どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

騎手の一分(いちぶん)。

2006-12-11 | 競馬余談
どうやら廃止に揺れる”ばんえい競馬”にも存続への明るい兆しが見えてきたようです。
ファンにとっては嬉しい限りですが、そこで思い出すのが昨年の笠松競馬の話。
規模縮小、経費削減・・・、口で言うのは簡単ですが、笠松関係者の話を拾ってみれば、「廃止は地獄、存続はもっと地獄」との声もありました。
~誰のための存続か?~何のための存続か?
最善の方向に進むことを願うばかりです。

地方競馬の騎手の方々にとっても、この問題は死活問題。
廃止はもちろん、これ以上の賞金削減は、一部の一流ジョッキーを除けばそれこそ直接生活を圧迫するほどの危機的状況であると聞きます。
よほどこの仕事を天職と考えられる人間でなければ、もし存続が決まったとしても長くはやってはいけないのではないでしょうか。
騎手の中には、まだやり直しがきくような夢と希望に溢れた若者ばかりではないのです。
家族があり子供があり、そこに生活があるのですから。

ばんえい競馬を存続させてほしい・・・、その気持ちには変わりないのですが。


先日の原口厩舎のホームページにて、山本茜騎手の「ウイニングウインド」号、ならびに「キングスゾーン」号の降板についての話が公開されておりました。
指示無視・・・、これについての真実は私には知る由もありません。
そして、真実がどうであれ、それについて語ることも何もないでしょう。
結果は見ての通りだったのですから、それが全てです。

個人的な気持ちとしては残念なところもありますが、それは全ての責任を負っている調教師の先生が決めたことです。
それは最善の選択であったのでしょう。
馬主の面目もつぶしてしまえば、師の信用もなくなってしまいます。
大きなお金が絡みます。
弱冠2年目の若手ジョッキーをあえて乗せ、そして最悪の結果を呼んでしまったのですから仕方ありません。
指示無視というのが真実であれ、偶発的なものであれ、はたまた名目であれ、少なからず馬主の実益と栄誉を逃した感のあるこの結果に対しての判断は、少なくとも間違ってはいないような気がします。

名前は忘れましたが、ある一流の騎手の話・・・・・。
一流騎手と言えども、若い頃はなかなか良い馬を任されることはないものです。
そんな彼があるとき、初めて厩舎期待の有力馬の重賞レースに乗ることになったそうです。
馬主をはじめ、関係者の方々が期待を持って観戦に来られていたそうですが、緊張からか思うように騎乗できず格下の馬にも先着を許す結果に・・・・・。
当然馬主は怒り心頭、わざわざ呼んだ関係者の前で顔に泥を塗られてしまったのですから。
それ以来、その騎手は二度とその馬には騎乗させてもらえず、それどころが調教すらつけさせてくれない・・・、二度とその馬に跨ることはなかったということです。
でも、そんな経験が今の一流の自分を作っている・・・・・、そんな話だったように思います。

そこまでできたストーリーを期待するほど、野暮な私ではありませんが、まだ若い山本茜という騎手に期待すればこそ、なぜかそんな話も少し思い出してしまいました。

信用、信頼・・・、それはお金で買うことはできませんね。
私自身もこの歳になって今、痛切にそれを感じています。
最近生活のさまざまなところで、どんな小さなことでも無駄に見えることでも、そこにもっと大きな意味があったのだ、ということにようやく気付き始めました。
でも後悔はしてません。
その時はそれが最善だと信じていたのですから。
もう手遅れだとも思いません。
私はこの名古屋で、一から始める覚悟で帰ってきましたから。
(・・・・・・・競馬のことではありませんよ!(笑))
だから私は、歳とは関係なく、まだ”若輩者”なのかも知れません。


話は変わりますが、今ちまたでは、キムタク主演「武士の一分」という映画が話題のようです。
「一分」とは何ぞや?
なんとなく意味はわかりますが、釈然としない気持ちから手は国語辞典へ・・・。


<デイリーコンサイス国語辞典より>

   「一分(いちぶん)」・・・・・①面目(めんもく)。


う~ん、さすがに国語辞典のことですので意味はあっているのでしょうが、ニュアンスがどうも少し私の頭の中では食い違っているような・・・。
「武士の面目」?・・・う~ん、つまらない時代劇が思い浮かびますね。(笑)


