どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

傍にいること。

2010-08-24 | Sandstorm



仕事を投げ出すように地元に帰ってきた4年半。
それは同時に、病気の母と過ごした最後の4年半ということだ。
自分は、仕事のために長らく親元を離れていた。
いや仕事のためというよりも、自分の人生のために。
それは現代社会では、ごく当たり前のことだろうと思う。
既婚だろうと未婚だろうと、住まいとは別に故郷がある人は数限りない。
親離れ、子離れすることも、現代社会で何かを得ようとするためには必要なことだ。
また、一緒にいれば何かと鬱陶しいこともある。
それでも、自分は大きな決断をし戻ってきた。
この選択は、正しかったのだろうか。
今でも考えることがある。
自分に兄弟がいれば、また仕事で成功していたならば、はたまた結婚でもしていたら、もしかしたらこの選択はしなかったかも知れない。
たとえ離れていようと、親は親。
それは間違いないことだ。



ただ、人生において何を大切にするかはその人次第。
連れ合いや子供がいれば、考えることは自分のことばかりでもないはずだ。
全てにおいて正しい選択なんてありえない。
いまや、たとえ長男だとて必ずしも親とは同居はしない世の中だ。
仕事の立場・・・。
親孝行・・・。
経済不況・・・。
一般常識・・・。
いろいろな情報や風潮や信じ込まされた通説が、今日も頭の中を洗脳する。
自分の場合、その場から逃げ出したかったのかと言われれば、もしかしたらそれもあるのかも知れない。
男は仕事?
皆、ホントにそうだろうか。
自分が正しい選択をしたかどうかは未だにわからないが、ありきたりの表現をするならば、まあ”これからの自分次第”ということになるのだろう。








私は、親が死んで泣く部類の人間になった。
これはひとえに、この4年半があったからだろう。
傍(そば)に居るということは、そういうことだ。
それはたとえ友人だろうと、恋人だろうと、妻だろうと同じことのように思う。
悲しいはずなのに、涙すら出ない別れもあった。
傍(そば)に居るということは、時間の長さや縁の深さ以上のこと。
いま改めて分かった。
母の最期を看取り、悲しみは増えたのかも知れない。
でもそれは、きっとこれから自分の中で生きていくことのように思う。
何度でもやり直す。
これから何を大切にしていけば良いのか、また少しわかったような気がする。


















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