えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

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限界天皇下の戦争

2022年03月02日 14時46分18秒 | ドンキホーテ
みなさん こんにちは

 昨年は太平洋戦争開始80年の年だったので、テレビや新聞で戦争関連の報道が相次ぎました。NHKは天皇の開戦への役割を何度か特集しました。今年1月22日の毎日新聞の記事では、東大教授の加藤陽子さんがそれらの報道を振り返ったう上で、開戦へ向けた天皇の真意を紐解いています。天皇機関説の敗北は、立憲政治から官僚専制政治への移行をもたらした。開戦詔書を発した天皇が戦後、「開戦は自らの本意ではなかった」と嘆く葛藤は、その延長線上にあると。

 昨年末のどの報道でそう思ったかさえ忘れたのに、今ここに取り上げるのは少しずるいやり方かもしれませんが、それらの報道の中に、開戦が迫るころ日本の政権の中枢にはまだ平和論者がいたにもかかわらず戦争を止める方には進めなかった。統治権の総覧者であった天皇でさえ開戦を止められない抜き差しならない状況に陥っていて戦後、「自らの意志ではなかった」と語ることになる。そんな報道がありました。それは、加藤さんに言わせれば立憲政治から官僚専制政治に陥った結果の産物だったのでしょう。

 天皇が、自らの意志ではなかったと主張しようが、大日本帝国憲法下「天皇の名の下」にあの戦争が進められたのは事実。では、その名を使って戦争を起こしたのはいったい誰だったのでしょうか。そこには当然、軍部を中心とした官僚が入るのでしょう。しかし、その背後にいるのは、はたまたそれを遂行していったのはだれだったのか。

 私は、あの戦争を「欧米に対してはアジア太平洋地域をめぐる帝国主義国家同士の覇権争いであり、アジア諸国に対しては侵略戦争であった」と考えています。「天皇の名のもと」に戦争が起こされ遂行されたことをかみしめる時、私たちは少なくともアジア諸国の皆さんに対して、その責を今も感じるべきだと思うのですが。

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