オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

タネ明かし

2010年02月12日 | Weblog

マジックのタネを明かせば「なぁんだぁ」と納得し最初の感動は消える。

 タネを明かさない限りいつまでたっても「どうしてだろう?」「不思議だなぁ!」と言う気分を味わうことになる。人間は「どうしてだろう?」「不思議だなぁ!」と言う気分を楽しんでいる部分がある。私もマジックが好きだが、大掛かりなものや、複雑な仕掛けを必要とするものはあまり好まない。手近にあるもので、さらっとやって不思議がらせるのに快感を覚える。昔、マジック関係の本を読み漁ったことがあるので、テレビでやっているマジックのタネは推測でき種明かしの解説も可能である(正しいかは別だが・・・)。

家族とマジック番組を見ている時、種明かしの解説をすると嫌われてしまう。

 ただ見ている人は、マジックの不思議さを楽しんでおり、騙されることを喜んでいるのである。それをいちいち解説され種明かしされると興醒めしてしまう。やっぱりマジックは「不思議」でなければならなくて「不思議」でなければマジックではないのである。面白い現象である。ただ、そのマジックを自分でもやってみたい、人を驚かせてみたいと思っている人はマジックのタネが気になって仕方ない。観客だけで終わるのか、演者を目指すのかで見方は大きく変わってくるようである。

映画や推理小説の結末や試合結果を事前にバラすのも嫌われる行為のひとつだ。

 結果のわかっているものの経過をたどるのは退屈な作業となってしまう。次に何が起こるかわからない、結果がどうなるかわからないものにワクワクしながら推測し読み解いてゆくのところに楽しさがある。その楽しみを奪ってしまうのは酷なことでもある。結果でなくプロセスを楽しんでいるのである。ジグソーパズルもプラモデルもロールプレイングゲームも出来上がってしまえば達成感はあるものの出来上がったものそのものにあまり意味はない。出来上がる過程を楽しんでいるのである。

昔、連合赤軍による浅間山荘事件で終日テレビ中継が全国放送された。

 変わりばえのしない画面を国民全員が注視していた。今となっては「馬鹿げた行為」かも知れないが、当時は次に何が起こるか興味津々で見続けたのである。下手な制作番組よりも高視聴率を獲得したのではなかろうか。現在でも時々この手法を使った番組がテレビをにぎわしている。視聴者に次に何が起こるか解からないと言う期待感を持たせながら番組を展開してゆく。しかし終わってしまえば内容は大したことはない結末が待っている。そういう時は、途中で「だからどうしたの?」「何が言いたいの?」と自問する事にしている。そうすると事のくだらなさが見えてくる。

なんでこのような話題を持ち出したかと言うと、

 近頃のテレビのニュースやワイドショウが、現実に起こっている事件をまるで映画や推理小説のように脚色して報道していることに対しての違和感からである。淡々と事実を報道するのでなく、不思議、疑問、奇異、奇怪、激怒、憐憫、驚愕、歓喜などを必要以上に作り上げ過ぎている気がしてならない。しかもそれを音楽やナレーションや編集した映像や効果音や誇張や繰り返しでこれでもかと言うくらいに盛り上げている。事実を淡々と報道してしまえば(タネを明かせば)それだけのことであるが、それだけでは気がすまないようである。私にはあまりにもくど過ぎて途中で見るのを止めてしまう。これ以上見ると自分の冷静さを失ってしまい本当の事実が見えなくなってしまいそうである。

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