夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

イタリア旅行記 ㏌ ローマ

2020年02月21日 16時19分20秒 | イタリア🇮🇹旅行

チヴィタ・ディ・バニョーレージョ
を後にして
バスはトスカーナ地方を駆け抜けて
135㎞先のローマを目指します。

午後2時、ローマに着いて
先ずは腹ごしらえです。
今日はピザのランチで、楽しみです。


このお店に入りました。



ピザ窯の前にはイタリア人ではなくて
東南アジア系の人が焼いています。
33人分のピザを焼くのだ・・・・・・

ガス無しのミネラルウォーターをオーダーしました。
ヨーロッパの水は硬水なので
少し違和感があります。
先ずは山盛りの野菜が出て来ました。
これは嬉しい。

2種類のピザということですが・・・・・
上に乗っているものが半分、半分ということね。
かなりビッグです。

やはり全部は食べきれませんでした。
お味は・・・・・・・・?
ドロミティに行った時に、添乗員さんが
連れて行ってくれたお店の
ピザは最高に美味しかった。

オッサン2のアメリカンコーヒーと
ミネラルウォーターで確か€6.00

ランチの後は徒歩で、「ヴァチカン」の観光です

サンタンジェロ城に架かる
サンタンジェロ橋の前の像の
頭の上に乗るカモメ。


あっ
ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂が
見えてきました。

ヴァチカン市国は、日比谷公園の約3倍弱の
国土に聖職者や護衛など800人が暮らしています。



1505年にローマ法王のユリウス2世が
スイス人の衛兵隊を置いて以来
ヴァチカンの警護には
スイス人が従事しています。

ここまで来ると
イタリア人のガイドさんが
「今日は入場者がそんなに並んでいないから
サン・ピエトロ大聖堂に入りましょう」と
言ってくれました。

世界的にそうですが
中国人観光客が何処にもいなくて
観光がスムーズに進み
朝食時にも居ないので、静かに
ゆっくり食事をすることが出来ました。
サン・ピエトロ大聖堂の入場者の列にも
中国人は一人もいませんでしたので
ガイドさんが入場することにしてくれました。

出国する前から新コロナウイルスが
日本にもクルーズ船を中心に
広がりつつありました。
本当に迷惑な中国ではありますが
そのお陰で(不謹慎かもしれませんが)
私達観光者は
ゆっくり、じっくりと観光が食事が
出来ました。
でも街中のお店や観光地、ホテルなどは
売り上げがガタ落ちだとか・・・・・

入場して直ぐに
目に入ったのが右の方にある
ミケランジェロ作の
キリストの死を憐れむ聖母マリア像の

「ピエタ」 1498-1500年

古典的な調和、美、抑制という
ルネサンスの理想の最終到達点ともいうべき
完成度を誇り、ミケランジェロの数多い作品の中でも
とりわけ洗練され精密を極めた
ものとなっています。

ジャン・ド・ピレール・ド・ラグロラ枢機卿からの
依頼を受けて、ミケランジェロは大理石の
一枚岩にピエタ(哀悼の意味)像を彫りました。
完成した時、30代のキリストに対して
若々しい聖母マリア像に
枢機卿は非難しましたが
ミケランジェロは
「原罪のない聖母マリアは歳をとらない」と
断言したそうです。

2度の破壊行為にあい
今は防弾ガラスガラス越しに見ることができる
ピエタ像ですが、
その慈愛に満ちた神々しい姿は
見る者を優しく包み込むオーラを放ち、
見ていると何故か、涙が溢れてきます。

「ダビデ像」と並ぶミケランジェロの
最高傑作と言われています。


大聖堂の中を歩きます。


この大聖堂は16世紀にユリウス2世の命で
再建が始まり、ラファエッロが担当した後、
1546年にミケランジェロが
主任建築家に任命され
歴代建築家が仕事を継ぎ、1626年に
世界最大のカトリック大聖堂が完成しました。



