夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

さらばインド!またいつか・・・会えるといいな。

2024年12月08日 15時08分01秒 | インド ジャイサルメール




インド7日目の朝

8時30分にスーツケースを
ドアの外に出して、9時にはホテルとも
お別れしてバスに乗り込みます。







ニューガバメント・スクール・サークルでバスを降り
オートリキシャで旧市街のサダルマーケットの中心に
建つ時計塔へ。


高さは30m、1920年にマハラジャの
サルダール・シンによって建てられました。
今も時を刻んでいます。


素敵なカップルと遭遇!
「フォト OK?」と聞くとニッコリ。
撮らせて頂きました~


この後で、観光予定になかった階段井戸へ。
昨晩の夕食時に「近くに階段井戸があるので
チラッとでも観光できませんか?」と
添乗員さんに打診していました。

お願いを聞いてくれた添乗員さんに感謝。


徒歩で向かいます。


素焼きのお店。


私たちがレンガ、レンガと言うものだから
作業場のお兄さんもやけっぱち気味に
「レンガ!レンガ!レンガ」を連発していた。


街中に突如現れたトゥールジーの階段井戸



1740年代に造られたもので


西インドにはいくつもの階段井戸がありますが


こんな街中に位置するものは、大変珍しいそう。


遥か遠くには昨日行った、メヘラーンガル城砦
が見えます。
マハラジャの王様と妃か・・・・


しかしこの階段井戸の規模は
小さな方で


階段が幾重にも造られて
それは美しい幾何学模様を織りなしている
大規模な階段井戸が多数あるそうです。

自称インド人マダムさんに見せていただいた
スマホの画像の階段井戸は、美しく掘られた
装飾がそれは素敵な階段井戸でした。
「王妃の井戸」と呼ばれるものらしい。


車の上でまったりしているお🐶さま。
ジャイサルメールでは道の真ん中で
バイクや牛が通るのもお構いなしで、
悠々と寝ている🐶を多数みかけました。
そう言えば動いている🐶は、見かけなかったな。








その後はバザールを散策して・・・・
参加者の琵琶奏者の女性は1枚200円の
ストールを何枚か「安い!安い!」と言いながら
買っていました~









活気溢れる旧市街とお別れして


一旦ホテルに戻り


ジョドプール空港へ


デリーへのチェックインまでの時間に
軽食のランチを済ませ


ジョドプール空港をエア・インディア機は
15時に離陸しました~


1時間25分のフライトでしたが、
こんなスナックも出ました。


相変わらずスモッグに煙るデリーの空港。


巨大象もいました。







さすが日本の航空会社の2社の現地社員の
女性は、日本人と見かけると「こんにちわ」と
声をかけてくれます。教育が行き届いていますね。

19時55分、日本航空30便の機上の人となり


チキンハンバーグ弁当は
まずまずでしたが、後の日本食はまずかった。

帰りは偏西風に乗るので7時間程で
羽田空港国際線ターミナルに無事到着し
面白かったインドの旅も終わりました。

振り返ると、たった7名での旅だったので
みんなで和気あいあいと、食事会場では
笑い声が絶えない旅でした。

旅行参加者の方のそれぞれの印象に残る
個性を表現すると
① 大阪のおばちゃん
 ② 自称インド人マダム 
③ お寺の琵琶奏者  
 ④ 長野の天然おばちゃん
⑤ 横浜のバイリンガル

それぞれ個性豊かな方達で、インドは10回以上
5~6回、3回目など私達以外は
見事に複数回目のインド訪問。
なぜこんなにも彼女たちを虜にする
インドの魅力とは・・・・ずっと旅行中に
ばあさんの頭から離れなかった疑問。

インドから帰ってもう10日以上経ちましたが
何故か懐かしくて、もう一回行きたいなと
思う自分に驚いたりしています。
きっと彼女たちもこんな気持ちを帰国後に
感じていたに違いないと思いました。
だから自然にまたインドに降り立って
しまうのですね。

帰国後に友達にありのままのインドの
ことを語ると「私はそんな汚い所は嫌だ」と
一喝する人、嫌悪感を出す人など様々です。

でもばあさんは地球上のあらゆる人たちの
文化や生活、生きざまをこの目で確かめたい
という好奇心が勝り、これまで何か国かを
巡ってきましたが、インドほど強烈に衝撃を受けた
国はありません。それは単に貧富の差や
便利さや不便さ、衛生的や非衛生的などでは
かたずけられない何かがあるのです。

