娘が朝、凄い音で目が醒めたそう・・・
お向かいのローソンに車が突っ込みました。
幸いにケガ人はいなかったそうですが
入口付近は、ドアはなくなり
コンクリートのタイル部分も、ゴミ箱も破壊され
車のタイヤは外れ
買い物に来たお客さんも店内に入れません。
運転者は84歳のおじいさん
前進で車を止めた際に、前輪が車止めを乗り越えたそうで
もう一度やり直そうとバックし、再び前進した時に
アクセルを踏みすぎたそうです。
これから増々高齢者の時代です。
私達世代も、いつ免許証を返納するべきか
真剣にオッサン2と話し合って
いかなければならない時かも・・・・
人様だけは、絶対にあやめないようにしなければ・・・
目や耳は悪くなり、判断力は低下し
良くなることはありません。
だからというわけではないですが、
任意保険には絶対に入っておくべきですね。
ゴッホ展
最初に札幌市で、次に東京で、そして最後は
京都国立近代美術館で開催されたゴッホ展。
今回のゴッホ展は「巡りゆく日本の夢」として
ゴッホが新たな表現形式を模索する中で、
重要な役割を果たした浮世絵や、日本に関する文献資料などを
共に展示しています。
世界中の名だたる美術館から集められた
ファン・ゴッホの油彩画やデッサン40点に加え
浮世絵版画や豊富な資料などを余すことなく
展示していますが、欲を言えば10年の画家人生で
2,000枚の作品を残したそうですから
もう少しゴッホの作品を展示して欲しかったと
思うのは、私だけでしょうか?
(画像全体が暗いですが本当はもっと明るいアルルを描いています。)
アイリスはゴッホが好んで描いたモティーフで、
日本の燕子花(かきつばた)を連想させます。
高い地平線位置は、浮世絵から学んだ構図。
この風景画について
「まるで日本の夢のようだ」
と手紙に記しています。
理想郷=日本としてのアルルで制作することの
希望と歓びに満ち溢れた一作です。
またゴッホは、アルルのことを書簡で
「この土地が、空気の透明さと明るい色彩効果のために
僕には日本のように美しく見える」
とも書いています。
このひまわりの花の部分を
拡大すると
ひまわりの内側の花は筆を押しつけたように
凹凸が生まれており、小さな花弁の数々が
筆の動きだけで表現されています。
郵便配達夫=ジョゼフ・ルーラン
この絵の顔の部分を拡大すると
絵の具をパレットで混ぜることなく画面に置き、
発色を強調する技法を使っていることが
分かります。
また
夜のカフェテラスでは
黒を使わずに夜を表現しています。
この絵は歌川広重の、名所江戸百景の
「猿わか町よるの景」から構図の影響を受けた
と言われています。
日本趣味・花魁(英泉による)
渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」を油絵で模写した作品
模写だけにとどまらず、他の浮世絵から
蓮池や竹、娼婦を意味する鶴や、
欲望を発する女性の代名詞である蛙も組合せ
独自に色彩を解釈し
ゴッホ独自の花魁にしています。
ゴッホの自画像
赤い点描の施された新印象主義の技法から
ゴッホ独特の、赤と緑、黄と紫、青とオレンジという
さまざまな補色の効果の技法へと・・・
ゴッホの意欲的な取り組みがうかがえる自画像。
ゴッホの青とオレンジの色は
本当に強烈に私の心に突き刺さる。
夕陽と種まく人
ゴッホが敬愛するミレーの傑作「種まく人」から
人物のポーズを引用して、ゴッホはオレンジと青の厚塗りの施された
強烈な色彩の中に放った。
最後に
刈り取りをする人のいる麦畑
サン=レミの療養院で
麦畑で刈り取りをする人を見て
「人間は刈り取られる麦のようなものだ=死」
をイメージしたこの作品は
種まく人と対となし、また
対比ともなりました。
そして
ゴッホは37歳の時
パリ郊外の村、オーヴェール=シュル=オワーズの
村外れの麦畑で、ピストルの引き金をひき
自らの手で、
画家人生の幕を下ろします。
ゴッホの逸話
生前に売れた絵はわずか1枚。
毛糸玉を使って色彩の実験をしていた。
(以上、パンフレット及び朝日新聞出版の「ゴッホへの招待」を参考にしました。)
お詫びとして
ゴッホの絵画の色は実際の色がでていません。
青はあくまでも青く
オレンジは果てしなく黄に近いです。
美術館で
お父さんが、小学校1年生くらいの男の子に
「この絵は筆をこんな風にして描いたんだよ」
と
一生懸命に身振りで教えていたのを見て
ああこれが本当の情操教育だな
いいお父さんだなと
感心してみていました。
美術館を出ると雪が舞っていました。
この後
平安神宮へ
今日も来てくださってありがとうございます。