この大天蓋は、先のサンタンジェロ橋を
設計したと同じベルニーニが彫刻を
施したそうです。


床にも注目!
色大理石をふんだんに使用しています。


右側の建物の2階の、右からの2番目の窓から
昨年11月に来日したフランシスコローマ教皇が
日曜日には手を振るそうです。

17世紀にベルニーニが設計した
バロック様式のサン・ピエトロ広場。

中央に立つオベリスクは
3代皇帝カリグラがエジプトから運ばせたものです。

約半世紀前にこの辺りで、コカ・コーラを
飲んだことを思い出しました。


ヴァチカンを後にして
バスに乗って、ローマ歴史地区の観光に行きます。

車窓からのコロッセオ

途中、「ローマの休日」でおなじみの
「真実の口」がある
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の前を
通りましたが、長い行列ができていました。

バスを降りて、しばらく歩くと

ひとだかりの「トレヴィの泉」がありました。


この泉に背を向けてコインを1枚投げ入れると
ローマ再訪が叶うといいます。
但しコインは予め財布から出しておくようにと
ガイドさんから言われました。
スリが財布を何処に入れたか
見ているそうです。

泉のそばのこのお店で
またジェラートを食べました。
ベローナより安かった。
確か2種類盛ってもらって€3.00でした。

スペイン階段ではすっかり夜になって
しまいました。
以前はみんなが階段に座っていましたが
今は座ることは禁止され、座っていると
注意されます。


スペイン階段の上の方にあった
革製品のお店。
時間があったら入りたかったのに残念!

下のバッグが良さそうだった。


観光の後、レストランで夕食です。

何故か今日は生ハムなどの
前菜が出ました。
阪急さん、切り詰めていた予算に少し余裕が
出てきたのか、はたまた思いのほか
オプショナルツアーの参加者が多かったので
お金が余ったに違いない。
と下衆の勘繰りをする私は
ゲスの極み?

このまえに確かパスタが出ました。


デザートはアイスクリーム


ランチ時間が遅かったので
お腹が空いていなくて、少し残しました。
でも美味しかったです。


これから少し郊外にあるホテルに行きます。
ああ!疲れました。


今日も来てくださってありがとうございます。



イタリア旅行記 IN チヴィタ・ディ・バニョーレージョ

2020年02月20日 22時24分31秒 | イタリア🇮🇹旅行

・・・・・・・・・5日目・・・・・・・・

唯一バスタブ🛀の無かったホテル
ウォールアートを後にして
さあ
今日はこのイタリア旅行で一番
行きたかった所です。
この未だに名前を最後まで言えない
チヴィタ・ディ・バニョーレージョに行きます。

バスで約3時間・・・・・
そろそろかな・・・・・・と思っていると
あっ!あれかな?

何か天空の城のようですね。ワクワクです。

このチヴィタの歴史は、ローマより古く
2,500年以上前にエトルニア人によって
作られたそうです。

手前の町で私達はバスを降りて
シャトルバスに乗ってここまできます。


そこから坂を下って橋の入り口まで行きます。

橋の入り口まで着きました。
入場料を払って、いざっ!

15分ほどこの坂道の橋を渡っていきます。
長さは300mほど

このチヴィタは火山噴火によってできた凝灰岩で
できておりもろく、雨などの侵食を受け
またイタリア中部という
地震の多い土地柄もあり、これまでに
何度も地震にあい、
1764年の大地震においては、隣町に通じる
道が崩壊し、多くの住民が町を離れることになり
チヴィタは廃墟の町となりました。

やっとサンタ・マリア門に到着です。
きつかった!