それを確かめに再びインドの地に
降り立つかもしれません。


ここで以前読んだ
沢木耕太郎氏の深夜特急 第二便 ペルシャの風
の中の一説を抜粋したいと思います。

ベナレスでは、聖なるものと俗なるものとが
画然と分かれてはいなかった。それらはお互いに
背中合わせに貼りついていたり、ひとつのものの中に
同居していたりしていた。喧騒の隣に静寂があり、
悲劇の向こうで喜劇が演じられていた。
ベナレスは、命ある者の、生と死のすべてが
無秩序に演じられている劇場のような町だった。




長らくのご訪問ありがとうございます。


また次回はガーデニングでお会いしましょう。


    

インドの食べ物

2024年12月07日 17時54分57秒 | インド ジャイサルメール



ジャスワント・タダを後にして
これからオートリキシャに乗って


なるべく派手派手のリキシャが良いと


右側のリキシャにサッと乗り込みました。
早い!早い!バイクや他のリキシャと
スレスレで駆け抜けるこの運転技術。少しでも
空間を開けると、そこに別のリキシャがスッと
入り込んでくる。
事故が発生しないことが不思議でならない。

そんなスリル満点のオートリキシャを
旧市街の中で降りると


ジョドプールでの現地ガイドのサクティ・シンさんと
そのお子さんと会う。
目の下にアイラインを入れているお子さん。
何かのおまじない?



ジョドプールの町中には牛はいないので
歩きやすい。行政が牛を締め出しているそうです。
代わりにロバがいてレンガを運んでいた。


だんだんとめいてきたぞ!


まさしくに遭遇。
でも僅かな所しか見られなかった。



帰り道で屋台の八百屋さんを冷やかす。
日本人のおばちゃんに取り囲まれ
おじさんも戸惑い気味だ~


ここのレストランでランチにします。


お決まりのスープと
チキン、たまご、ほうれん草のカレーを頂き、


デザートと


ブラックティーと言うと
普通の紅茶が出てくるのです。



ランチ後

今もマハラジャの一族が住んでいるという
ウメイド・バワン宮殿博物館


全部で347室あり、半分がホテルとなっています。


今の王様かな?



豪華なガラス器の数々。




大きくて広ーいです。
かの自称インド人マダムが、このホテルに泊まった
ことがあるそうで、王様とも写真を一緒に撮ったそうです。

そうなんだー 帰国してもホワホワな夢のような
インド滞在だったことでしょう!


ここから一旦ホテルに戻り
希望者だけスーパーマーケットへ

ばあさんはスーパーに行きたかったのに
お腹の具合が悪かったので、泣く泣く諦めて、
おっさん2だけお出かけー

おっさん2が帰ってきて、「どうだった?」と
聞くと、「凄いスーパーで商品が山のように積まれていた」
「フ~ンそうなんだー、それで何を買ってきた?」
「自称インド人マダムが薦めるお菓子を少し」
「そうぉーどんなん見せて」と言うのに
どうしても見せないおっさん2
何を恐れているんだー
まあ帰ったら見られることだし・・・・


インド最後の晩餐は・・・・・



ワインをオーダーしました~
これは〇ールド航空サービスの奢りです。
イエ~イ!太っ腹!ということで
飲みたくてもルピーの手持ちがなくなってしまい
ジッとこの2日間、ミネラルウォーターで
我慢していました。


スープの後はいつものベジタリアンカレーを・・・

おしゃべりしながらこの



野菜の中のこのインゲン豆をついパクリ!

エッ!辛~い! 辛~い! 辛~い!
口の中に火がついたー
水を飲んでも収まらない!
ウエイターのお兄さんに「シュガー、シュガー」と
リクエストして、やっとお口の中が消火されて
落ち着いた。

だが・・・・これだけではなかった~

帰国してから・・・またまた尾籠なお話しですが
肛門の周りがただれてしまった。
そうなんです。刺激物に弱かったmyお尻を
この何十年か忘れていました。

みなさんも青い唐辛子には気をつけよう!





翌朝の朝食はこんな感じー
ベジタリアンなのにチーズはいいんだね。

今日のデトックスウォーターは
得体の知れない赤い野菜。


そして美味しかったホットサンドウィッチも
運ばれて来るのが遅かったので
2回催促に行ったら、その回数分だけ
サンドウィッチが入ったお皿が届いた~
こんなに食べられないよー


ここでインドの珍しい果物を紹介しますね。
写真左上のジャガイモのような果物は
サポジラ。干し柿のような味がします。
右側の物体は・・・(大阪のおばちゃんは岩だと言っていた)
ネットで検索してもなかなか出てこないので
半ば諦めていたら、最後の方で菱の実というのが
出てきたので開いてみると・・・・まさしくこれのよう。
この固い岩のような外観は、茹でた成れの果ての姿で
ナイフで切ってみて恐る恐る口に入れてみた。
本当は栗やユリ根のような味がするらしいですが
冷めていたのでそんなに美味しいものでは
なかった~ホクホクを食べてみたかった~



