この問題については過去の記事
https://blog.goo.ne.jp/ugotn/e/68d52169422e13499ed574b436f4e16c (「衆愚政治」)
にも書いているが、一番の問題は、十分な議論を経ずに単なる多数決で国民投票の結果を採用したことである。この間違いを犯したのは当時のキャメロン首相その人である。この問題について選挙公約で「国民投票で決める」と時期まで明確にして約束してしまったために国民投票せざるを得なかった。時期尚早であり、説明不十分、議論不十分、国際的な見地からの検討も不十分であり、英国民は宙ぶらりんのままで国民投票に臨んだ。そして僅差でEU離脱となった。
EU離脱は英国民だけで勝手に決定できるものではない。
世界的な影響も将来的な影響も考慮に入れなければならないし、多くの関係する問題も考慮に入れなければならない。ただ単に英国の利害や威信だけで決まるものではない。最終的には英国民が決めるのだろうが、あらゆる問題に対して十分に議論された後での国民投票であるべきである。国民の多数決だけで決まるのではなく、その前の議論の中で決まってゆくのであり、最善の策は国民投票によらないで決定できることであろう。そして国民が投票なしで納得できるものであり、納得できる説明ができるものに作り上げてゆくことが重要なのであろう。
最終兵器の「国民投票」を軽易に持ち出してしまったら収拾がつかなくなる。
そして最終兵器を使ってしまった後の始末も大変である。今がまさにその状態である。あとを引き継いだメイ首相は苦難の日々が続いているが、彼女だけを責める訳にはいかないと思う。可能であれば、国民投票が不十分であったことを明確にして説得し、前回の国民投票結果を撤回して新たに十分な議論を尽くした後に国民投票をやり直すことも可能ではないかと思う。あまりに国民投票結果に固執するのは得策ではない。当然、そのことを国民が理解し納得することが必要となる。
国民投票結果が間違っていたと英国民自身が認めるのである。
離脱か残存かの二者択一で決定するだけでは何も解決しない。どちらにしても反対する者もあり、賛成する者がある。賛否両論で大いに議論すべきなのである。その議論の中で一つ一つの問題の解決策を見出してゆくべきなのである。今のところ、離脱には多くの問題が残っており、さらに新たな問題が噴出している。これらの問題は何一つ解決していないし、離脱ありきではその解決も難しい。問題だ問題だとただ騒ぐだけでは何も解決しないと思う。原点に戻ってこれらの問題を一つ一つ場の設定から出発して情報収集・分析・検討・比較・評価・結論の手順を経て具体的に議論すべきなのである。
この英国のEU離脱問題は民主主義の格好のケーススタディーになる。
単なる多数決による決定が民主主義ではないのである。多数決だけで物事が決定されるのは多数決側の横暴であり専制でもある。民主主義のいいところは少数意見も弱者も一個人として堂々と自分の意見が述べられることであると思う。そしてその少数の意見も結論に取り入れられる寛容さを持つことだと思う。これを実現するためには、多数決前の議論が重要なのである。この議論の中で少数意見も取り上げなければならないし、反対に少数側こそ声を大にして建設的な意見を主張しなければならない。
みんなが同じが民主主義ではない。
個人の能力を認めてこれを自由に発揮できる場と機会が万人に平等に与えられるのが民主主義であり、格別の個性を持った個人が議論し合って結論を導く過程こそ民主主義の醍醐味である。果たして日本にこの風潮が育っているのだろうかと危惧してしまう。日本の場合の議論は個人同士でなく体制批判ばかりである。当然、個人の意見を主張する機会と場所も一般市民にはあまり与えられていない。少なくとも一般市民の生活空間では個人の意見が反映され、個人同士が議論する場を作る必要があるのではないかと思う。一般市民も自分の意見を主張する側になれば、もっと問題点を真剣に考えるようになるのであろう。
https://blog.goo.ne.jp/ugotn/e/68d52169422e13499ed574b436f4e16c (「衆愚政治」)
にも書いているが、一番の問題は、十分な議論を経ずに単なる多数決で国民投票の結果を採用したことである。この間違いを犯したのは当時のキャメロン首相その人である。この問題について選挙公約で「国民投票で決める」と時期まで明確にして約束してしまったために国民投票せざるを得なかった。時期尚早であり、説明不十分、議論不十分、国際的な見地からの検討も不十分であり、英国民は宙ぶらりんのままで国民投票に臨んだ。そして僅差でEU離脱となった。
EU離脱は英国民だけで勝手に決定できるものではない。
世界的な影響も将来的な影響も考慮に入れなければならないし、多くの関係する問題も考慮に入れなければならない。ただ単に英国の利害や威信だけで決まるものではない。最終的には英国民が決めるのだろうが、あらゆる問題に対して十分に議論された後での国民投票であるべきである。国民の多数決だけで決まるのではなく、その前の議論の中で決まってゆくのであり、最善の策は国民投票によらないで決定できることであろう。そして国民が投票なしで納得できるものであり、納得できる説明ができるものに作り上げてゆくことが重要なのであろう。
最終兵器の「国民投票」を軽易に持ち出してしまったら収拾がつかなくなる。
そして最終兵器を使ってしまった後の始末も大変である。今がまさにその状態である。あとを引き継いだメイ首相は苦難の日々が続いているが、彼女だけを責める訳にはいかないと思う。可能であれば、国民投票が不十分であったことを明確にして説得し、前回の国民投票結果を撤回して新たに十分な議論を尽くした後に国民投票をやり直すことも可能ではないかと思う。あまりに国民投票結果に固執するのは得策ではない。当然、そのことを国民が理解し納得することが必要となる。
国民投票結果が間違っていたと英国民自身が認めるのである。
離脱か残存かの二者択一で決定するだけでは何も解決しない。どちらにしても反対する者もあり、賛成する者がある。賛否両論で大いに議論すべきなのである。その議論の中で一つ一つの問題の解決策を見出してゆくべきなのである。今のところ、離脱には多くの問題が残っており、さらに新たな問題が噴出している。これらの問題は何一つ解決していないし、離脱ありきではその解決も難しい。問題だ問題だとただ騒ぐだけでは何も解決しないと思う。原点に戻ってこれらの問題を一つ一つ場の設定から出発して情報収集・分析・検討・比較・評価・結論の手順を経て具体的に議論すべきなのである。
この英国のEU離脱問題は民主主義の格好のケーススタディーになる。
単なる多数決による決定が民主主義ではないのである。多数決だけで物事が決定されるのは多数決側の横暴であり専制でもある。民主主義のいいところは少数意見も弱者も一個人として堂々と自分の意見が述べられることであると思う。そしてその少数の意見も結論に取り入れられる寛容さを持つことだと思う。これを実現するためには、多数決前の議論が重要なのである。この議論の中で少数意見も取り上げなければならないし、反対に少数側こそ声を大にして建設的な意見を主張しなければならない。
みんなが同じが民主主義ではない。
個人の能力を認めてこれを自由に発揮できる場と機会が万人に平等に与えられるのが民主主義であり、格別の個性を持った個人が議論し合って結論を導く過程こそ民主主義の醍醐味である。果たして日本にこの風潮が育っているのだろうかと危惧してしまう。日本の場合の議論は個人同士でなく体制批判ばかりである。当然、個人の意見を主張する機会と場所も一般市民にはあまり与えられていない。少なくとも一般市民の生活空間では個人の意見が反映され、個人同士が議論する場を作る必要があるのではないかと思う。一般市民も自分の意見を主張する側になれば、もっと問題点を真剣に考えるようになるのであろう。
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