべて30キロ以上である。なんだか偉くなった気分だ。
初めて走ったけど、やっぱりフルマラソンは30キロと全然違った。アクアラインマラソンが条件が厳しかったというのはあるが、34キロくらいからめちゃめちゃ厳しかった。
歩く人が多い中で走るのは結構つらい。とりあえず、最後まで休まず走ったが、もうゴールまでのしんどいこと。ハーフマラソンとは全然違う。はっきりいって、34キロくらいからは走るというよりも、我慢してたどりつくことが目的になってしまっていた。
しかしである。ゴールした時の充実感たるや、ハーフや30キロの比ではない。とりあえず、フルマラソンが完走できたという喜びは代えがたい。
ただし、もう疲労は並大抵ではなく、足が上がらないから、荷物置き場の枠に設けられた高さ20センチほどのロープを乗り越えようとして転倒してしまった。また、近所のスーパー銭湯に入ったのだが、座敷で寝てしまった。もうどんだけ疲れ果てたか。
反省として、こんなんではいけないと思う。次は4時間少しくらいで走れるように脚力をつけようと思う。そういう目的ができたというのも大きな収穫であった。