それでは明日で大詰めです。


今日も来てくださってありがとうございます。



ジョドプールでモテ期を迎える

2024年12月06日 16時15分06秒 | インド ジャイサルメール



さて、ジョドプールのホテル
ラディソン・ジョドプール


のお部屋はこんな感じです。


窓からの景色は大したことはありませんが
まずまずのお部屋です。


夕刻にはこんな霧?イヤ光化学スモッグ?
ジョドプールの人口は183万人で、ラジャスタン州
ではジャイプールに次いで2番目に大きな街です。

さて、夕食は
このホテルのオーナーがジャイナ教徒のために
全てがベジタリアンメニューになっています。
そうなんだー何か物足りないなぁ






何なんだーこの鳥がついばみそうな料理は・・・


人懐っこいウエイターのお兄さん。

翌朝の朝食は・・・


このデトックスウォーターを飲んでみました。
冷えてはいないため、生ぬるい水に微かな
柑橘系の味と香りがします。
3時間以上浸けたら栄養成分が水に
溶け出すそうですが・・・・・
そのままフルーツをかじった方が良くないかい?


ホットサンドウィッチも提供しています。
これは美味しかった。


ホテルの中庭




フロントは豪華です。
さすが商売上手なジャイナ教徒。


ドアボーイのおじさんはお髭の人が多い。

今日は、ジョドプールの観光オンリー
さて「ブルーシティー」ってホントなの
街中を走ってもそんな欠片も見えませんが・・・

ホテルからバスが走ること30分で


メヘラーンガル城砦に着きました~

近くで見ると凄い迫力です。

ばあさんは漫画の「one  piece」
読んだことはありませんが。その
アラベスク城のモデルとなった城塞です。


ここでおトイレから出て来る人達を待っていると
インド人の女性2人が、一緒に写真を撮りたいと
行ってきたので、こんなしょぼくれたばあさんでも
良いのならなんぼでも・・・と並んで
写真に収まりました~
しかしこの日は2回、インド人女性から一緒にと
リクエストがあって、インドではモテ期の年齢か~と
ちょっといい気になっていましたが
だだ単に日本人女性が珍しかったのでは・・・と
後で気付きました~残念!


ジャイポール(勝利の門)から城砦の中に・・
中にはエレベーターがあり一気に最上階へ

上がるとガイドのランジットさんが「こっちへ」と
呼びます。行ってみると


城砦の向こうには旧市街が霞んで見え


微かに見える青い町


ガイドさんの説明では
富裕層のジャイナ教徒の家だけが青く塗る
ことを許されて、蚊やシロアリといった害虫を
防ぐためのほか、屋内の気温を上がりにくくする
ためでもあるそう。


1459年、マールワール王国の
ラートール家のラーオ・ジョーダー王が
マルワール王国の首都として遷都し創立。
高さが130mの岩山の上に36mの城壁があり
その城壁は10㎞もあり


旧市街へも伸びている。






ここも宮殿内は博物館になっており


象の背中に乗せたみこし




室内に入る陽射しが優しくなる窓


豪華なお部屋




城砦の中は栄華を極めていました。


この時代の女性は夫に先立たれると
生活の術がないので、夫が火葬されている火の
中に身投げをする女性が多かったとか。
ふと、その反対は・・・・・・ないよね。
この手形は全て女性のもののようで
思いの外、小さかった。


城砦の外に出ました。


そこから少しだけバスに乗って


ジャスワント・タダ










内部は白い大理石で造られ
伝統的な彫刻で飾られています。



ジャスワント・タダより見ると
壁のように立ちはだかるメヘラーンガル城砦。


インド人の家族と親しくなった
自称インド人マダム。
子供に折り鶴を渡している。


長くなったけれど・・・
もう少しでおしまいですので
お終いまで訪問して頂くとありがたいです。

それではまた明日ね。

今日も来てくださってありがとうございます。



ひたすらジョドプールへ

2024年12月05日 16時22分22秒 | インド ジャイサルメール




ビヤース・チャトリから
砂漠に沈む夕日を見て、ホテルに戻りました。

さて
ジャイサルメール・マリオット・リゾート&スパでの
最後のディナーは・・・・


キングフィッシャービールをオーダー
〇ールド航空サービスは、大サービスをしまして
ホテルでカレーではないコース料理を出してくれました。


何スープだったかな?記憶にありません。
でも残さなかったので、美味しかったに違いない!


