草むしりしながら

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草むしり作「わらじ猫」前11

2020-01-23 07:05:02 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」前11

㈡吉田屋のおかみさん⑥

  相生橋の辰三親分が吉田屋を訪れたのは、昼を少し過ぎたころだった。
「邪魔するよ、番頭さんはいるかい」 
 親分は帳場の奥にいる番頭に声をかけた。別に十手をちらつかせて岡引き風を吹かしているわけでもないのだが、来られたほうはやはり穏やかではない。

「これは、これは、親分さん。いつもお世話になっております。おい誰か、親分さんお茶をお出ししておくれ」
 帳場机の上で帳面を付けていた番頭は慌てて土間に降りると、親分を店の中に招きいれた。店の前を十手持ちにうろつかれては商売に差し支えるからだ。

 突然の岡引きの訪問は、誰もが身に覚えが無くても慌ててしまう。まずは自分の身になにも思い当たることの無いのを確認すると、次には主人の顔や使用人たちの顔を思い浮かべてみるのだった。

「手前どもに、何か不都合がございましたでしょうか」
 恐る恐る訊ねてみたのは、すっかり忘れていた心配ごとを思い出したからだった。普段は忘れているのだが、時折なにかの拍子に思い出す。それは指先に出来た小さなささくれのようだった。ちくちくとした小さな痛みが、忘れたころにぶり返す。ぶり返すたびにザワザワと胸騒ぎがして憂鬱な気分になってくる。
思い過ごしであってほしい。番頭はしだいに落ち着きが無くなっていった。

「いやね、今日は猫にお礼を言いに来ただけだよ」
 親分は出された茶を旨そうに飲むと、手に持った包みを差し出した。
「商売もんで悪いけどな、女房に託かっちまってよ。ほんの気持ちだそうだ。うちの飴はすっきりとした上品な味だって評判良いんだよ。まあ原料には拘(こだわ)っているからな。米屋に言うのもあれだけど、上等のもち米使っているからな。その上にみかんや桃の絞り汁を入れて練ってあるんだ。ちょっと他にはない味だって、この頃じゃぁ若けぇ娘にたいそう人気があるんだよ」
 親分は飴の話になると饒舌になる。長々と自慢話をしながら番頭に包みを渡した。

「手前どもの猫と申しますと、タマでございましょうか」
 話が思いもよらず猫のことになったのでほっとしたものの、今度はタマが何かしたのではないかと心配になってきた。
「うん、見たことのねぇ猫がうちに三日通って来たんだよ。そしたらどうだい、あれだけいた鼠がただの一匹もいなくなっちまった」
「ああ、それならタマに違いありません。これ誰かタマを見かけなかったかい」
 番頭はさっきの心配はどこに行ったのやら、今度は自慢気に顔をほころばして店の奥に声を掛けた。

 辰三親分はお上から十手を預かる岡引きで、住まいが相生橋のたもとにあるので、相生橋の辰三親分と呼ばれている。曲がったことが大嫌いで、悪いことには目を瞑ったりは出来ない性質だ。だからちょっと融通の利かないところがあるが、この界隈では誰もが頼りにしている。

 そんな親分も家に帰れば飴屋の亭主になる。お上から十手を預かる、といっても給金が出るわけでもない。実際には雇い主である同心から雀の涙ほどの給金が出ているのだが、そんなものでは到底生活できっこない。だから岡引き仲間にはおかみさんの稼ぎで食っている者が多い。中には店先に顔を出しては、袖の下を要求する者も少なくない。けれど辰三親分はそんなことはしたことが無い。持ち前の正義感もさることながら、おかみさんの飴屋の稼ぎがいいからでもある。

 ところがそのおかみさんの飴屋で、この一月くらい前から鼠の悪さが目立って来た。飴の原料になる水飴は、麦もやしともち米とを煮詰めて作る。麦もやしとは麦の芽のことで、麦を水に浸した後、藁で包んで十日ほどおいて芽を伸ばしたものだ。出来上がったものは乾燥させて保存しておく。

