インド7日目の朝
8時30分にスーツケースを
ドアの外に出して、9時にはホテルとも
お別れしてバスに乗り込みます。
ニューガバメント・スクール・サークルでバスを降り
オートリキシャで旧市街のサダルマーケットの中心に
建つ時計塔へ。
高さは30m、1920年にマハラジャの
サルダール・シンによって建てられました。
今も時を刻んでいます。
素敵なカップルと遭遇!
「フォト OK?」と聞くとニッコリ。
撮らせて頂きました~
この後で、観光予定になかった階段井戸へ。
昨晩の夕食時に「近くに階段井戸があるので
チラッとでも観光できませんか?」と
添乗員さんに打診していました。
お願いを聞いてくれた添乗員さんに感謝。
徒歩で向かいます。
素焼きのお店。
私たちがレンガ、レンガと言うものだから
作業場のお兄さんもやけっぱち気味に
「レンガ!レンガ!レンガ」を連発していた。
街中に突如現れたトゥールジーの階段井戸
1740年代に造られたもので
西インドにはいくつもの階段井戸がありますが
こんな街中に位置するものは、大変珍しいそう。
遥か遠くには昨日行った、メヘラーンガル城砦
が見えます。
マハラジャの王様と妃か・・・・
しかしこの階段井戸の規模は
小さな方で
階段が幾重にも造られて
それは美しい幾何学模様を織りなしている
大規模な階段井戸が多数あるそうです。
自称インド人マダムさんに見せていただいた
スマホの画像の階段井戸は、美しく掘られた
装飾がそれは素敵な階段井戸でした。
「王妃の井戸」と呼ばれるものらしい。
車の上でまったりしているお🐶さま。
ジャイサルメールでは道の真ん中で
バイクや牛が通るのもお構いなしで、
悠々と寝ている🐶を多数みかけました。
そう言えば動いている🐶は、見かけなかったな。
その後はバザールを散策して・・・・
参加者の琵琶奏者の女性は1枚200円の
ストールを何枚か「安い!安い!」と言いながら
買っていました~
活気溢れる旧市街とお別れして
一旦ホテルに戻り
ジョドプール空港へ
デリーへのチェックインまでの時間に
軽食のランチを済ませ
ジョドプール空港をエア・インディア機は
15時に離陸しました~
1時間25分のフライトでしたが、
こんなスナックも出ました。
相変わらずスモッグに煙るデリーの空港。
巨大象もいました。
さすが日本の航空会社の2社の現地社員の
女性は、日本人と見かけると「こんにちわ」と
声をかけてくれます。教育が行き届いていますね。
19時55分、日本航空30便の機上の人となり
チキンハンバーグ弁当は
まずまずでしたが、後の日本食はまずかった。
帰りは偏西風に乗るので7時間程で
羽田空港国際線ターミナルに無事到着し
面白かったインドの旅も終わりました。
振り返ると、たった7名での旅だったので
みんなで和気あいあいと、食事会場では
笑い声が絶えない旅でした。
旅行参加者の方のそれぞれの印象に残る
個性を表現すると
① 大阪のおばちゃん
② 自称インド人マダム
③ お寺の琵琶奏者
④ 長野の天然おばちゃん
⑤ 横浜のバイリンガル
それぞれ個性豊かな方達で、インドは10回以上
5~6回、3回目など私達以外は
見事に複数回目のインド訪問。
なぜこんなにも彼女たちを虜にする
インドの魅力とは・・・・ずっと旅行中に
ばあさんの頭から離れなかった疑問。
インドから帰ってもう10日以上経ちましたが
何故か懐かしくて、もう一回行きたいなと
思う自分に驚いたりしています。
きっと彼女たちもこんな気持ちを帰国後に
感じていたに違いないと思いました。
だから自然にまたインドに降り立って
しまうのですね。
帰国後に友達にありのままのインドの
ことを語ると「私はそんな汚い所は嫌だ」と
一喝する人、嫌悪感を出す人など様々です。
でもばあさんは地球上のあらゆる人たちの
文化や生活、生きざまをこの目で確かめたい
という好奇心が勝り、これまで何か国かを
巡ってきましたが、インドほど強烈に衝撃を受けた
国はありません。それは単に貧富の差や
便利さや不便さ、衛生的や非衛生的などでは
かたずけられない何かがあるのです。
それを確かめに再びインドの地に
降り立つかもしれません。
ここで以前読んだ
沢木耕太郎氏の深夜特急 第二便 ペルシャの風
の中の一説を抜粋したいと思います。
ベナレスでは、聖なるものと俗なるものとが
画然と分かれてはいなかった。それらはお互いに
背中合わせに貼りついていたり、ひとつのものの中に
同居していたりしていた。喧騒の隣に静寂があり、
悲劇の向こうで喜劇が演じられていた。
ベナレスは、命ある者の、生と死のすべてが
無秩序に演じられている劇場のような町だった。
長らくのご訪問ありがとうございます。
また次回はガーデニングでお会いしましょう。