チキン&フィッシュのメイン料理



パスタアラビアータ


何とピッツァまで・・・
生地がパリパリで美味しかった~


デザートにも力を注いで・・・・


翌朝の食事会場でシェフと一緒にパチリ。
(私の姿は消しています)
昨晩のディナーでは、私達の食の進み具合を
気にして、再三顔を出して見に来てくれていましたが
何せ食が細くなった女性高齢者たちだから、完食は難しい。
申し訳ないと思いながらの美味しい食事でした。

朝食は3回目ともなれば


だいたい同じメニューになってしまうので
たんぱく質が足らないと



玉子料理を提供している彼のところに
スクランブルエッグをお願いしましたが
いつまで経っても、持ってきてくれません。
彼が手を休めているので、見に行きましたが
どうも私の分は別のテーブルに持って行ったようで
一つ取り残されていた目玉焼きを貰ってきました。

彼はまだ新米さんらしく
次々入るオーダーにパニくっていたようです。


美味しかった菓子パンとも今日でお別れ


ホテルをチェックアウトして


このインド地図の黄色の部分が
インド西部のラジャスタン州で、その黄色から
少し外れた右側の赤ラインの所がデリーです。
左端の赤ラインがジャイサルメールです。

今日は、ここから少しデリー側に戻り
「青の町」ジョドプール

ジョドプールへは290㎞の行程で
日本の高速道路では4時間で着きそうな距離ですが
なんせインドの道路事情が・・・・
事前に添乗員さんから、クッションを持っていった
方がいいとまで教えて頂いたこの道路、
果たして・・・・





何でも通る高速道路へ入ります。
昨日、クーリー村に行った時は時速80㎞は
出していたと思われる運転でしたが
今日の高速道路ではそんなにスピードを出しません。
道がこんなにいいのに・・・・
それでガイドさんに制限速度はあるのか
聞いてみました。
「90㎞で、バスは60㎞が最高速度になります。」
そうなんだー大勢の人を載せているからねー

思っていた程の悪路は無く、以前添乗員さんが
通った時から舗装が進んだようですね。



何処まで行ってもこんな景色で



最初のおトイレ休憩はここ
Mahendra Resort 


何でも通る高速道路では野牛の群れがノッシノッシ
人間より牛を傷つける方が罰金をたくさん
取られるとか・・・・
だから辛抱強く通り過ぎるのを待ちます。


お疲れのおっさん2はひと眠り。
ばあさんは2日程まえからお腹の調子が悪く
胃の下が張っている感じ・・・・
ガスでも溜まっているのか・・・
周りを見て人影がない時は、遠慮なく出しているし
ホテルの部屋でも出しています。
ここから尾籠なお話で恐縮ですが
それがホテルのおトイレでとうとう下痢便になって
その匂いが、日本のそれと違って
ジャイサルメールの町中の糞尿が入り交ざった匂いと
同じだったので、我ながらびっくりして
おっさん2に「同じ匂いがした~」と言うと
「そうかお前もとうとうインド人かー」と
マジ顔で言われた。






ポカランの町の
Pokaran Desert Resort でランチです。


スープ



だいたい何処でも同じカレー料理ですが
右下は玉子カレー、ダール(豆)カレーなど



インドの伝統的デザートグラブ・ジャムン
小麦粉とミルクを練って丸くし、油で揚げたドーナツを
カルダモン風味のシロップに漬けた物。
甘~い!

併設するお土産店




ここで買った刺繡入りの白いブラウスと



こんな変な金属製のお人形を買いました。

食事とショッピングを済ませてまたバスは
ゆる~い高速道路をひた走り
またおトイレ休憩。


清潔ですけど紙がないことが多い。
一番に入った人に内情を聞いてから入ると
間違いが無い。


素敵なオブジェ、欲しかったなぁ


薪でナンを焼いているおじさんに
写真を撮りたいから「焼いて」とお願いすると
笑顔もついてきた~



これもいいじゃない!


ずっと一緒のバス。外観はいいよね。


インドのカラスは小さめかな?


ジョドプールの手前で
チャイが美味しいと評判のお店
Kesari でチャイタイム。

(右側の黄色い服のおじさんがチャイを作っている)

現地の有名俳優サラマーヌ・カーンさんも来店。
うーん確かに美味しい!
生姜やカルダモンが主張をし過ぎないので
飲みやすいのです。


簡単な素焼きのコップに入ってきた。




添乗員さんが買ってくれたスナック菓子20円


アイスクリームも食べたかったけど・・・
グッと我慢! お腹壊しているしー


だんだんジョドプールに近づくに連れて
緑も多くなり、黄色い砂岩から赤い砂岩に
変わっていくから不思議。





自称インド人のマダムから頂いた
マンゴージュース20円。



赤い砂岩が放置?されている。



やっと17時過ぎにお宿の



ラディソン・ジョドプールに到着です。
ここでも眉間にビンディを施してくれますが・・・
中途半端に止めて、このホテルの女性が
余程日本人女性が珍しかったのか
「皆さんと一緒に写真を撮っていいですか?」と
両側に日本のおばちゃんを従えてパチリ。
どういうことやねん!


