勿忘草(わすれなぐさ)
「藍微塵遠き師の恋歌の恋」 石原 八束
勿忘草は俳句では藍微塵(あいみじん)とも言います。
(花の歳時記より)
ウオーキングに出かけました。
同じコースだと、目新しいものもないのですが
デイジー、ネモフィラ・ペニーブラックと
小さい白い花は何かな・・・
後ろはオステオスペルマム・・・・
このお宅はいつも
可愛い寄せ植えをつくっています。
これも同じお宅の寄せ植えです。
下の方の可愛いリーフはオレガノ?
オレガノを寄せ植えに使うなんて
センス良すぎません?
ノースポールがモリモリです。
私も今年の秋には種を10袋程買って
播いてみよう。
インパクトありますよね。
これは何と言う名前の花?
葉っぱが可愛いね。
桜が7分咲きです。
日本特有のお花見という文化は
いつ生まれたのでしょう。
お花見の起源は、奈良時代(700年代)だそうで
この頃は桜ではなくて梅の花で
お花見はされていました。
やがて平安時代に入ってから、日本に古来から自生
している桜に、お花見のシフトは移って行きます。
梅は中国からもたらされた花でした。
その当時の貴族にとって、お花見という場は
詩歌を披露して、教養を競う場でもありましたが
1300年以上経った現在は、様変わりも著しく
まさしく花より団子で・・・・
宴会の場となってしまいました。
それにしても日本人は何故こんなにも
桜を愛でるようになったのでしょう?
それには
その時代、時代の権力者が桜を愛でてきたという
背景があります。
古くは平安時代の嵯峨天皇が、京都の「神泉苑」で
「花宴の節」を催し。
鎌倉時代になると、花見の風習が貴族から
武士階級にも及び。
室町幕府の8代将軍足利義政が
「花頂山大原野の花見」をし
豊臣秀吉は「吉野の花見」や「醍醐の花見」などを
大規模に行いました。
江戸時代になると、8代将軍の徳川吉宗が
大規模な桜の植樹を行い、これを機にお花見が
庶民の行楽として定着していきました。
これからお花見をされる方、もうされた方・・・・
平成最後のお花見は
世代交代の節目の時を惜しんで・・・・
また新しい元号を祝い・・・・
色々な思いで桜を愛でながらするのでしょうか。
ガザニア
ムスカリとこの黄色の花は?
アジュガは陽当りが良すぎると
こんなにボケた紫になってしまう?
これは?
ヤマト君、柵によじ登って
隙間の大きな所から抜けて・・・・
見つけた獲物を狙っています。
おおかたはトカゲですが
捕ってきては、これ見よがしにレンガの小径に
置いています。
尻尾が切れ、干からびたトカゲをあちこちで
見かけるようになりました。
今日も来てくださってありがとうございます。