マスターズの録画中継を観た。
プレーオフ2ホール目。
B.ワトソンの林の中からの勝負を決めたセカンドショット。
あれは凄いね。
伝説の一打。
相手もトラブってただけに、安全にキザむのが正しい選択と思われた。
普通あの状況で、あの超フックボールでピンを狙おうとはまず考えまい。
ゴルフとは真っすぐ打つだけがナイスショットではないということを思い知らされる。
思えば昔は、そんな個性的な名プレイヤーが数多くいた。
かのA.パーマーも、勝負懸かった一打では毎度強烈なフックボールを打っていたらしい。
基本は大事。
でもそれが全てではない。
どんな競技でも、時代とともに技術が進歩するたび、確率論がもてはやされる。
戦略から、個人のテクニック、方法論まで、成功への確率の高いものが正しいとされる。
進歩すればするほど、確率論がセオリーを支配するものだ。
戦略や戦術だけなら、逆にその裏をかくこともでき、競技に深みと面白みをもたらす面もあるだろう。
ただ競技者個々の技術論にまで話が及ぶと少々厄介になる。
誰もが確率の高い(と啓蒙される)同じようなプレーばかりするようになってしまったら、その競技は技術の進歩が止まってしまうのではなかろうか。
またそうなれば、競技を観戦する面白みも半減することになりかねない。
プロの競技は、ある意味オーディエンスによって成り立っているとも言えるもの。
主催者もスポンサーも、ビジネスとして成り立たなければやがて撤退するのみとなる。
そうなれば選手も、プレイヤーとして存在してはゆけないだろう。
多様性が大切なのは、むしろ生物学だけの話ではないように思う。
「グリーンの真ん中を狙うのは好きじゃない。」
「ギャラリーがあっと驚くプレーがしたい。」
そんなB.ワトソンが、紛れもなく今年のマスターズチャンピオンになった。
超アップライトに振り上げる彼。
飛距離は抜群だが、時に大きく曲げてしまう。
あの勝負を決めたホールのスーパーショットも、確率論者からすれば、その前のティーショットを曲げなければもっと楽に勝てたと考えるのだろうか。
無論、確率論を否定するつもりは毛頭ないが。
ただ、勝てるプロフェッショナルとは、それを補って余りある磨かれた何かを持っているものである。
それにしても、彼はまさかあのまるでチーピンのような球筋を普段から練習しているのだろうか?
そら練習したって、あの場面で打てるとは到底思えないが。。。
現在日本人プロに、あれが打てるようなプレイヤーがいるだろうかとも考える。
もちろんそれは技術的な話もあるのだが、ここではそれよりもあの状況で自分を信じられる強い精神力の話。
あのショットが打てるテクニックがあるとして、はたしてあの状況で、それが出せる日本人はいるのか。
それは、その表情からして、すべての人々を惹きこむような魅力的な能力である。
個人的に、ニコニコプレイヤーはあまり好みではない。
せめてウイニングパットやチップインなどを決めた時ならば、それもアリとは思うが。
私は非常に破廉恥な人間なのかも知れないが、ゴルフを観る醍醐味はまた、ゴルファーの表情を観る愉しみでもある。