現在のチヴィタの住民は10~15人程です。
ニャンコも含まれているの?
(ヤマト君を思い出しちゃった。どうしているかな)



本当に古い町です。


唯一の教会がありました。

古い質素な内部




大地震の後には、老人と崩壊した町が
取り残されて「死にゆく町」となりました。

有料のおトイレ。
女子トイレの前で待っていたら
管理しているおじさんが、男子トイレが空いたから
こっちに入ったらと勧めてくれたので
男子トイレで用を足しました。


「死にゆく町」はインターネットが発達した
今日、ここ20年程で世界の人達に
知られるようになりました。
そして年間30万人が訪れる
大観光地となりました。


廃墟と化したチヴィタ

現在のチヴィタ・ディ・バニョーレージョ


夕食時
同席した若い女性に
「モンサンミッシェルとチヴィタ・ディ・バニョーレージョと
どっちが良かった?」と聞いたところ
「断然モンサンミッシェルの方が良かった」
とのこと・・・・・・・・・・

あっそうなの・・・・・・・・


今日も来てくださってありがとうございます。


イタリア旅行記 in フィレンツェ&ピサの斜塔

2020年02月18日 13時40分58秒 | イタリア🇮🇹旅行



この美しいフィレンツェの街は
15世紀の実質的な支配者として君臨した一族
メディチ家が造った。と言っても過言ではない
かも知れません。

メディチ家がしてきた、
4世紀以上に及ぶ美術品収集の歴史が
街の文化変遷と一体となって展開してきた
唯一の例となっています。

メディチ家の紋章

また三世紀にわたって、
銀行経営で得た莫大な財産をもとに、
ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、
ミケランジェロ、ヴァザーリなど多数の
芸術家のパトロンとなり、ルネサンスの文化を
育てる上で、大きな役割を果たしてきました。

この肖像画の
アンナ・マリア・ルイーザは
メディチ家直系で最後の女性です。
この彼女の遺言により、ウフィッツィ美術館の
コレクションという、メディチ家の栄華を
現代にまで伝えることが出来ました。


ヴェッキオ橋(古い橋)は
フィレンツェ最古の橋で、
ウフィッツィ美術館からは、この橋を越えて
アルノ川対岸のピッテイ宮殿まで
大回廊で繋がっています。


フィレンツェの街を散策します。


観光用の馬車も走っています。


シニョーリ広場に立つ
原寸大のダヴィデ像(レプリカ)


1世紀、ローマ時代に造られた
大理石のイニシシの複製の複製の
ブロンズ像。(ウフィッツィ美術館にもある)
撫でると幸運が訪れるという。


ドゥオーモ
正式名称は
「サンタ・マリア・デル・フィオーレ花の聖母大聖堂」
完成に要した歳月は約600年。
このクーポラ(丸屋根)は聖堂に被せるように
建造されたそうです。


ドゥオーモ脇の「ジェットの鐘楼」
第1層~5層までを3人の建築担当者が
引き継いで完成させました。




礼拝堂の「天国の門」
ミケランジェロが称賛したという扉。

フィレンツェではそんなにお花が
見られませんでした。


街中のメリーゴーランド





ランチは中華料理でした。



でもね、お味はイマイチでした。
麻婆豆腐も酢豚(後で酢豚と分かる)も
唐揚げも何か変!
もどき味ね。
私が作った方がよっぽど美味しい!
(でもこれはあくまでも私の見解ですよ。)



