人生の追い風が吹くかも
昨日は天気があまり良くなかったが最近できた長崎県松浦市鷹島町の鷹島肥前大橋を渡って鷹島モンゴル村へ行きました。
モンゴル村が何故鷹島にと思っていましたが、この島は今から七百有余年前の1274年と1282年の2度にわたって元軍襲来(元寇の役・蒙古襲来―4,400隻、14万人)によって悲惨な戦いが合ったところであると同時にいわゆる神風(暴風雨)によって元軍がせん滅した地として残る島です。皆さんも知ってある、蒙古襲来(元寇)に備えて築かれた元寇防塁は長垂海岸や生の松原、西新・百道などで整備・復元されたものが見られます。
鷹島町ではこの悲惨な歴史を教訓として共に平和を願い、昭和63年に鷹島モンゴル文化親善協会を設立して交流しているそうです。
モンゴル村には、パオの名前でもおなじみのゲル。モンゴルから運んできた本物のゲルが30棟設置してあります。(宿泊もできます。)
又、園内には鷹島肥前大橋が開通したことを記念して、島特産の「阿翁石―あおういし」を活用したモニュメント「勝利の風が吹く島 鷹島」が建立されています。中央の必勝の文字は ホークスの王貞治氏が書かれたものだそうです。
皆さんもこの島に行くと人生の追い風になるかも知れません。
昨日は天気があまり良くなかったが最近できた長崎県松浦市鷹島町の鷹島肥前大橋を渡って鷹島モンゴル村へ行きました。
モンゴル村が何故鷹島にと思っていましたが、この島は今から七百有余年前の1274年と1282年の2度にわたって元軍襲来(元寇の役・蒙古襲来―4,400隻、14万人)によって悲惨な戦いが合ったところであると同時にいわゆる神風(暴風雨)によって元軍がせん滅した地として残る島です。皆さんも知ってある、蒙古襲来(元寇)に備えて築かれた元寇防塁は長垂海岸や生の松原、西新・百道などで整備・復元されたものが見られます。
鷹島町ではこの悲惨な歴史を教訓として共に平和を願い、昭和63年に鷹島モンゴル文化親善協会を設立して交流しているそうです。
モンゴル村には、パオの名前でもおなじみのゲル。モンゴルから運んできた本物のゲルが30棟設置してあります。(宿泊もできます。)
又、園内には鷹島肥前大橋が開通したことを記念して、島特産の「阿翁石―あおういし」を活用したモニュメント「勝利の風が吹く島 鷹島」が建立されています。中央の必勝の文字は ホークスの王貞治氏が書かれたものだそうです。
皆さんもこの島に行くと人生の追い風になるかも知れません。