それではまた明日ね。


今日も来てくださってありがとうございます。



素顔のインド

2024年12月04日 15時50分05秒 | インド ジャイサルメール




ランチ会場から
またバスに乗って、クーリー村を目指します。


車窓からは、砂漠の中の蜃気楼のような
ジャイサルメール城塞が見えて
この姿は何処から見ても、見飽きることはありません。
(城塞右側の黒煙は何だろう)



砂漠に良く生えているこの植物は・・・・

クーリー村へは1時間の行程ですが
途中でおトイレ休憩



テントがたくさんあります。
ここはラクダツアーのキャンプ場のようです。
内部は・・・



カーテンの向こう側にシャワー、トイレが
ありましたが、清潔でしたね。


チャトリが見えるということは・・・火葬場?

クーリー村に着きました。



貧しい家はこの様な草ふき屋根です。

一般の民家を訪問



インドの平均寿命は68.9歳だそうですが
ガイドのランジットさんは、女性が52歳で男性が56歳
だと言っていて、だいぶ違うけど・・・
富裕層の人達は長寿で、一方で一千万人いるという
ホームレスの人達は病気になっても
汚いからと診てくれないので、早死にする人たちが多く
ここにインド社会の闇をみたような気がする。

さてこの真ん中の女性は御年80歳だそうです。
一年中裸足で暮らしているのかしら


ここは台所兼食堂で内部は・・・


こんな感じで・・・・
牛の糞で磨いた床に座って食事をします。


砂岩でできた塀の上で乾かされている牛の糞。


ご自宅を見せていただいてありがとう!



キレイに盛装した男の子を発見!


聞くところによると今から結婚式で
花嫁さんをお迎えに行くそうです。
えっ!このイケメンがお婿さん?

ではなくて、


お兄さんのこの方が新郎です。
衣装はレンタルではなくて、自前だそうですよ。


ここは学校。
基本的に小学校5年、中学校3年
この8年間が義務教育で就学率は99.9%
高校4年、大学3年となっており
大学進学率は25~30%ですが
昨今の政府は、教育に力を入れているそうですし
カースト制度や宗教は教育には
関係しないそうです。


ここでは素焼き壺を造っていますが



電気のロクロは、停電のために回せていません。





彼女が壺に絵柄を入れてくれましたが


本当に素朴なものでした。


途中でチャイのお茶タイムがあり
ジャイサルメールに戻ります。

そして今日は、丘の上にある
ビヤース・チャトリから夕陽を眺めて・・



実はここも火葬場で・・・


左側の空き地には火葬用の薪がゴロゴロ・・


ここが火葬場で
火葬された後でしょうか
触ればまだ温かそうな灰が残されていました。



ここはバラモンの一つの階級ビヤースの
人達の火葬場で、お金持ち階級の人達は
ここにお墓ではなくて、このようなチャトリという
記念碑を建てました。基本インドにはお墓はありませんが
一部のキリスト教徒のお墓は存在します。

そして火葬後の骨はガンジス川に
流しに行きます。

今でもガンジス川河岸には、いくつもの
火葬場があり、方々で薪を燃やす煙が上がっているそうで
裕福ではない家族は300ルピー、
富裕層は5000ルピー程の薪代を支払うそうです。
少ない薪では完全に灰になることはなく
燃えなかった遺体の一部を、遺族が拾って
袋に入れて、ガンジス河に投げ入れるそうです。

ビヤース・チャトリからのジャイサルメール城塞

「地獄の沙汰も金次第」ですね。



チャトリの間に陽が沈むのを見ていると
インドだな~ガンジス河は見ていないけれど・・・
14億もの人間がうごめくインド。
ガンジス河では、生と死が当たり前のように
繰り返され、人はそれを当然のごと受け入れて
生きている。
ばあさんの概念からは、かけ離れた世界だが・・・




立派なチャトリに黒い服の女性が・・・
よく見たら撮影していた。女優か?
美しい女性はチャトリが似合う?



インドの夕陽までも邪念が無く
美しく見えるー

だが、ばあさんは邪念だらけー


それではまた明日ね。


今日も来てくださってありがとうございます。