どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

時は流れている。

2011-12-17 | Sandstorm




時は流れている。
留まることはない。









パソコンを購入した。
光回線と契約した。
工事だけは完了したが、ただ未だに一度も繋げていない。
新しいパソコンは3ヶ月眠ったままだ。









今回も古いパソコンで開けている。
ブログ画面を開くのは、半年以上ぶりだ。
だいたい何を検索するにも、携帯ばかりになっている。
時は流れる。
意識もなく時は流れても、ここに来ると時の流れを感じる。









相変わらず、年に何度か旅に出ている。
相変わらず、競馬は続けている。
相変わらず、お金は劇的に増えたりはしない。









身体を壊した。
原因不明。
CTやMRIに数万円費やしたが、結局は何もわからなかった。
生活習慣病が要因であることは、何となく察しがつくのだが。
外科も内科も泌尿器科も、医者が信じるのは数値だけのようだ。
それだけ世間は、ハッタリ野郎が多いのだろうか。
それとも、病は気からということだろうか。









痛い。
初めは自分でも何もわからない状態で恐怖心もあった。
突然の痛みへの驚きは、余計に痛さを感じさせるものだ。
数年前、尿管結石をやった。
あの時のような激しい痛みではない。
やがて、身体も心も痛みに慣れてくる。









痛くなくなったわけではない。
起き上がるのも苦痛だ。
でも、どうしようもない。
医者が何ともないというのだから。









しばらくはこのままだ。
そうやって数ヶ月が経った。
やがて劇的に症状が酷くなれば、その時はわかるだろう。
それでいいと思う。
仕事もある。
楽しみもある。
だから、それまではこのままだ。
人間なんて、そんなものでいいのだと思う。









写真は、香嵐渓に紅葉狩りに行った時のもの。
11月中旬。
秋だった。
世界はもう秋だった。









歳を重ねると、感じ方も違ってくるようだ。
何においてもそう。
自分自身も、他人から見ればもう秋なのだろうか。
豊穣の秋。
もう若くない、というのが口癖になった。
それは決して歳を取ったことを嘆いているのではない。
もしかしたら、自慢しているのかも知れない。









最近は、めっきり涙腺が緩くなった。
それはたぶん、歳のせいであろう。
秋。
心も秋。
世界には、もうすでに冬が来ているようだが。









ゴルフ熱。
ただ、身体が思うに任せない。
口惜しいというしかない。
原因不明の両脇腹痛もあるが、それよりも大きな要因はあるだろう。
体力、筋力は、自分では気付かないうちに、相当衰えているようだ。
10年ほど前までは、飛距離だけには自信があった。
10年間の空白は、その衰えを感じさせるのに十分なギャップだ。
アタマでは思い出せても、身体が悲鳴を上げる。
体幹の動きは同じようにできても、部分部分から壊れ始めるらしい。
左手首、右肩、右足首が、数日であっけなく壊れた。









環境も劇的に変わった。
未だパーシモンのドライバーを振り回しているゴルファーなど皆無だ。
マッスルバックのアイアンも、プロですら使っている選手は少ない。
パターは、ネオマレットなる異様な代物が流行りだとか。
そんな風に感じるのは、たぶん自分が取り残されている証なのだろう。
時は流れている。
私は止まっていた。
それだけのことだ。









ブログをしばらく休もうと思った。
自分のために。
綴ることは発見もある。
気付かなかった自分を気付かせてくれる。
ただ危険性もある。
自分が自分を偽る。
理想の自分が現実の自分とズレてくる。
一度放った言葉は、化石にように世界に表層に残る。
自分が縛られる。









人とは変わるものだ。
心とは動くものだ。
言葉はそこに残って固まる。
無論、それを言葉で覆すこともできる。
ある意味、物理的には容易なことだ。
ただ、世界をひとりで生きているわけではない。
言葉はあるとき、他人から証明を求められる。
信用を必要とする。









ブログは休み。
これからもずっと。
その一瞬一瞬の刹那を綴っていくために、空白はどれくらい必要なのだろうか。
そうして時は流れる。









光と影。
それを演出するには、どれくらいの時間が必要なのだろう。
それとも、どれくらいの言葉が必要なのだろう。
ことの真理は決してひとつではない。
それを表現するのに、どれくらいの理解を求めれば済むのだろう。









この季節のように。
すべては移ろう。
この心のように。









キングスゾーン号。
未だ健在なり。
考える会の発足など、名古屋競馬に新たな風も吹いているようだ。









自分も進んでいかなければ。
ただ、時に流されていくだけだろう。
時は流れている。
留まることはない。
また思い出した頃に、何かを綴っていきたい。
また少し、進んでいることを信じて。













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