草むしりしながら

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草むしり作「わらじ猫」前10

2020-01-23 07:05:59 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」前10

㈡吉田屋のおかみさん⑤

 そのころ店では手代の弥助がだんなに手首をねじり上げられていた。
 おかみさんは売り上げ台帳と仕入れ台帳をつけ合わせ、そろばんをパチパチとはじいて見せた。

「どうも仕入れと売り上げの帳尻が合わないと思っていたら、そういうわけだったんだね」
 おかみさんは吉田屋に嫁に来る前は、名のある袋物屋の女中をしていた。大きな店で、女中といっても大半は行儀見習いのための奉公だった。おかみさんもそんな娘の一人で、小さな乾物屋の娘だった。親の方には名の売れたお店で奉公すれば娘にも箔が付き、良い縁談にもありつけるとの思いがあった。実際年季が開けてお暇をいただくころには、もう嫁入りの口が決まってしまう娘が多かった。

 ところが親の思いとは裏腹に、おかみさんは女中の仕事よりも、帳場での仕事に興味を覚えた。丁稚たちに混じりそろばんを習い始めると、すぐに誰にも引けを取らないくらいに上達して、男衆に混じって帳場の仕事をするまでになっていた。そのころ出入りの米屋だった吉田屋の先代が、おかみさんのそろばんの腕を見込んで、跡取り息子の嫁に迎えたのだった。

 そのおかみさんにして一年も手代の使い込みに気が付かなかったのは鼠のせいだった。この一年どうしたわけか、仕入れと売り上げの勘定が少しずつ合わなくなってきた。そのころから急に鼠が増え始めた。店のあっちっちに糞が散らばるようになって、鼠捕りを仕掛けたり、猫を飼ってみたりした。

 ところが鼠は減るどころか増える一方で、鼠捕りにはかかった例が無く、猫は不思議とすぐにいなくなってしまう。元来病弱な娘のお糸は、そのせいで病気にもなった。そんなこんなで、帳面の合わない分は鼠の食い分だと思っていた。

 タマがあらかた鼠は捕りつくしてしまったのだろう。この頃では糞も見かけなくなったし、夜中に天井裏を走りまわる足音も聞かなくたった。ところが相変わらず売り上げと、仕入れが合わない。それどこか売り上げと仕入れの帳尻がますます合わなくなって行く。

 このところおかみさんとだんなは商売そっちのけで、奉公人たちを見張っていた。そして今しがた手代の弥助が何食わぬ顔をして、売り上げをごまかして懐に入れようとしているのを、取りおさえたのだった。

「それでお前、猫はどうしていたんだい」
 弥助は鼠の仕業に見せるために糞を撒いたり、鼠捕りを壊したりしていた。猫は石と一緒に袋に詰めて、川に放りこんだと言う。

「なんてことをするんだい。タマも捨てようとしたのかい」
「へい、確かに石と一緒に袋につめて、大川に放り込んだのですがね。店に帰ってみるとタマがいるんですよ、しかもおおきな鼠を咥えて、こっちを睨みつけるじゃありませんか。なんかこう化けもんみたいで……。だんなさん、おかみさん悪いことは言いません。タマには魔物が取り付いております。あの図体のでかいの娘も一緒にこの店から追い出して……」
最後まで言い切らないうちに、弥助が吹っ飛んだ。

「丁稚から仕込んでいただいてやっと一人前してもらった恩を忘れて、おまけに言うにこと欠いてタマが魔物付だ。猫だって恩返しが出来るのにお前って奴は情けない。追い出されるのはお前のほうだ」

 主人夫婦と若い手代の話を後ろから黙って聞いていた番頭だったが、ついこらえ切れなくなり、怒りに体を震わせながら弥助に拳を振り上げたのだった。

「申し訳ありません。二度といたしません、どうかご勘弁ください。」
 弥助は地面頭をこすりつけて謝るのだったが、許されるわけはなかった。
「帳場に出ていたって、帳面とそろばんしか目に入らないおかみさん。裏で力仕事ばかりしていて店でお愛想の一つもいえないだんなと、居眠りばかりしている番頭、そろいもそろって間の抜けた連中でしたね。これじゃまったく、使いこんで下さいって言っているようなものですぜ」
 弥助ははだけた着物の襟を直すと毒づいた。

 「クソ、あの猫さえいなけりゃもっと上手く立ち回れたのに 。覚えておきやがれ。いつかと捕まえて、川にほうり込んでやるから」
 お上に訴えられないだけでもありがたく思えと言われ、店から放りだされた弥助は、捨てせりふを残して夕闇が迫る通りに消えていった。

「お前さん、大丈夫だろうかね。弥助の奴、まさか本当にタマをどうにかするつもりじゃないだろうね」 
「なにおかみさん、心配要りませんよ。タマが弥助なんかにどうにかされるはずがありません。それにしても弥助の奴、ずいぶんと手の込んだことをしたものだ。鼠がいなくなった時点でやめておけばよかったものを…」

 何処かの性悪女にでも引っかかったのだろうか。それとも賭け事の味を覚えて賭場に出入りをするようになったのだろう。小僧のころから仕込んだ使用人をこんな形で失ったことに、やり切れなさを感じる三人だった。

「お関、おなつに羊羹を切っておやり。またまたタマの大手柄だ」
 だんなは奥に向かってそう叫ぶと、珍しく帳場に座った。店では番頭が在庫と売り上げを付け合せ、おかみさんは赤ん坊に乳をやると、そのまま抱いてあやし始めた。

―羊羹だって。タマはどんな大鼠を捕ったのだろうね。それにしてもおかみさんが子どもをあやすなんて珍しい。何があったのだろうか。
 お関は首をかしげながらも、水屋の中から羊羹を取り出した。
―さてと、どの位の厚さに切ろうか。
 しばらく首をかしげて試案していた。
― 子守に羊羹なんてもったいない。透けて見えるくらい薄くっていいや。
 お関が羊羹に包丁入れようとしたときだった。物陰から急に黒い塊が飛び出して来て、お関の足もとにまとわりついた。

「ああたまげた、タマじゃないかい」
驚いたお関はずいぶんと羊羹を厚く切ってしまった。


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