オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

空洞のマスコミ報道

2006年05月02日 | Weblog


耐震偽装事件の姉葉元建築士の取調べが始まった。

 取調べが終わって、警察を出るときに、変装をしてマスコミに気付かれないようにしたことをマスコミがすっぱ抜いていかにもスクープのように面白おかしく報道していたが、私に言わせると、変装をしなければならないように追い込んでいるのはマスコミであることをマスコミ自身が気付いていないことのほうが面白かった。誰だって見られたくない場面はあるもので、見て欲しくない時に見られないでそっとしておいてもらえる権利はあるはずである。それを引っぺがそうと言うマスコミの加熱ぶりにはついてゆけないし、姉葉氏が警察から出てきたときの直後の表情をとって何の意味があるのか、果たして必要性があるのか、単なる視聴者の好奇心を満足させようとしているだけではないか。

何か新しい事件があるかもしれないと言う期待感と、何も事件がなかったと言う事実は別である。

 期待感だけを煽って報道しないで欲しい。取材したけれども何も事件として取り上げるものがなければ報道する必要はない。確かに、起こりそうもない場所で事件は起きるし、全ての場所に出かけて行って取材することを否定するものではないが、多くの場合は無駄に終わるのがほとんどだと思う。ところが、今のマスコミはこのボツになるような取材の映像を無駄にしないで、必要であろうがなかろうが垂れ流しに報道している傾向にある。事実はさておいて、イメージや印象だけが肥大化してしまい、結局は事実そのものが見えなくなってしまう。そんな時、私は冷静な判断を保つため必然的に無駄な報道はカット(見聞きすることを止める)してしまう。

マスコミの報道内容を判断する時に、私は最後に「だからどうしたの?」と付け加えることにしている。

 多くの場合は何もない。ただの話題を提供したもの、好奇心を満足させたもの、ちょっとした豆知識、下手をすると単なる時間つぶし、電波の無駄使い、全く関係ない人の独りよがりの主張、素人の浅はかな考え、ただ直感で思いついたこと、などなどである。私に言わせると、そんなもの公共のマスコミに載せるなと言いたい。結局そんな報道は、ちょっとした行き違いから世間の誤解を生むだけで、害をもたらすだけである。時々この種の報道からわけのわからない「ブーム」などが発生するが、ほんの一瞬で消滅してしまう。こんなものに惑わされてはいけないのである。

事実を伝えることは重要である。

 しかし、事実にもピンからキリまである。重要な判断を左右するような事実もあるだろうし、くだらない事実もある。マスコミは事実であればなんでも報道すると言う姿勢を堅持しているようだが、ある程度の取捨選択が必要であろう。味噌も糞も一緒では混乱してしまうし、その取捨選択の考え方が本当の報道姿勢であり、視聴者はこの考え方がしっかりしているかを基準にマスコミを選択する。くだらない事実も毎日繰り返し報道し、万人の知るところとなると、一つのブームを作り出すが、くだらないものはどのように料理してもくだらないのであって、いつしか消え去る運命に変わりはない。こんな垂れ流しの報道が毎日続いている。それを誰も疑問に思わないで受け入れているのも不思議である。

おかしいと思うことは、私の周りにたくさんあるが、誰もそれをおかしいと思わないのだろうか?

 堅苦しい話をしても仕方ないので、身近なコマーシャルを例にとると、生理用品と痔の薬の宣伝である。朝のすがすがしいひと時に堂々とコマーシャルが流れている。食事時もかまわずに堂々とコマーシャルが流れている。私は不愉快でたまらない。そして、いちいちテレビの電源を切る。と言うことは、私はこのコマーシャルの存在と内容を認識しているのだろう。これを認識していない人は、意識の外で聞き流している。であれば、このコマーシャルは何なのだろう。ほとんどの人は認識していないことになる。認識していれば不快感を感じ、こんな不謹慎なスポンサーに不信感を感じるはずである。こんなコマーシャルに何の意味があるのだろうか?それとも意識下のサブリミナル効果でも狙っているのだろうか。もっと理にかなった宣伝方法を考えて欲しい。

経済現象にデモンストレーション効果というのがある。

 各人の消費が周囲の人の消費に影響されるという現象である。マスコミ媒体の現象もこれに近いのではないだろうか。周囲が情報を垂れ流していることの波及効果と相乗効果でますます垂れ流し現象が加速されているように思える。垂れ流しの中で際立って目立たせるためにはインパクトしかない。インパクトを与えるために手段を選ばずありとあらゆる方法を使って情報を垂れ流す。目的は情報そのものの内容や質でなくて「インパクト」である。内容や質についてよくよく冷静に考えてみると、そのもの自体が必要なくなってしまう。このやり方が流行の最先端で周囲はこのようにやっていると強烈に売り込んでいるもしくは仕掛けている誰かがいるのか、もしくは一般大衆が熱に浮かされたように追随しているのかであろう。困ったものである。もう一度冷静に考えてもらいたい。

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