この後は自由行動となり
私たちはオプショナルツアーで
ピサの斜塔に行きました。

到着して、バスの駐車場から
ピサの斜塔まで歩きですが、時間が押していたので
シャトルバスを貸し切ってくれました。
添乗員さん10ユーロ値切ったとか・・・・


城門を入るとそこには

ピサの斜塔が単体で建っていると
思っていましたが・・・・・・
こんなドゥオーモや礼拝堂があるなんて
思わなかったよ。

最上部までは
大理石のらせん階段を273段登ります。
一度に40人の入場制限があります。

11~13世紀頃に
もともと地盤の弱い場所に建設され
12世紀の建設中から、傾いていたという。

裏側から見た写真です。
高さは約58mあります。傾きは4度。


ドゥオーモの内部





ピサの斜塔を後にして
バスはトスカーナ地方の美しい田舎を走り
帰路につきました。








本当は畑の中に建つ
廃墟の農業小屋の写真を撮りたかったのですが
何度もシャッターチャンスを逃してしまいました。


ここには
テレビでみる「イタリアの小さな村の物語」が
存在している感じがしませんか?
トスカーナ地方いいですよね。
アメリカ人も憧れる田舎風景です。



夕食はホテルで・・・・

身の柔らかいお魚のフライ
この前にパスタが出ましたが
撮り忘れました。


今夜もこの「ウオールアート」ホテルに
泊まります。



ヤマト君が帰ってこない夜が
明けると


外は一面の銀世界。

ブルーベリーの花も
雪の玉と化しました。

寄せ植えもこの通りに

多肉植物も雪に埋もれました。



この寒空の下

ヤマト~く~ん!

今日も来てくださってありがとうございます。



イタリア旅行記 in ベローナ

2020年02月14日 17時02分38秒 | イタリア🇮🇹旅行

ミラノ観光後
ランチタイムです。

最初に出てきたのは

サフランライスのリゾット
次に出てきたのは

ミラノ風カツレツ
カツレツはオーストリアでも
頂きましたね。


蒸しパンのようなもっちり感のあるパン
普通の珈琲をオーダーする時は
「アメリカンコーヒー」と言おう。
ただ「コーヒー」と言うとエスプレッソが出てきます。


デザート

ドリンクメニュー


グラスラインは€6.00でした。


食後、バスが止まっている所まで歩きます。

市場があったので覗いてみました。




人参は小さめです。
左端の野菜は何?

手前はアマリリス€8.00かな?
シクラメンは€4.00かな?


この苺が美味しそうで
何より安かったので買いました。€2.00

こんな袋に入れてくれました。

アーチチョークだけ売っているおじさん

屋台の食べ物屋さん
鶏の唐揚げのような物を売っていました。





お天気にも恵まれて最高!



ミラノから161㎞離れ、
古代ローマ時代から繁栄した街、ヴェローナへ


アデイジェ川に架かる
スカリジェロ橋がみえてきました。

中世にタイムスリップしたかのような趣きタップリ

ため息が出そうなほどの景色



陽気でベローナ愛に溢れたガイドさん
「この建物は15世紀のものだから・・・・・
何様式ですか?」と
説明したことを私たちが頭に入れたか
いちいち確認してくる。


窓辺を飾る植物

旧市街を歩いていると巨大な建造物が・・・・・

アレーナ

ローマにあるコロッセオより古く
1世紀、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの
時代に建造された円形闘技場で2万5千人を
収容できたそうです。
現在、夏はオペラを上演し、世界各国から
観劇に来るそうです。



旧市街を歩いていると
敷き詰められた大理石に所どころで

この様な化石が見られます。

「神曲」などを書いたダンテの像

フィレンツェを追われたダンテは
この像の立つシニョーリ広場の前の
ラジョーネ宮に暮らしていました。


ヴェローナと言えば
かの有名なロミオとジュリエット。

ジュリエットの家のバルコニーには
有料で上がることができます。


ジュリエットの像の胸に触って写真を撮ると
幸せな結婚が出来るという。
でもこの周りにはスリが潜んでいるので
ご用心とのことです。

ガイドさんが教えてくれたスィーツのお店

ケースの上には苺の入った容器がズラッと
並んでいます。

その上にチョコレートをかけ
ホイップクリームを乗せたもの。
オッサン2は美味そうに食べていました。
確か私が買ったジェラート€5.00より高かった。

選んだ3種類のジェラートを
乗せてくれます。
この様なお店は、先にお金を払い
そのレシートを持ってジェラート売り場に行って
容器に入れてもらいます。

大好きなジェラートを食べられて大満足。

ベローナの街を離れてモリアーノベネトの
ヒルトンホテルへ




ホテルで夕食です。

パスタ

食べかけの写真でごめんなさいね。

デザート




帰ったら咲いていた
クリスマスローズ

大のお気に入り、気品あるでしょう?





