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先日の母の通夜の日に、久しぶりに従弟(いとこ)に会った。
叔母(母の妹)の息子で、歳はひとつ違い。
祖父(母の父)はすでに亡くなっており、祖母も高齢で入院生活となった今、母方の従弟とは中々会う機会もなかった。
佛教大学の大学院まで行って、就職をせず・・・までは知っていたのだが。。。
なんとその彼、趣味が高じてバイク雑誌の読者専属レポーターをやっているとか。
毎月決まった2ページ枠をもらって、連載しているらしい。
少し感心。
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通夜の晩は葬儀屋のホールで二人きりで、少々煮詰まった話もした。
彼はサラリーマンを羨ましいと言い、自分は未だフリーな彼を凄いと思った。
とりとめもなく、喧々諤々。
彼の言う通り、確かにサラリーマンは恵まれている。
でも雁字搦めで身動きがとれず、息苦しい人生でもある。
大部分は個よりも組織の論理で語られ、そこでは誇りを持って自分の本心を語ることなどありえない。
出世を望み組織にアイデンティティを捧げるか、もしくは仕事とプライベートを割り切って酒場で愚痴るくらいのことだ。
ただ最近、あえて他人の人生を羨ましいとは思わなくなった。
どちらが優れているとか、幸せだとか、そんな話などするだけ無意味なことだ。
みんな、ナンとかカンとか日々をやり繰りしながら生きている。
自分を誤魔化し、時に向き合いながら、何とか自分を肯定することができる。
たとえそれが、誰かに作られた幻想であろうとも。
サラリーマンもフリーターも、それは関係ない。
ヒト成った大人ならば、それはそれでいいではないか。
世界が夢見る永遠の子供ばかりになったら、たぶん世界は成立しないだろう。
それでもひとつ面白かったのは、彼がサラリーマンを羨ましいと言いながら決して就職しようとしていないこと。
不景気のせいだと本人は主張していたが、そうばかりでもないようだ。
そういう自分も、雑誌に連載記事を持っている彼を凄いと思いながら、今の仕事は辞められない。
いま目の前にある道が、それぞれの生きている証なのだ。
誇りを持っていきたい。
そんな風に思った。
お互い探しているものは、似ているのかも知れない。
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従弟のブログ、良かったら覗いてみて下さい。
相撲部屋を訪れたり、ホンダの創始者の記念館を訪れたり・・。
バイク雑誌にしては、結構読ませてくれる記事ですよ。
→ 「東海・旅の足跡2」