<大辞林より>

   「一分(いちぶん)」・・・・・①その人の面目。②分相応の。③・・・・


私が思うに、一分(いちぶん)とは、「面目」の中でも最低限の部分・・・、みたいなものを指しているようなイメージだと思います。
ただ「面目」というと、「面目を保つ」という言葉に表されているように、”体裁(ていさい)を取り繕ったり”しているような感じがありません??
”その人の「面目」”というのは、その人の世間に対する名誉や体面、世間から受ける評価のことを表しているように思えます。
逆に、”その人の「一分」”と言えば、その人の”絶対譲れない部分”の誇りのことを指しているように思えるのです。
「武士の一分」・・・、失いかけた最後の武士の誇り・・・カッコイイ!!
これでしょう!

なぜそんな話をしたかと言えば、この映画の予告フィルムを見ながら、ふとなぜか地方競馬の騎手のことを思い出してしまったからなのです。(変?)

「騎手の一分」。
やはり思い出すのは、いまだ無冠のベテラン騎手あたりでしょうか?
今の地方競馬の状況は、最初に述べたとおりの先が見えない不安に満ち溢れています。
騎手とは、地方競馬の一番輝くところにいながらも、実質存廃問題の決定には全く力を持たない悲しい主役の立場です。
騎手は、馬と馬主の栄誉のために、日々黙々と休むことなく馬を走らせています。
ある意味、危険ともいつも隣り合わせの仕事。
また調教師のような責任をとれる立場にもなく、勝手は許されません。
そんな騎手たちの一分(いちぶん)・・・・・、絶対譲れないもの。
それは一体何なのでしょう・・・?

そんなテーマの映画が、あってほしいですね(笑)。

こんな今だからこそ。

主役は・・・・・誰だろう?
若い騎手では役不足でしょうねぇ~。
茜ちゃんでは、アイドル映画みたいに明るい映画になっちゃうだろうし(笑)、
岡部騎手なんかやったら、爽やか青春映画になっちゃいそうですよね。
丸野騎手だと、ワイルドなアクション映画に・・・。(爆)
そう思うと・・・・・、
名古屋には”役者”なベテランジョッキーはいなくなってしまったのでしょうかね??(笑)


映画 「騎手の一分」 (2006年 配給>名古屋競馬組合?)
    (主演>濱崎楠彦  共演>宮下瞳、吉田稔他  友情出演、安藤勝己)


このあたりで、どうでしょうか??(爆)


あと最後にもうひとつだけ。
もしあの話の通り山本茜騎手が乗り替わるのでしたら、名古屋グランプリの「キングスゾーン」号には、ぜひ名古屋の一流ジョッキーを乗せて頂きたいですね。
まだまだ未熟で役不足の彼女でしょうが、仮にも「キングスゾーン」号を一躍全国に有名にしたという実績は決して消えることはありません。
それは調教師や馬主にとっては、まるで”鼻クソ”くらいの実績かも知れませんが、もし彼女の浦和記念2着という結果の「一分」を少しでも立てようと思う親心があるなら、名古屋グランプリでは、どんなにしてもかなわないと思わせるくらいの一流ジョッキーを乗せることだと思うのですが・・・・・。。。
いかがなものでしょう?


キングスゾーンの活躍を期待します。


それでは、また。



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2 コメント

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GOOD! (セントレア)
2006-12-12 08:13:56
まったくの同感です。オリビエ・ぺリエも常に完璧な騎乗をするとは限りませんからね。  だれしも自分が受けてきた感情を、無意識のうちに次の世代に伝えてしまいます。いい事だけを選択するのは難しいことです。  
「騎手の一分」とのタイトル きょうの文章も ぐっときました。
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>セントレアさま (tsu-bo)
2006-12-18 04:41:27
山本茜という騎手には不思議と惹かれてしまいます。
なぜでしょうね?
自分でもわかりません。
でもこのブログは、決して”山本茜応援ブログ”ではありません!!(笑)
でもなぜかいつも”山本茜応援ブログ”になっちゃいます。(汗)
素直じゃないですね。。。
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