えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

かすかな希望を抱いて幸せを自慢する尊大な手紙。重複掲載御免。造花仏花の造花輸入卸売問屋ニューホンコン造花提供

南京集会お礼

2024年07月22日 16時10分00秒 | ドンキホーテ
 能登のみなさん こんにちは

 南京の記憶をつなぐ会プレ集会「歴史の忘却がジェノサイドを生む 大国目線を克服して日本の植民地主義を問う」(南京の記憶をつなぐ会主催)を 7月13日、大阪・PLP会館で開催、約100人の方にお集まりいただきました。蒸し暑い中ご来場くださったみなさん、チラシ配りなどでご協力いただきましたみなさん、ほんとうにありがとうございます。お礼申し上げます。
 かいつまんで内容のご報告をします。

 南京大虐殺の被害者の心のケアを続けている銘心会南京代表で、南京の記憶をつなぐ会メンバーの松岡環さんが、日清戦争下に起きた旅順大虐殺について、そして台湾史がご専門の京都大学大学院教授の駒込武さんが、日本の植民地主義について台湾史、沖縄史から紐解きました。
 松岡さんは、日清戦争は朝鮮半島の支配を日本と清国が争った戦争。その旅順攻略の中で虐殺が起きた。犠牲者は1万8千人ともいわれている。欧米の記者が虐殺を報じたが、日本政府によって買収されて報じなかった記者もいる。当時、怪しいものは銃殺せよとの命令が出ていた。日清戦争で多額の賠償金を分捕った日本は、戦争がもうかることを知った。
 駒込さんは、日本の戦争責任は満州事変以降でなく、日清戦争の始まった1894年以降から考えるべき。台湾の人々は日清戦争後の講和で戦地となっていない台湾が割譲されたことに驚いた。このころ台湾には、先住民族と福建省系の漢族、広東省系の漢族の三者が対立しながら住んでいた。まだ台湾人の意識はなかった。沖縄は台湾と深く結びついていた。日本は台湾人を気軽に殺せる法律を作り支配した。1920年代に台湾民族の意識が芽生え民族自決を求める動きが出てきた。1945年以降、中華民国政府が台湾に遷都。2万人を殺した。「これだったら日本の統治下の方が良かった」と台湾人に思わせた。台湾はずっと大国の駒とされてきた。台湾の自決は住民の意思によるべき。
 そして、日本のなすべきことは、侵略戦争に関わる歴史の真相究明、謝罪と賠償。日本は民主的で平和な東アジアを作る責務を世界に負っている。歴史に向き合い、対話による修復を目指す中で、大国意識を克服しよう。過去に失われた平和と民主主義を将来に向けて耕していかないといけない、と結びました。

 仰る通りです。アジアで平和と民主主義を求めていくべき日本なのに、今、逆行したような軍備拡張、有事をあおる動きをしています。なんとしても抗っていかないと。

 12月1日(日)午後に、大阪天満の国労会館で本集会を開催します。本集会は講演と映像で南京大虐殺を取り上げます。ぜひスケジュールに入れておいてください。よろしくお願いします。 

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