 問題はその麦の芽を鼠に食い荒らされるのだった。出来上がった麦もやしが半分ほども食われて、おかみさんが途方にくれていた。するとどこからか猫が現れて瞬く間に鼠を咥えて出て行ったそうだ。その日から猫は何度も姿を現し、その度に鼠を咥えては出て行く。   

 三日たって気が付いてみると鼠の気配がしなくなり、麦もやしも食われなくなった。猫もそれ以来姿を見せなくなくなった。

 不思議なこともあるものだと、おかみさんは晩酌中の親分や、そのご相伴に与る下引きの三吉に話したそうだ。「毛並みがきれいで丸顔の、やけに人馴れした猫ですかい」と三吉に聞かれ。おかみさんは「そうだ」と答えた。「それなら吉田屋のタマに違ぇありません」と三吉は言った。

 そのとき親分はここ三日ほど胸の中に引っかかっていたものが、スーと降りたような気がした。
「そうかあれは吉田屋の弥助だったのか」

 親分は店の中に誰もいないことを確かめると、番頭としばらく話し込んでいた。

「そう言やぁ女房の奴が、あの猫は子どもを産んだんじゃないかって言っていたけど。そうなのかい」
親分は帰りしなに思い出したようにタマの話を始めた。

「さすが岡引きのご新造さんだけあって、よくお分かりになる。先だって子どもを産んだばかりでございますよ」
「別に岡引の女房じゃ無くっても、見りゃ分かるよ。乳が膨らんでいたんだから。出来たら子どもを一匹貰えないかって、女房が言うんだけどよぅ。もう貰い手がついちまったかい。あの猫の子なら引く手数多(あまた)だろうな」
「はい、おかげさまで二度ほど子どもを産みましたが、どれもすぐに貰われていきました。仔猫たちは皆タマに似て鼠をよく捕るそうでございます。ですから今度の仔猫も順番待ちで、親分さんで五人目になります」
「五人とはまた大した人気じゃねえかい。で、何匹生まれているんだい。仔猫は」
「それがで、ございます。実は何匹生んでいるのか、分からないのでございます」

 ふだんはあんなに人馴れしたタマであったが、子どもを産んだ後はちょっと違っている。産んだ子どもを取られると思うのだろうか。何処かに子どもを隠して、決して人前には連れてこない。

 たぶん最初に子どもを産んだ時に子どもたちが、タマの居ない隙に仔猫を抱いて遊んだのが悪かったのだろう。タマはその日のうちに仔猫たちを何処かに隠してしまった。どこに隠しているのかと、だんながそっと後をつけてみたが、途中で巻かれる始末だった。
 
 それからしばらくタマは仔猫たちを隠したまま、飯だけは食い戻って来ていた。ある日飯を食いに戻ってきたタマにお関が、なにやら嬉しそうに話しかけている。いつもは仏頂面のお関が珍しいと思っておかみさんが覗いてみると、タマが仔猫を連れて戻ってきていた。今度は子どもたちが抱いても別段気に留める様子もなかった。

 次の日やって来た棒手振りの太助の商売道具の桶の中に、タマは仔猫を入れて一声鳴いた。太助は分かったとばかりに仔猫をそのまま桶に入れて、柳家のハチのところに連れていった。

 ハチは仔猫を咥えて今度はおなつの両親の住む長屋の床下で、仔猫を育て始めた。もう乳が離れているので、おなつのおっかさんが汁掛け飯を食わしてやった。

「汁かけ飯しか食わないから、鼠を捕るのが上手ってわけだな」
「はい、タマの子どもも汁掛け飯しか食いませんが、どれも鼠捕りは上手でございます」
「今も子どもを隠している最中だから、何匹子どもを産んでいるのか分からないってことだな」
「さようでございます」
「五番目だな、女房には予約してきたって言っとくよ」
親分は仔猫の予約を取り付けて、吉田屋を後にした。

しかし辰三親分が吉田屋を尋ねたのは、そんなことが理由ではなかった。



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