庭の主がいなくても
花は咲く・・・・・・・植物は、自然は偉大です。


今日も来てくださってありがとうございます。




イタリア旅行記 in ミラノ

2020年02月13日 22時21分58秒 | イタリア🇮🇹旅行

ミュンヘンを経由して
イタリアのミラノに着いたのは
午後7時40分頃でした。
それからバスで宿泊ホテルの
「ホリデイイン・ミラン・ノルド・ザラ」に着いたのは
もう10時になろうという頃でした。






・・・・・・・ 2日目 ・・・・・・・


翌朝は8時にバスで
ミラノ観光に出かけました。


スフォルツェスコ城が見えてきました。

ここは13世紀末にミラノを支配した、
ヴィスコンティ家の居城でしたが、ヴィスコンティ家の
断絶後は、スフォルツァ家のフランチェスコが統治し
15世紀に改築しました。


塔の上には
ヴィスコンティ家の紋章であるビショーネ
「人を飲み込む蛇」が描かれています。
ビショーネは後にミラノ公国の国章にも
取り入れられました。


スフォルツェスコ城の前にある噴水で
ツートンカラーのカラスが
水浴びをしていました。

ここから歩いて
ドゥオーモの方に行きます。
とにかく古い街は、観光バスをとめておく場所が
ないので、必然的に徒歩での観光になります。
その癖、道路の両脇は駐車スペースで
車がズラリと並んでいます。
誰かがガイドさんに聞きました。
「フェラーリの国なのにどうして
フェラーリが駐車していないの?」と
するとガイドさん曰く
「そんな高級車を路上駐車する人はいません
みんな専用のガレージに入れます。」


ベビー服のお店
でも赤ちゃんのマネキン人形は
余り可愛くないみたい。


紳士靴のお店
1€=125円として、だいたい
18,000~20,000円のお値段です。
そんなに目玉が飛び出るほどは
お高くありません。

お菓子屋さん

チョコレートが大好きなオッサン2の
袖を引っ張って、出口へ
「チョコレートはローマのスーパーで買おう」



ガレリア・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世
というイタリアを統一した初代国王の名前を冠した
ドゥオーモとスカラ座を結ぶ十字形のアーケード。
プラダ本店などの高級ブティックが並ぶ。

プラダのお店は
十字架の中心部分に2店舗あります。



とにかく高級店で、入る勇気がありませんでした。

床のモザイクタイルの
「トリノ」の紋章の中心部分に
利き足のかかとを当てながら3回転すると
良いことがあるそうです。
多くの人がするので
そこだけ床が沈んでしまっています。



ドゥオーモ
1386年に着工し400年をかけて造られた
ゴチック様式の建築としては、イタリア最大の
大聖堂です。

遥か約半世紀前に
この広場で座っていると
若きイタリアーノから
「ベトナム人?」と声を掛けられて
複雑な気持ちになったことを、思い出しました。

ここでたったの40分間の自由行動です。
ドゥオーモに入ろうとしたのですが
時間を要するチケット販売だったので
諦めて、近くを散策することに・・・・・

チケットを買う予約券を発行する自販機が
3台ありましたが、それを直接の
チケット販売機にすればいいことなのに・・・・
なぜそんな手間なことをするのだろう・・・・・
予約券を取って、その番号を呼ばれたら
カウンターに行ってチケットを買うシステムです。

おトイレのこともあったので
近くのデパートに入りました。
そこでオッサン2が買ったコーヒーカップ


白いコーヒーカップ €41.90
黒の方はお土産物店で買った物で
幾らだったのかなあ?


続きはまた明日ね。


今日も来てくださってありがとうございます。